ぷにぺち世界一周奮闘記 -12ページ目

ぷにぺち世界一周奮闘記

ぷにとぺちの世界一周ブログ


今回は世界遺産アウシュビッツ強制収容所の情報です☆


■アウシュビッツに行く前に

アウシュビッツについて詳しくない方(詳しい方も)ガイドをつけることをお勧めします


日本語ガイドを行っている人は現在1人(中谷 剛さん)しかおらず、当日行ったらガイドをしてもらえるわけではありません。


中谷さんにガイドをしてもらいたい人は事前に予約が必要となりますのでご注意を。


英語ガイドでもいい場合は当日行けば大丈夫です


またガイドは必要がないという方でも午前10時から午後3時の間に入場する場合はガイドは必須となりますのでご注意ください


僕たちはガイド必要なかったので午前10時前に入場しました


■アウシュビッツへの行き方

クラクフからアウシュビッツへは電車もしくはバスで行きます


僕たちはバスで行ったのでその方法を説明します


バスチケットはクラクフ本駅の東側にバスターミナルがあるのでそこで購入します


当日でも買えますが僕たちは事前に買っておきました

この窓口で購入します


購入するとチケットではなくレシートをもらいます

これを乗るときに運転手に渡すので無くさないようにね(・∀・)

2014年4月時点のバス時刻表


僕たちはOSWIECIM行きの7時50分のバスで行きました


当日の朝バスステーションに向かっているといろんなおっさんにアウシュビッツへ行くなら連れていってあげるよ的なことを言われました


乗ったらたくさんお金かかりそうだし怖かったので


僕はすべて無視しましたけどね('ω')

ここがバス乗り場


道路はとても空いていて一時間ちょっとでアウシュビッツに到着しました♪


運転手がアウシュビッツついたよーー!!っていって


こんな場所で降ろされました


アウシュビッツらしき建物がなく本当にここであってるのかすごい心配になりましたがあってました

ちゃんとアウシュビッツへの看板があった☆

ここを通って中に入っていいのか不安になりますがここを抜けて進むと

ありました☆


ここがアウシュビッツの建物となります


アウシュビッツからビルケナウへ行く場合無料のシャトルバスがでています



アウシュビッツの建物を背中に左に進むと無料バスの乗り場があるよ♪

■クラクフへの帰り方

クラクフへは帰りもバスを使って帰りました


本数がかなり少ないのでご注意を!!

バス停はアウシュビッツの建物を背中にしてずっとまっすぐ歩いてつきあたりを右にいくとこのバス停があります


15時50分のを乗りましたがかなり混み合ってました


これでみんなもアウシュビッツまで行けちゃうね≧(´▽`)≦


近年アウシュビッツへの入場者は増えているのですが日本人は少ないみたいです


お隣韓国よりも少ないみたいです


忘れてはいけない負の歴史を日本人の多くの人に知ってほしいと強く思います


本日も読んでいただきありがとうございます☆
ブログランキングに参加しています
(・ω・)
ぽちっとボタンを押すとポイントが入る仕組みです♪
応援のワンクリックお願いします☆

