にゃんカフェ平蔵。(七) | 潤 文章です、ハイ。

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俺のペンネーム。ジュン・フミアキである。

にゃんカフェ平蔵。 野良猫エレン?

弱い雨の夜。濡れるのを嫌がる猫たちは外に出たがら
ず、店はからっきし暇である。そろそろ深夜。今夜は
早じまいにしようと片付けにかかったとき、納屋の裏、
薄い板壁にドンと何かがぶつかるような音がした。
平蔵が裏口から覗くと、白黒ブチの猫娘が全身泥だら
けで倒れている。倒れ込んで板壁に衝突した感じ。額
から血を流し、右前足があらぬ向きに曲がっている。
平蔵はすぐさま猫娘を抱き上げて中に入れ、店の表側
の入り口を閉ざせとシンディに言いつけた。
「事故だな」
「うん、足が折れてる」
平蔵は猫娘の前足を触り、そして言った。
「いや折れちゃいない、脱臼だろう」

平蔵が割り箸で添え木をつくり、シンディはボロ布を
裂いて包帯をこしらえる。ぬるま湯をつくり、シンデ
ィが額の血を拭う。幸い傷は浅く、血はほとんど止ま
っていた。シンディが全身を拭いてやる。
そうして手当てされていながら、猫娘は静かに目を開
けた。どうやら意識はあるようだ。
平蔵が言った。
「おい、しっかりしろ。いま足を治してやるからな。
大丈夫だ、折れちゃいない、脱臼だろうぜ」
猫娘はちょっとうなずいた。意識はあってもぐったり
している。
「ちょっと痛いぞ」
脱臼した関節をひねってやって元に戻す。
「ニャオォン!」
猫娘は悲鳴を上げたが、関節が入ると静かになった。
添え木をして引き裂いたボロ布で関節あたりをぐるぐ
る巻きに。しばらく動かさなければ治りそうだと平蔵
は思う。

「交通事故か?」
猫娘は、か細い声で応えた。
「そうみたい。道を渡ろうとして、ハッとして、でも
そこで気を失ったから、よくわかんないだ」
シンディが言った。
「軽くてよかったわよ、とっさに身をかわしたんだね。
あなたは? どっから来たの?」
すると猫娘、首を横にちょっと振った。
「わかんないの。名は・・エレンだったような気がす
るけど、どっから来たのか。だけどあたし、ずいぶん
歩いた気がするわ」
平蔵が言った。
「まあいいさ、いまは横になってることだ。頭を打っ
て記憶が飛んじまっただけだろう。ところでおまえ飯
は喰ったか?」
「わかんないけど、おなか空いてる感じはする」
「そうか、じゃあすぐ何か作ってやる。メザシのスー
プとロールパンぐらいだが」

エレンと名乗ったからにはエレンなのだろう。エレン
は卓袱台のカウンター横に身を横たえ、平蔵とシンデ
ィの姿を目で追いかけていた。
「ところで、ここはどこ?」
シンディが微笑んで言った。
「カフェよ。にゃんカフェ平蔵って名前のカフェ。マ
スターが平蔵、あたしはシンディ」
「あたしのせいで店じまい?」
それには平蔵が応じた。
「いいや、雨の夜はからっきしでね、いままさに閉め
ようとしたところ。気にせず寝てろ」
「うん、ありがと。どこをどう歩いて来たのか覚えて
ないんだ。ここのことも知らなかったし」
シンディが笑う。
「それも縁よ。運がよかった」
「そうね、恩人に(もとい)恩猫に出会えたんだもん」

