2023.09.24 箕輪城 〜日本百名城(#16) | カイザーのブログ

カイザーのブログ

ブログの説明を入力します。

まだまだ暑い日差しの中、群馬県高崎市にある日本100名城の一つ箕輪城に登城。

 

1512年に上野国の土豪である長野氏が築城した平山城。築城者は有名な長野業正

の祖父になるらしい。標高270mの河岸段丘の上に築かれた、東西500m、南北

1,100mの大きな規模のお城。

 

虎鞱口駐車場にクルマを止めて、三の丸脇の大堀切の底を伝って城内に入るルート

を選択。

 

(城内見取り図)

 

(大堀切の石垣の跡)

実際に城が機能していた時代には、堀切を伝って城内に侵入されるのはまずいので

石垣が数カ所直交する形で築かれていて、横断・進入を防いでいたようです。

 

(両側が土居の大堀切の底に階段が設けられている)

 

(大堀切を登った上から見たところ)

堀切の底を伝って、階段を登っていくと土居に登れる階段があり、

目の前には二の丸と郭馬出しをつなぐ土橋が見えてきます。

 

(土橋)

左が二の丸、右が郭馬出し。

それらをつなぐ土橋とその基礎部分に石垣が築かれている。

 

1570年代は武田氏の所有、1580年代は北条氏の所有、1590年の北条氏滅亡・徳川家の

関東入封に伴い、徳川四天王の井伊直政が12万石で城主となったそうです。

 

築城当時の1500年代は土の城であったようで、これらの石垣は井伊直政の時代に近代

城郭に改造された時に設けられたもののようですが、1598年には高崎城への移封に

ともない廃城になってしまいます。

 

(馬出し西虎口門)

写真左下に見えるのが土橋の基礎部分の石垣。その右手に郭馬出しがあり、

その前に二階建ての櫓門が再建されています。

 

(説明板)

 

(二の丸側から振り返る)

二階建て櫓門をくぐり、郭馬出しに入り、さらに土橋を渡ると二の丸にたどり着きます。

 

二の丸側から櫓門を振り返った風景が上の写真。

左の空き地が郭馬出し、人が渡っているのが大堀切を渡す土橋、

そして撮影者がいる場所が二の丸になります。

 

さらに進むと意外に広い本丸跡地が出てきます。

 

(本丸)

 

石碑の説明文によれば、6箇所の馬出しを備え、南北に長く大規模なお城で

後背地になる御前曲輪の井戸をはじめに、用水が完備されていて、堅固な城

であったようです。

 

(本丸と蔵屋敷のある御前曲輪とを結ぶ橋)

 

規模もそれなりで、長野業正、井伊直政という戦国時代のそれなりに有名な武将の

居城である割に、説明文や案内図が簡素な印象のする百名城でした。

 

 

(2024.05.22 掲載)