悪霊になりそこね。 | 潤 文章です、ハイ。

潤 文章です、ハイ。

俺のペンネーム。ジュン・フミアキである。

悪霊になりそこね。


一話

そのときの私は、病院のベッドで死人のように冷え
た目をしていたことでしょう。
私は一度死にました。睡眠薬です。なのに私は、マ
ンションに組み込まれたセキュリティシステム、ヨ
シズミ・タイプA2に救われたのです。

外出から戻り、カードキイと暗証番号を指定された
手順に従って用い、部屋に入ると、それ以降、室内
にいて、トイレ内の動きだったり、会話だったり物
音だったり、そうした人が暮らす能動的な現象が一
定時間検出されないと警備会社に通報されるという
仕組み。もともとは高齢者向けに開発されたシステ
ムなのですが、私が住むマンションができた当時も
っとも先進的だった機能が組み込まれていたのです。
外出するとき、このシステムは逆に働き、室内で動
く何者かの気配を検出して通報する。いわゆる防犯
システムなのですが、このシステムが登場した当初
は防犯のためにだけ働くシステムで、これをヨシズ
ミ・タイプAと言います。

私は北川美里(きたがわ・みさと)、大卒から十三
年目で三十五歳になりました。そして私が新人だっ
た頃に登場した製品がヨシズミ・タイプA、いまか
ら数年前に改良された最新型がタイプA2。私はそ
の開発元たるヨシズミセンシング株式会社の総務部
に勤務しています。
ヨシズミセンシングは、戦後しばらくして誕生した
電子光学技術の企業であり、初代社長が吉住圭一郎
(よしずみ・けいいちろう)、二代目社長が田坂勇
治(たさか・ゆうじ)、そして現在の社長は江崎慎
也(えざき・しんや)と言いますが、いわゆる閨閥
企業ではなく、初代社長の遺志のもと優秀な人材が
社を引き継ぐというスタイルで発展してきた企業で
す。

あの夜の私は錯乱していた。発作的に睡眠薬をあお
ったようですが、そんなシステムがあろうなんて考
えてもみなかった。
発見が早くて救われた命です。輪郭を結びはじめた
意識の底で、一昨日のことをぼんやり思い浮かべて
みたりする。
悪霊になりたくて私は死んだはずでした。悪霊とな
ってきっと蘇り、彼と彼の一族を未来永劫呪ってや
る。無力な私にできることと言えばそれしかなかっ
た。

一昨日のお昼前、東京品川にある本社ビルのエント
ランスに備えられたレセプションカウンターで、私
は若い受付スタッフを指導していた。受付嬢は選り
すぐられた者ばかり、のはずなのですが、応対がよ
ろしくないと苦情が入り、新人教育を行う総務部と
して古株の私が意見することとなる。私ももう三十
五歳。総務部では部長補佐を務めていました。立場
上と言えば聞こえはよくても、嫌われ役は古株にと
いうことだったのでしょう。

そのとき、レセプションカウンターから見渡せるエ
レベーターから吉住(よしずみ)専務、そして秘書
の吉川涼子(きっかわ・りょうこ)が仲睦まじく並
んで出て来たのです。
涼子は、あの頃の私と同い年で二十六歳。ヨシズミ
センシングのフランス支社で採用された才女であり、
スタイルもよく、女優と見紛うばかりの器量の持ち
主。品川本社に配属されたのも吉住専務の働きかけ
があったからと、もっぱらの噂でした。

その涼子が、レセプションにいる私の間近をかすめ
て通り、横目にすまして笑って誇らしげに歩み去る。
ダークグレーのスカートは職場では短すぎ、白くて
薄い夏のシャツブラウスは淡いピンクのハーフカッ
プブラを素通しにしてしまっている。
オフィスでは許されないコーディネイトも、秘書と
なると話は違う。セックスアピールが当然の海外ゲ
ストには好評であることと、また彼女の語学力も不
可欠ということで別格扱いされている。彼女のブラ
はDサイズ。そのホックはトリプルです。
そしてそのとき確かに上下三列しっかりかかってい
たんです。

