にゃんカフェ平蔵。 ミランの孤独
その日は一日雨が続き、夕刻になって小雨になった。
猫族はびしょ濡れを嫌がるから、こういう日は開店休
業といった感じになる。店を開けてはみたものの、案
の定、待てど暮らせどお客はなかった。
と、店先に人影（もとい）猫影が。はじめての店には
入りづらいらしく、チラと覗いては様子をうかがって
いる。シンディが顔を出すと相手がちょっと会釈した。
「入っていいですか？」
「カフェですもん、もちろんよ。遠慮なさらずどうぞ」
平蔵は、シンディとのそんなやりとりを聞いていて、
ずいぶん内気な人だと（もとい）内気な猫だと感じて
いた。
グレー虎柄の美女猫。アラサーといった雰囲気の落
ち着いたレディだったのだが、歩き疲れたといった様
子で、カウンター代わりの卓袱台にすとんと座った。
「コーヒーとそれから何か食べるものを」
「ロールパンのメザシサンドなんてどう？」
「はい、じゃあそれください」
「ウチではホットドッグとは言わんのですよ。といって
ホットキャットじゃ焼き猫みたいで縁起が悪い」
平蔵の冗談にちょっと笑う美女な猫。控え目で上品な
物腰からも育ちの良さがうかがえた。
「あたしミランです。金沢ミランですけど、いまは富山
の魚津に棲んでます」
ずいぶん遠い。魚津から歩き通しだと疲れるはずだ。
と、平蔵が。
「俺は世田谷平蔵。そっちはカミさんで高岡シンディ。
よろしくね」
「こちらこそ。これからもお邪魔しますので」
オーダーを出してやり、そしたらミランはガツガツ喰っ
てゲップをこいた。上品でも猫は猫。しかしやっぱり
寂しげな面色。
と、平蔵が。
「もしや、お悩みモードって感じかな？」
シンディが横からミランの横顔を覗き込む。鼻筋が
通ってマジ美女猫。
「あたしバツイチで再婚して、それで富山に来たんで
すけど、こっちの友だちとうまくいかなくて。旦那との
間もそうで、あのスカタンとんま、仕事バカのつまら
ん野郎で」
持ち前の上品さとは裏腹の言葉のギャップが面白く、
平蔵はちょっと笑った。
「というと？」
「はい。富山のご婦人（もとい）ご婦猫って、家を気に
しすぎるって言うのか、何となくつきあいにくいんです。
友だちには共働きの主婦が多いんですけど、家と職
場を往復するだけ。誘えば遊んでくれても、すぐに家
を気にしてそわそわしだす。誘わないほうがいいのか
なって思っちゃって」
シンディが言った。
「それあるかもね。真面目すぎるって言うのか、別な
言い方をするなら要領が悪いとも。いまだ大家族が
多いから家族の目を気にするし」
ミランはうなずく。
「そうなんですよ、みんないい人（もとい）いい猫なん
ですけど、もう少しオープンになれれば楽しいと思う
のに、見ていて窮屈そうで可哀想になっちゃって。
たまに合えばグチばかりなんですし、溜めてるなって
思っちゃう」
と、シンディ。
「ところでミラン、金沢では何してたん？」
「モデルです。キャットフードとか、ときどきグラビアに
も。『月刊牝猫自身』て雑誌の城下町猫特集に出た
こともありますし。前の旦那はそんな雑誌の編集者で、
彼は彼で派手すぎちゃって困ったものだったんです
が」
と、平蔵。
「なるほどね、棲む世界が少し違ったってことだな」
「そうかも知れません。ちょっとしたことなんですけど
ね、どっか違うなぁって思っちゃって」
すっかり冷めたコーヒーをペロと舐め、ミランは言っ
た。
「マスターって世田谷猫なんですよね？」
「そだよ。だけど俺は男だから女の猫さんたちとはち
ょっと違う」
と、ミラン。
「でも・・ふふふ」
縦スリット目を丸くして、何か吹っ切れた様子のミラン。
と、シンディが。
「でも？ なぁに？」
「こういうことを話せるお店を見つけたから、これから
は少しラクになれそうで。ご迷惑でなければの話です
けど」
と、平蔵。
「カフェって、そういうところだよ。お茶だけでいいなら
家でインスタントで充分なんだし。魚津だとちょっと遠
いが」
ミランは微笑む。熟女の微笑みには陰があり、平蔵
の毛並みがゾゾッと逆立ち波打った。
ミランは言った。
「じつはもう魚津じゃないの、書き置きして出て来ちゃ
