ここ数日、南方熊楠の本を読んでいます。
熊楠の世界観は分野が広いのと、奥深すぎること、何よりも難解すぎて、何度読んでも挫折していたのですが、最近、急にストンと入ってきました。

熊楠に興味を持つ方は、粘菌から入るか、思想・宗教観から入るか様々だと思います。
私は生態系の菌からでした。


まだ熊楠を知らないころ、粘菌アメーバーの映像を見て無性に惹かれ

 

『これは法則の一つのような気がする』

 

と、ずっと心に残り、何度も思いを巡らす映像でした。

 

 

その後、熊楠が粘菌アメーバーから森林の秩序の重要性に気づき、最後、人生のすべてをかけて明治時代に行われた神社合祀に反対し、神社のある森と植物を守る活動をされたことを知りました。

私が粘菌アメーバーの動きで惹かれていたのは、自分の細胞が修復した不思議さ、蘇生できるという神秘さ、そして循環して持続するというところを重ねていたように思います。


熊楠を言葉で伝えるのは難しいのと、飛躍した考えになってしまうのですが、熊楠の世界を語るひとつに『変容する・変化する』という言葉が浮かんできます。

この変容するという部分が、仏教でいう『大不思議』という表現で、「結局のところ私たちは何もわかっていない、わからない」という言葉に繋がるような気がします。
 

科学の原因があって結果があるという、因果関係だけではどうしても説明のつかないものがあることを、熊楠は粘菌アメーバから、また古代仏教は説いていたようです。

 

 

古代仏教はあまり親しみがないのですが、おそらく、私も好きな考え方のように思います。
仏教はずっと変わらない完成された教えだと思っていたのですが、仏教もまた、その時代に合わせて変容していると思うと、今後も楽しみになってきました。


発酵作りをしていると、目に見えないものを相手にしているので、どうしても因果関係だけでは説明のつかないものを感じることが多々あります。

乳酸菌や酵母といった顕微鏡で見えると言われても、どうしてもその環境、そのときの私たちの心の状態が反映されるときがあります。
発酵作りをしたり、森の生態系を観たりしていると、宗教観によく似ていると思う事があります。


以前、パン作りをしていて小麦粉と水で菌を入れなくてもパンが作れたことから、「空の中にすべてがある」と私にとっては大きな気づきでした。
「空」の存在を仏教でよくいう「空」にもよく似ていて、空はカラではなく全知全能の存在でもあると思っています。


熊楠の世界は見えない菌から法則のようなものを見いだし、実際に現れている秩序、循環の大切さを説かれていたと思います。
森林など自然を守るように建てられた神社周辺に、目に見えない存在がその場で適応しながらいのちを繋ぎ、存続させていることを古代仏教に共通することを見いだし、その生態系、秩序が崩れれば、即、私たちの生存も危うくなることを感じていたようです。

神社や神といった存在は、秩序や構成、ある一定の法則という視点から考えるのもフラットでいいなと思ったりします。
時々、鎮座する神様の正しい、間違いの話になったりしますが、私はあまりその話には入りたくありません。
そこの由来がそうであれば、そう思いますし、違えば時期がきたら自ずと変わると思っています。


それよりも、そこが祀られている自然を守り大切にしていきたいと思っています。



この地球上は、すべては八百万の神でどんな存在も尊いものですが、神社が置かれている場所はとくに「いのちがわき出しやすい場所」で、南方熊楠が広大な熊野の山中から、粘菌アメーバーの生息を探し続けたことから、その場の構成するもの、場のエネルギーというものを確かに感じることがあります。


山や海にいると心身ともに元気になったり、土の上を素足で歩くアーシングなど、エネルギーが満たされ元気になるといったような事がありますが、それは菌の存在かもしれませんし、そこで何かしら働いている動きがあるからだと思うことがあります。

 

最近、小出遥子(はるこ)さんに、お寺サイト『まいてら』に生死観についてお話させていただきました。
臨死体験としていますが、特別なことではなく、私が気づくために起こった一つの経験でした。


『色』の世界で『空』というような感じで過ごしていたような気がしますが、当時は知識もなく、無感情でいたような気がします。
その後、随分経ってから仏教や禅、般若心経の世界観に出逢い、すでに体系化されていたのかと、あの時に知っていればもっと良かったと思いますが、すでにこのような教えがあったことはありがたく思います。

今回、前回掲載された曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんの『わたしという存在は他者との関係性の中に在る』というような言葉にとても感銘を受けました。

藤田一照さんのわたしのいのち観

 

小出さんという正確に受取ってくれる方がいて、私は話す気になる、現れるという、当たり前のことなんですけど、今回そこに気がついて感動しました。
ありがとうございました。

 

 

わたしの “いのち”観『死を想って生きること』

 

 

 

南方熊楠の映像2つ、良かったらご覧ください。

 

 

クマグス流「粘菌学」

 

細胞性粘菌の行動と分化(全編)

 

 

よい、年末をお過ごしくださいませ。