PC・スマフォの方はこちら


にほんブログ村
携帯電話の方はこちら

にほんブログ村 世界一周


※ワンクリック詐欺ではないのでご安心を(笑)
『いいね』ボタンだと思ってください♪
1日1クリックしてくれると踊って喜びます

前回の続き


歴史上最悪の悲劇が起きていた場所

アウシュビッツ強制収容所

ヨーロッパ中からユダヤ人やジプシーなどが連れてこられました

上の地図を見てわかるようにアウシュビッツはヨーロッパの中心に位置しています

上の記録によると収容された囚人は130万人

内訳として
ユダヤ人 110万人
ポーランド人 14~15万人
ロマ(ジプシー) 2万3千人
ソ連軍 1万5千人

ユダヤ人が圧倒的に多いことがはっきりとわかります

アウシュビッツ強制収容所で現在様々なものが展示してあります


それらは数字だけではわからなかったことやアウシュビッツで起きたことの恐ろしさを無言で語り掛けてきます


150万人以上の人がここで虐殺されたというのはわかっているけど150万という数字がどれだけのものなのか想像するのは難しいと思います


今回この展示を見ることにより150万をただの数字ではなく肌で感じることができました

没収された眼鏡

没収されたクシやブラシ

身体障碍者の義手や義足

没収された鞄


返されるときにわかるようにと名前を書かしています


これで囚人たちに少しでも希望を持たせようとしたんでしょう

没収された食器や鍋


みんな新天地に夢見てこういったものを持ってきたんでしょう

没収された大量の靴

これはベルリンに送った報告書です


金が何グラム、銀が何グラムと書いてあります


ここにはガス室や銃殺などで虐殺した囚人の金歯が何グラムなど詳しく書かず、ただ金が何グラムと書いているだけです

囚人は収容所に来ると髪の毛を刈られ、写真を撮られます

そして囚人番号を付けられます


この日から名前はなくなり囚人番号で呼ばれるようになります


アウシュビッツには死の壁と呼ばれる場所があります

ここでは多くの人が銃殺されていました



今は多くの花が手向けてあります

壁の隙間には石が置いてあります


これはユダヤ人の人達が亡くなった方たちへ

「安らかにお眠りください」

という意味を込めて石を置いています


ここは歴史を物語る場所であるだけではなくお墓という一面もあるのだと考えます

奥に見える一軒家はアウシュビッツの所長ルドルフ・ヘスが住んでいた家です


収容所の敷地内で妻と子供5人で緑の中暮らしていました

収容所の敷地内でこの所長の公開処刑が行われました

収容所はこの他にビルケナウという約53万坪もある巨大な収容所もあります

ビルケナウ(第2アウシュビッツ)



多くの囚人を殺したガス室の跡


撤退するナチスにより犯罪の痕跡を消すために爆破されました

レンガで作られた囚人棟


この3段ベッドでは1段ごとに約8人の囚人が寝ていました

トイレは1日に2回のみ


なんの目隠しもなく不衛生であり、人間としての扱いはされていませんでした

2回にわたってアウシュビッツ強制収容所について書きましたがみなさんはどんなことを感じましたか?


今回アウシュビッツに行くことによっていろいろなことを考えるきっかけにもなりました


この最悪な歴史は多くの人が知る必要があると思います


じゃあこの歴史を知ったからといってその人に大きな変化があるのかといえばないと思います


でも知ることによって同じような悲劇の発生を防ぐことができるかもしれません


元囚人の方は言います

『全世界で何百万もの人々がアウシュビッツ収容所の歴史を知っていますが、”そのような悲劇が繰り返されないためには人々の意思が必要である”という意識とその記憶を維持することが、現在最も大切なことなのです。人間こそがそのような悪事を働き、しかしそれを防げるのも人間しかいません。』

過ちを起こすのが人間、それを止めるのもまた人間なんですね


みんなの意識で世の中は変わっていくので、できれば良い方に変わっていくことを望みます


この記事をきっかけにみなさんがなにか考えるきっかけになればと思います


本日も読んでいただきありがとうございます☆
ブログランキングに参加しています
(・ω・)
ぽちっとボタンを押すとポイントが入る仕組みです♪
応援のワンクリックお願いします☆

PC・スマフォの方はこちら


にほんブログ村
携帯電話の方はこちら

にほんブログ村 世界一周


※ワンクリック詐欺ではないのでご安心を(笑)
『いいね』ボタンだと思ってください♪
1日1クリックしてくれると踊って喜びます




本日からは僕が行ったアウシュビッツ強制収容所について書いていきたいと思います


みなさんアウシュビッツ強制収容所についてはご存知ですか?


世界遺産の「負の遺産」ということでも有名だと思います


詳しくは知らないけど名前だけは知っているという方もいると思いますので少し説明します。


ナチス・ドイツの強制収容所であるアウシュビッツはポーランド南西部に第2次世界大戦中(1940年~1945年)にドイツにより作られ、ホロコースト・大虐殺・暴力の象徴と言われています。

※ホロコーストとはナチス・ドイツによるユダヤ人などの大虐殺を指します


アウシュビッツで死亡者数については諸説あり詳しくは分かっていません。
以前裁判で400万人が死亡したと認定されたが現在は150万人だといわれています。

なぜ正確な人数がわからないのか?


それはほとんどのユダヤ人は到着したらすぐにガス室に送られ、ファイルに登録される前に殺されていったから


そもそもなぜナチスは大虐殺を行ってきたのか?