った。女友だちとはともかくも、旦那とはもうダメなん
です。トンカチ頭でつまんない。スカートがミニ過ぎる
とか髪は染めるなとか、うっせえわ」
と、そんな話になったとき。
「よぉ、平蔵」
店の入り口、板壁の破れ口から、あの男がやってくる。
角刈りヘヤーの猫パンチ空手家、黒部十兵衛。さら
にもう一匹、似たようなグレーぶち柄の男と二匹。そっ
ちも見るからに猛者なムード。二匹してズカズカ歩み、
ミランの隣りにドスンと座った。
ミランはレンタル猫状態。怖くてたまらないと言った様
子。十兵衛は声までデカい。
「こいつ俺の先輩でな、黒部ボンドって言うんだが。俺
たちは糊ちゃんて呼んでるがな。ははは」
「おぅ、そうか。平蔵です、よろしく」
黒部ボンドなる男も声がデカい。
「ばーかコノぉ、余計なことぬかすな。平蔵さんか、こ
ちらこそだよ。十兵衛の奴から聞いて、いっぺん連れ
てけって言ったんだ。ボンドです、飼い主のバカッタレ
が００７の大ファンで、それでボンドだ。今後よろしく。
えーと、そちらはシンディちゃんかな？」
「あ、はい、シンディです」
と、平蔵。
「いまはカミさん。ちゃんはよしてくれ。ははは」
十兵衛はそうとは知らない。瞳孔が開いて目が丸い。
「ほほう、あっそ！ そうですか！ はいはい。やっぱ
手が早いな東京猫は。あっはっは」
豪快に笑う十兵衛。
平蔵はドロン目で頭を掻いて、シンディと目を合わせて
苦笑した。
しかし、突然現れた猛者猫二匹の隣りにいて、すっか
り萎縮してしまったミラン。耳を後ろ向きにたたんで
恐怖モード。
見るからにいかついボンドが横目を流して言った。
「で、こちらはお客さん？」
シンディが言った。
「もちろんそうよ。今夜がはじめてのお客さんで、金沢
ミランて言うんだよ」
「ほう、ミランとはまた、いい名だ。それに美しい」
と、ミランの声は震度３。ぶるぶる震える。
「い、い、いえ、その・・なはは」
笑ってごまかすしかなかっただろう。
平蔵が言った。
「一応、人妻さん（もとい）猫妻さんだ。手出しするべか
らず」
十兵衛もボンドも苦笑い。
と、平蔵が。
「ところで十兵衛、おハナちゃんはどした？」
「風邪引いたみたいだな。なんか熱っぽいから寝てる
って言うもんで」
するとシンディ。
「熱っぽいって・・あーっ、もしや・・」
十兵衛、きょとん。典型的な体育会系気質でデリカシ
ーのない十兵衛。
ボンドが笑った。
「おぉう、言われてみれば、あるいはそうかも」
「は？ なんですと？」
十兵衛、解せない。とんまヅラ。
「わからんのか、このボケ！」
平蔵は可笑しい。つられてミランも笑ってる。
ミランが言った。
「おめでたかもですよってことじゃないですか」
十兵衛、目が点。しかし直後にオロオロしだす。
「バ、バカこけ。いくらなんでも早過ぎら。えーと、
うーんと・・まさかだろ・・おいボンド」
「お？」
「ま、ゆっくりしてけや、俺はダッシュで帰る、こうしち
ゃいられねえ」
それで一同、大笑い。すっ飛んで帰った十兵衛だった。
ふっと笑って、ボンドは言った。
「おハナってよ、マジいい子なんだわ。幸せだぜ十兵
衛の野郎。料理もうまくてな、『ニボシの卵とじ』なんて
サイコーにうまいんだぜ」
と、シンディが。
「すると何かい、ボンド君は独身で？」
「００７は独身でいいんだなんて飼い主はぬかしやが
る。ったく脳天気な人間どもよ」
だいぶ慣れてきた様子のミランが言った。
「それ、あたしも得意です。きっと負けてないと思うけ
ど」
すると、ボンドが。
「俺の得意料理はニボシとまたたびの串焼きかな。キ
ャンプでよくつくるんだが、うまいぞぉ」
すると、ミランが。
「キャンプやるんだ？」
「うむ、ほとんどソロだが。『月夜はやさしい 男心に
忍び込み ほんの小さな夢をくれる 星屑に言ってや
るのさ 俺の恋はどこにあるのかと』・・てな。あはは」
００７は詩人なのか？
皆がぽかんと横顔を覗き込み、吹き出して大笑い。
しかしミランは内心どきどき。豪快でも粗野じゃない。
きっとわたしを、わかってくれる。
「キャンプ行きたい」
なにげに言ってしまったミランであった。