本日からは僕が行ったアウシュビッツ強制収容所について書いていきたいと思います
みなさんアウシュビッツ強制収容所についてはご存知ですか?
世界遺産の「負の遺産」ということでも有名だと思います
詳しくは知らないけど名前だけは知っているという方もいると思いますので少し説明します。
ナチス・ドイツの強制収容所であるアウシュビッツはポーランド南西部に第2次世界大戦中(1940年~1945年)にドイツにより作られ、ホロコースト・大虐殺・暴力の象徴と言われています。
※ホロコーストとはナチス・ドイツによるユダヤ人などの大虐殺を指します
アウシュビッツで死亡者数については諸説あり詳しくは分かっていません。
以前裁判で400万人が死亡したと認定されたが現在は150万人だといわれています。
なぜ正確な人数がわからないのか?
それはほとんどのユダヤ人は到着したらすぐにガス室に送られ、ファイルに登録される前に殺されていったから
そもそもなぜナチスは大虐殺を行ってきたのか?
ナチスの思想として反ユダヤ主義や血統的に優秀なドイツ人が世界を支配する運命を持つをいう過激な思想があり、血統を汚すとされたユダヤ人などの絶滅を計画していったのです。
アウシュビッツでは死が日常的に行われていました。
しかも完璧なシステムの中で。
ユダヤ人というだけで殺されていった人達。
アウシュビッツでどういったことが行われていたのか僕たちが行ったアウシュビッツ強制収容所の写真とともに説明していきます。
アウシュビッツの敷地内に入ると正門があります
ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)
これを作ったのは被収容者
被収容者の収容所も被収容者により作られます
この門を抜けて実際に出られた人は10人に1人以下
ほとんどの人に自由なんてこなかったんです
実はARBEITの「B」が反対になっています
これはこのゲートを作らされた被収容者のせめてもの抵抗だったと言われています
この門をくぐった囚人たちは毎日労働に駆り出されます
労働に行くとき、帰ってくるときスムーズに行進ができるように音楽隊が演奏をしていました
上の絵では労働を終えた囚人たちが死体を運んでいます
毎日厳しい労働により死ぬ人がいました
その死体を運び処理するのもやはり囚人
ゲートを抜けると収容所が見えてきます
ここで多くの人が亡くなっていったと思うとぞっとします
敷地の周りには鉄線が張り巡らされており逃げられないよう電流も流れていました
何人の人が逃げようと思ってここで死んだか
何人の人が外に出れると信じていたか
囚人たちはここに送られてきた日にこう言われます
「お前たちの出口は一つしかない。焼却炉の煙突だ。」
ここで行われた歴史上最大の悲劇はまだたった70年前のこと
現実から目を背けず見ていきましょう
労働はどういったものだったか
収容所の建設や石炭採掘などもありましたが
「午前は穴を掘って、午後はその穴を埋める」
といった全く生産性のない無意味な仕事もあったそうです。
人間はこのような無意味な仕事をさせられると体力の前に精神的にやられます
そのため死刑やガス室に次いで効果的な虐殺方法は労働でした
労働は休みなく走りながら行わなければならなかったそうです。
上の絵は収容所を作っている風景です
シャベルを持って作業をしている人だけが囚人ではないんです
それを監視する監視員も実は囚人なんです
このように囚人に囚人を監視するようにし、囚人内の立場に差をつけていました
連携や暴動などを防ぐ狙いがあったと考えられます
ほとんどのユダヤ人たちは全財産をもってここに来ました
それは
「ユダヤ人のための新しい場所がある。安住の地を与える。」
と言われていたから
上の写真は収容所行の列車に乗る様子です
列車には身動きがとれないほど押し込まれ座ることもできませんでした
収容所に着くとまず最初に選別が行われます
この選別で「労働者」か「価値なし」かが決まります
労働できそうな人は収容所へ、できないと判断された人はガス室へ送られます
すなわち死です
運ばれてきた人の約70%の人がガス室へ送られました
老人・妊婦・子供はほとんどの場合ガス室へ送られました
上の写真は選別の様子
医師が「労働者」か「価値なし」かを選別しています
右上にある行列はガス室への列です
写真内でそちらに指をさされた老人はガス室へ行くということになります
この右か左かで「生きるか」「死ぬか」が決まっていました
選別を待っている時の写真です
子供たちは親と一緒にいます
これは親は子供がいれば暴れず、子供は親がいれば騒がないからです
そしてこの後ガス室に行くことになります
ここがガス室
ガス室に来た囚人たちはシャワーに浴びると言われていました
囚人たちを騙すため天井にはシャワーが取り付けてあったみたいです
ここでは毎日何百人という人たちが死んでいきました
死ぬといっても15分から20分もの間苦しんで窒息して死にます
想像するだけでもとても辛いです
使用したガスはチクロンBというものでした
元々は殺虫剤なので長く苦しんで死んでいったのです
死体は同じ建物内にある焼却炉で燃やします
殺すのも死体を運ぶのも焼却炉で燃やすのもすべて囚人
つまり
ユダヤ人がユダヤ人を殺していたんです
ナチス・ドイツの隊員は一切手を使いません
きっとそのためナチス・ドイツの人間はこんな残酷なことをしていても手を加えているわけではないので精神的に大丈夫だったのかもしれません
長くなったので今日はここまでにします
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