ナチスの思想として反ユダヤ主義や血統的に優秀なドイツ人が世界を支配する運命を持つをいう過激な思想があり、血統を汚すとされたユダヤ人などの絶滅を計画していったのです。


アウシュビッツでは死が日常的に行われていました。
しかも完璧なシステムの中で。


ユダヤ人というだけで殺されていった人達。


アウシュビッツでどういったことが行われていたのか僕たちが行ったアウシュビッツ強制収容所の写真とともに説明していきます。


アウシュビッツの敷地内に入ると正門があります

ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)


これを作ったのは被収容者


被収容者の収容所も被収容者により作られます


この門を抜けて実際に出られた人は10人に1人以下


ほとんどの人に自由なんてこなかったんです


実はARBEITの「B」が反対になっています

これはこのゲートを作らされた被収容者のせめてもの抵抗だったと言われています


この門をくぐった囚人たちは毎日労働に駆り出されます


労働に行くとき、帰ってくるときスムーズに行進ができるように音楽隊が演奏をしていました

上の絵では労働を終えた囚人たちが死体を運んでいます


毎日厳しい労働により死ぬ人がいました


その死体を運び処理するのもやはり囚人


ゲートを抜けると収容所が見えてきます

ここで多くの人が亡くなっていったと思うとぞっとします


敷地の周りには鉄線が張り巡らされており逃げられないよう電流も流れていました

何人の人が逃げようと思ってここで死んだか


何人の人が外に出れると信じていたか


囚人たちはここに送られてきた日にこう言われます


「お前たちの出口は一つしかない。焼却炉の煙突だ。」


ここで行われた歴史上最大の悲劇はまだたった70年前のこと


現実から目を背けず見ていきましょう


労働はどういったものだったか


収容所の建設や石炭採掘などもありましたが


「午前は穴を掘って、午後はその穴を埋める」


といった全く生産性のない無意味な仕事もあったそうです。


人間はこのような無意味な仕事をさせられると体力の前に精神的にやられます


そのため死刑やガス室に次いで効果的な虐殺方法は労働でした


労働は休みなく走りながら行わなければならなかったそうです。

上の絵は収容所を作っている風景です


シャベルを持って作業をしている人だけが囚人ではないんです


それを監視する監視員も実は囚人なんです


このように囚人に囚人を監視するようにし、囚人内の立場に差をつけていました


連携や暴動などを防ぐ狙いがあったと考えられます



ほとんどのユダヤ人たちは全財産をもってここに来ました


それは

「ユダヤ人のための新しい場所がある。安住の地を与える。」

と言われていたから

上の写真は収容所行の列車に乗る様子です


列車には身動きがとれないほど押し込まれ座ることもできませんでした

収容所に着くとまず最初に選別が行われます


この選別で「労働者」か「価値なし」かが決まります


労働できそうな人は収容所へ、できないと判断された人はガス室へ送られます


すなわちです


運ばれてきた人の約70%の人がガス室へ送られました


老人・妊婦・子供はほとんどの場合ガス室へ送られました

上の写真は選別の様子


医師が「労働者」か「価値なし」かを選別しています


右上にある行列はガス室への列です


写真内でそちらに指をさされた老人はガス室へ行くということになります


この右か左かで「生きるか」「死ぬか」が決まっていました

選別を待っている時の写真です


子供たちは親と一緒にいます


これは親は子供がいれば暴れず、子供は親がいれば騒がないからです


そしてこの後ガス室に行くことになります

ここがガス室


ガス室に来た囚人たちはシャワーに浴びると言われていました

囚人たちを騙すため天井にはシャワーが取り付けてあったみたいです


ここでは毎日何百人という人たちが死んでいきました


死ぬといっても15分から20分もの間苦しんで窒息して死にます


想像するだけでもとても辛いです


使用したガスはチクロンBというものでした

元々は殺虫剤なので長く苦しんで死んでいったのです


死体は同じ建物内にある焼却炉で燃やします

殺すのも死体を運ぶのも焼却炉で燃やすのもすべて囚人


つまり

ユダヤ人がユダヤ人を殺していたんです


ナチス・ドイツの隊員は一切手を使いません


きっとそのためナチス・ドイツの人間はこんな残酷なことをしていても手を加えているわけではないので精神的に大丈夫だったのかもしれません


長くなったので今日はここまでにします


本日も読んでいただきありがとうございます☆
ブログランキングに参加しています
(・ω・)
ぽちっとボタンを押すとポイントが入る仕組みです♪
応援のワンクリックお願いします☆

PC・スマフォの方はこちら


にほんブログ村
携帯電話の方はこちら

にほんブログ村 世界一周


※ワンクリック詐欺ではないのでご安心を(笑)
『いいね』ボタンだと思ってください♪
1日1クリックしてくれると踊って喜びます