メザシのスープはあったまる。エレンはフガフガ唸り
声を上げて喰い尽くし、ほっと息をついて、また横に
なる。
「何だか、ちょっと思い出してきた感じ。あたしはエ
レンよ、やっぱりエレン。小さいときに捨てられて野
良猫やってきたんだわ」
平蔵とシンディが目を合わせ、平蔵が言った。
「どっから来た?」
「小矢部だった気がする。だけど生まれがどこなのか
は覚えてないんだ。ほんの子供だったから。エレンて
名前は、よく餌をくれた家のママさんがつけてくれた。
でもそこには大きな犬がいて、あたしのこと虐めるか
ら逃げて来たんだよ。たぶんそう」
平蔵が言った。
「行くあてはあるのか?」
「ないよ。だってあたし野良だもん。逃げ出したのは
ずいぶん前で、それからずっとうろうろして生きてき
たんだ」
平蔵はうなずいて言った。
「ともかく無事でよかったよ。安心して寝ろ。俺たち
も今夜は泊まる」
それでエレンは、すやすや寝息を立てて眠ってしまっ
た。

『~生まれてこなけりゃよかったのに~』

エレンの寝言。シンディは目を開けて、エレンの額に
そっと肉球で触れた。微熱。頭を打ったことで少し熱
が出たのだろう。
エレンは人間で言うなら高一ぐらいの年頃か。多感期
であり、ともするとネガな感情ばかりに翻弄される。
眠っているエレン。濡らしたボロ布で額を冷やしてや
りながら、シンディはかつての自分の姿と重ねて若い
エレンを見つめていた。
「どうした?」
闇の底に平蔵の声。
「ちょっと熱があるみたい。いまおでこを冷やしてや
った」
「そうか。ひどい脱臼だからな、しばらくは歩けまい」
「おいてやるしかないね」
平蔵は黙ってうなずき、それからまた目を閉じた。

翌朝。エレンは熱も下がって元気になって、しかし右
の前足が使えずひょこひょこ歩き、店の厨房を見回し
てつぶやいた。
「いいなぁ、こういうの」
平蔵が応えた。
「何がいいんだ?」
「カフェっていいなと思って。そのうちどっかであた
しもやりたい」
「店をか?」
「夢だけどね。覚えようにも野良猫だもん雇ってくれ
ない。履歴書なんて書けないし、ろくな育ちじゃない
んだから」
平蔵はシンディと目を合わせて言った。
「俺は世田谷平蔵、そっちは高岡シンディ。俺たちだ
って野良みてえなもんじゃねえか。ま、そういうこと
ならちょうどいいが」
「え? ちょうどいいって?」
エレンの黒目が丸くなる。
「ボロい店だが近頃ちょっと忙しくてな、猫の手も借
りたいぐらいさ」
「マジで言ってる?」
「おまえももう子猫じゃない。人生(もとい)猫生な
んて自分でつくるもんだ。世を拗ねるのは勝手だが甘
ったれちゃいかんぞ」

それを聞いてシンディは嬉しくなった。妹分ができた
ようなもの。それに忙しくて手が足りないのは事実。
「チャンスかもよエレン。あなたなら看板娘になれそ
うだし、やってごらんよ。ここのマスター、履歴書な
んて取らないよ」
平蔵がうなずいて言った。
「しかしまずは足を治せ。今夜から店にいていいけど、
しばらくは見学だな」
するとエレン。平蔵とシンディを交互に見ながら涙ぐ
み、こくりとうなずく。

そしてエレンのお披露目開店。今夜は星空。開店を待
ちかねた暇人(もとい)暇猫たちが次々にやってくる。
若くピチピチしたエレンはあっという間に人気者(も
とい)猫気者。前足をひきずる様子に、事情を知った
雄猫たちはどいつもこいつもエレンラブ。単細胞だが、
いい奴ばかりだ。
若い客が言った。
「シンディはもういいや。人妻(もとい)猫妻じゃし
ょうがねえ。これからはエレンが目当て。じゃあなシ
ンディ、バイバーイっと。へへへ」

「ぬかしたな、てめえ! シャァァーッ!」
ふざけ半分にマジで引っ掻くシンディも楽しそうに怒
っていた。