福岡県の高校の授業で、卵から育てた鶏を
解体して食べるという、命の授業の記事がありました。
きっと昔は、日常にある光景だったと思います。

この話題にもやはりいろんな意見があるようで
学校は命をいただくということを伝えたい、
一方は、命をいただくのは精神的苦痛を伴うもの、
ということを教えてほしい、ということだったと思います。

そして、自分にできるかな?といろいろ思いがめぐりました。
魚の活け造りすら苦手なので、今の心の持ち方では難しいなぁ、です。
そこまでの思いをするなら、食べない方向を選んでしまうなと。

学校で教えたかったのは、食べる、食べないという選択の前に
スーパーや料理されたお肉は、そういう経緯があり
命をいただくという本当の意味を伝えたいのですね。

私は体質的に動物性食品があいません。
慣れだ、気のせいだ、感謝して食べれば、という意見もありますが
がんばってみても、どうも合わないのです。
やめてみた結果、あっさりと回復しました。
あっけなく、といったほうがいいでしょうか。
これは私の例なので、全ての人にとは思っていませんよ。

よく動物性を食べるか、否かで話がでるとき
アラスカのほうはどうなんだ、モンゴル人たちだって食べている、
それで命を繋いできた貴重な経験があるんだと耳にしますが
私たちの食品に対しての向かい方と、その方たちの向かい方は
違うと思うので、比べようがないと思うんですね。

いつもその話題になったときに思い出す一枚の写真があります。
自然や動物、そこに住む人々に真摯に向き合い、
温かい眼差しで写した写真家、星野道夫さんの写真です。

星野さんはアラスカに魅せられ、そしてアラスカの風になりました。
今でも、ファインダーを通して撮された星野さんの世界に
写真だけではなく、詩のような言葉が胸に響きます。

「星野道夫の仕事 カリブーの旅」という写真集の中に
カリブー(トナカイ)を解体する住人の、顔だけの写真がありました。
ちょっとその画像がないので、掲載できないのですが
どこかで見かけたら、ご覧下さいね。
星野道夫の仕事〈第1巻〉カリブーの旅/朝日新聞社

解体作業中ですし、極寒の地で焼けた顔なのか
血がついているのか、肌が赤黒いところもあります。
それでも、その写真から生きるということ、
命を繋いでいくということが感じられ、
美しいとさえ思えるのです。

もし、アラスカのような地で、真摯に自然に向き合うことができたら
私もカリブーをとらえ、解体してみたい気持ちがあります。
全てを余すことなく戴き、一頭を皆で分かち合う、
それができたら、心身共に合うものではないかと思うのです。