私はもう諦めていましたね。何から何まで涼子が相
手ではかないません。私だって子供じゃないし取り
乱すほどバカでもない。
ところがです。
私と同僚たち三人で少し遅れて昼食に出て、私だけ
がそのまま出先へ。二時間ほどして戻ったとき、ち
ょうどすぐ前を涼子が歩いていました。時刻は三時
前。昼前のあの時刻に出て、いまごろ戻った。吉住
専務はそのまま出先へ。きっとそうだろうと思いま
したね。
そして、なにげに涼子の背中を見た私。抑えていた
感情が烈火のごとく燃え上がったのはそのときでし
た。

縦に三列あるブラのホックのいちばん上が外れてる。

ダブルであればちゃんとかかっていないと緩みがあ
って気づくもの。トリプルだと締め付けがそれほど
違わず気づかない。ホックは下からかけていく。い

ちばん上をかけたつもりで、かかっていない。
あのあと専務とどこで何をしてきたの!
私の中で殺意にも似た感情が湧き上がってきたんで
す。

私は吉住専務の女でした。吉住孝明(よしずみ・た
かあき)、七つ歳上の四十二歳。あの頃の私は二十
六で、いまの涼子と同い年だったんです。
名前からわかるように初代社長のお孫さん。彼は優
秀な技術者でもあり、現在のヨシズミセンシングへ
と発展させた立役者の一人。MIT=マサチューセ
ッツ工科大学出身のエリート中のエリートです。

私が二十六歳だったあの頃、彼は三十三歳で妻子持
ち。私とは不倫です。私は特に結婚願望もありませ
んでしたし子供が好きなほうでもなかったわ。せっ
かくキャリアを積み上げておきながら適齢期になる
と結婚し一線から離れていく。子育てに追われ気が

つけば枯れていて、人生エンド。私は高校生だった

頃から、そんな女の生き方に疑問を持っていたんで

す。

愛さえあれば。孝明が好きでした。彼も私を望んで
くれて、いまのマンションだって買い与えてくれた
んですね。
それだけで充分でした。若い涼子に譲ろう。楽しく
幸せな思い出ばかり。それでいいと思ってましたし、
会社を辞めるつもりもありません。
孝明が半年におよぶフランス出張から戻ってからの

態度の変化に気づいていました。そしてこの春の移

動で涼子が本社に配属された。もういい諦めようと

思っていたのに、情事の痕跡を見せつけてられて、

私は自制がきかなくなった。

ずいぶん泣いたわ。だけど私にできることなんてあ
りません。遺書でも残して死んでやる。彼のキャリ
アに泥を塗り、それだけじゃなく、悪霊となって未
来永劫祟ってやる。
ぐるぐる、ぐるぐる、思考はめぐり、自分自身を追
い詰めて、自殺未遂。遺書なんて書いてないから発
作的な愚行だったとしか言いようがありません。
私と専務の関係は誰も知らない。遺書がなければ犬
死にですもの。
口惜しいわ。どうしてなの孝明、一言別れようと言
って欲しかった。マンションまでもらい、分不相応
な暮らしもできた。恨むつもりなんてなかったのよ。

でももうダメ、許せない。

私がこんなになってること、知ってるはずなのにお
見舞いにも来てくれない。
許せない。ですけど一介のOLの私にできることな
んてないんです。

おそらく深夜に救急搬送されて、いま窓の外が暗く
なりだしてる。明日もう一日入院で、だけどもう会
社になんて出られません。迷惑がる彼の顔、それよ
りも、いい気味だわみたいな涼子の嘲笑に耐えられ
そうもないんです。

死にたかったのにどうして・・とぼんやり考えてい
ると、病室のドアが控え目にノックされました。