7年ほど前から進藤義晴先生の考案された「冷えとり」をしています。

今はずいぶん知られるようになり、冷えとり用の商品も多くなりました。

周りの反応も以前とは違うことを実感します。


7年前でも周りの反応は大変なものでした。

なにせ、靴下を何枚も履くのですから

奇妙に見られるものわかります(^▽^;) 

最初、私もビックリしました。

健康に自信があったら興味がわかなかったかもしれません。


15歳ぐらいから過敏性大腸炎を発症して、常に腹痛が伴うので

外出、学業、食事といった生活全般に、困難をきたしました。

現代病ともいえるこの病いは、病院で検査しても何の問題もなく

これといった薬もありません。


疾患が見当たらないし、外見はいたって元気そうに見えるので

説明しても他人から理解されにくいので

誤解を与えてしまうことが多々ありました。


本当は友人と遊びに行ったり、旅行したりしたかったのすが

当時の私に付き合うだけの体はなく、お誘いも断ざるをえないので

だんだんと友達と仲良くなる手前で離れていました。

独りが好きな変わった人と

思われていたんじゃないかと思います。


疾患もないので病院でしてもらうことは、何もありませんでした。

ストレスを溜めないようにと安定剤を渡されました

精神ではないと自覚していましたし

安定剤を飲むと余計に体調が悪くなったので

飲むことはありませんでした。


しかし、何を食べても腹痛を伴い、くだしてしまうので

整腸剤や下痢止めを飲んでいましたが

7年ほどたった頃、飲んでも全く効かなくなったことを実感したのです。

その時に初めて体にとって大変なことをしてしまったのではないかと

気づいたのです。


思えば、以前の体調よりも悪化させ、さらに副作用の影響だと思いますが

尋常ではない喉の渇きと、心臓が強く脈を打ちました。

完全に腸の機能も麻痺させていたので

なすすべもありませんでしたが、薬を飲むことはやめました。

やめたというより、もう飲むことができないというのが正しいですよね。

最近、同じような症状の方が多くなってきたように思います。

自分の経緯からすると、下痢止めストッパなどの薬を

安易に常用したら、体は大丈夫かな?と思ってしまいます。


よく、この体質の人は「気にしすぎで神経質な人」と

言われることが多いですが、それほどそう思いません。

時々同じ方にお会いすると、皆さんとても明るく、お笑い好きで

人と交流するのも大好きで、本当はとてもアクティブな人たちだと思います。

どちらかというと楽観的な人が多いのではないでしょうか。


「病は気から」という言葉はその通りだと思います。

しかしながら、私もどちらかというと楽観的なのに

崩れるものは崩れるのです。


一生懸命、気にしないようにしてみましたが

それでも体調を崩すと、体も負けて、気さえも負けるのか

と落ち込んでしまいました。


そこで、人からどう思われてもいい、気が弱い人間と思われてもいいと

発想を変えることにしました。


「気」からコントロールできないのであれば

体が健康になった実績を作り

それを自信にして「気」をコントロールしてみようと。


この世は思考の世界だと気づいています。

思考ありきで、現実が変わると思っています。


が、治療にあたっては「気」で自分を奮起させるのはやめ

体の声だけを聞くことにしたのです。


薬をやめてから「冷えとり」に出会うのは、それからまだ7年後です。

その間、いろいろなことをしてきましたが、治るまでにはいきませんでした。

ただ、それらのものが効かないということではないと思います。

体質、体調は人それぞれに違いますし、

出会う時期、やってみようという気になるのもさまざまです。


全てはその人のタイミングが整った時に

出会いも、乗り越えもあるように思います。


人はよく「気にするからだよ」といいますが

理由があるから気にしているのであって

それが取れるまでの期間を待ってあげたいと思います。


無理にとる必要はなく、気にしながらも次の方法を考えればいいと思うのです。


気にすることはいいことですよ。

悩み、苦しんだ分だけ大切なものが見えてきます。


その大切なものが見えてきたときに、全てのことが感謝に変わりました。