人が死を選ぶ時はどんな理由だろう
死んだらどうなるのだろう
天寿全うした死と自死は何が違うのだろう
好き好んで自死するわけではないのに、神はどう裁くのだろう…
病いの中でそんなことを考えていました。
一番、理不尽と思ったのが、自死は地獄に落ちるとか、カルマが残るとか世間で言われていること。
好き好んで死を選ぶ人なんて誰もいない。
誰だって人生を謳歌して、天寿全うしたいはず。
健康で天寿全うした人が天国で、苦しみのあまり自死した人が地獄ですか?苦しんだ人に対してさらに何重の苦を与えるような、それはあまりにも理不尽だと思ってきました。
自分でもいつ死を選んでしまうかわからなかった状態を考えると、きっと選んでしまった人も大勢いると感じてきました。
私たちの場合は、生前、理解されなかったのに、死んでもなお理解されない、肉体の苦よりもそれが一番辛く感じました。
死について、神について、本当に深く深く考えたと思います。
特定の宗教の教えではなく、経典に書かれてあることでもなく、自分の肉体と命と神について。
既存の宗教からは離れて考えましたが、ひたすら内観することは、すなわち自らの仏(神)に会うことだったのかもしれません。
いろんな考え方がありますが、私なりに行き着いたのは、多分、亡くなった方って、全てがわかる世界に行くと思うんですね。
亡くなって瞬時に、この世を理解すると思うのです。
天国も地獄もないことを。
どんな死に方をしても、どの人も皆100%生ききっている。
途中で自死した人も、きっと亡くなったらこう言うと思います。
「なーんだ!」
生きていても死んでいても、肉体を脱ぎ捨てるだけで、感じることは同じ。
あの世もこの世も、肉体があるかないかだけで、想念・思いは変わらない。
想念、思いは個別のものではない。
鏡とも言えるし、“うつしよ” とはよくできた言葉。
これを聞くと黙るしかない。
儚くもあり、美しくもあり。
自分の病いが治ったからといって、人の体を治すことはできないし、病いを変わってあげることもできない。
治すのは、その人の持っている自然治癒力だから。
唯一できるのは、心を寄せること、理解すること、祈ることくらいでしょうか・・・。
本当は自身の病いが治って、それだけでいいと思っている自分と、ふと、今も闇の中にいる人がいるんじゃないかと思う自分がいる。
闇の中にいる人に簡単にいうことはできないけど
生きてくれと叫ぶ自分もいる。
そう思えるのは、一つの結果を出したから。
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最後に遥かなるクリスマスを貼り付けていました。
きっとこの歌詞から思うことがあって、自分に重ねて書いたのでしょう。
今年の9/11、久しぶりにさだまさしさんのコンサートに行きました。
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