群雄割拠と言えば、戦国時代の代名詞となっている。
誰彼構わずに天下を目指していたとされているが、実際は、織田信長公以外は天下を目指していなかった。
と言うよりも、信長公だけが、"天下"を違った視点から見ていたのだ。
分かり易く現代に置き換えると、丁度令和の現在、室町時代や鎌倉時代末期に似ている。
権力者は天下万民よりも私利私欲に走っていて、権力者だけで無く官僚も私利私欲に走っていた。
そこに三好長慶という大名が登場して、足利義輝を将軍に付けて政治改革を断行していった。
これが、自民党を建て直すとか、他の野党が政権を取って日本を保守の美しい国に戻すと言っているのと同じである。
三好長慶が亡くなった後に、三好三人衆と言われて、三好長逸(ながやす)、三好政康、岩成友通の三人が権力を持ち、足利義輝と対立し始め最終的に将軍を殺すのであるが、この後に歴史の表舞台に颯爽と登場して来たのが織田信長公なのだ。
信長公は、三好三人衆を蹴散らし、足利義昭を15代将軍に据えて、天下に号令し始めたが、最終的に足利義昭を追放して足利幕府を倒してしまったのだ。
現代風に言えば、野党も与党もダメだ。ダメなのは日本政府であるのだから、政府を倒して新政府を作る。
皆さんもこれが、日本を再生する最善策だとは思いませんか?
さて、国会は群雄割拠をシリーズとして、私が興味を持った大名家を考察しようと思う。
何故か?
温故知新である。
故きを温ねて新しきを知るを知ることによって、現代の次の一手の最善策を見付けることが出来るからである。
日本開闢いれい、ここまで国民を踏みつけている政府は、他に累を見ないと言える。
皆さんは江戸時代は民主主義であったと思いますか?
実は江戸時代、日本式民主主義であったとAIは応えている。
確かに国民に参政権はなかったが、公然と政治批判は出来た。
徳川家康公は、政治と金を分離したのだ。
政治を行うのは、支配階級とされた武士出会ったが、武士は商売が出来ないから、権力と金の分離に成功したのだ。
そして、武士は支配階級だからこそ、襟を正し例え貧しくとも人々のために働くのが役目だと思っていた。
幕閣は大名がになっていたから、これも金には縁が無かった。
こうして老中合議制が日本の政治を動かしていたが、町人の反対により老中更迭も珍しくなかった。
詰まり、民意は政に反映されていたのだ。
本日は室町時代を少し理解する必要がある。
その前に、戦国時代とはどういった味代なのかも理解する必要がある。
戦国時代は朝から晩まで戦戦の時代を思い浮かべるが、実は室町時代を通して平和な一時であった。
室町時代は全て足利尊氏という優柔不断な男のせいで、以降戦に明け暮れる羽目になったといえる。
その第一は相続法の不備なのだ!!!
鎌倉時代の相続は、兄弟平等に分けていたが、これが数世代経つと貧困の根本原因となったのだ。
例えば、私が個人で関東平野全域を持っていたとする。
私には男子が5人いたので、関東平野を5等分して相続させた。
子供たちもそれぞれ5人の男子に恵まれたので、それぞれ相続に5等分した。
私から見れば、孫の代で既に独り頭1/25の土地になっているのだ。
こうして、鎌倉時代後期は、御家人が貧困化したのだ。
これが倒幕に繋がったといえる。
それを見た足利は、兄弟で分配を止めて、惣領相続制とした。
ここまでは良かったが、「問題は誰を惣領にする?」を明確に法令化しなかったのだ。
室町時代の戦は、常に誰が惣領か?での守護大名家内の争いであった。
更に、足利尊氏が領地を大盤振る舞いしすぎて、将軍家の領地よりも守護大名の領地の方が多かったのだ。
特に山名家は、日本全体で66各国会った内、11カ国も持っていて、付いた名が"1/6殿"であったという。
室町幕府は始まりから、爆弾を抱えての出発であったのだ。
室町時代、支那は明国であったが、足利義満は朝貢を始めた。
これは臣下の礼を取っているというか、実は臣下の礼では無く、足利は恐喝に行っていた。
当時の明国は朝貢相手としか貿易をしていなかったので、日本も朝貢をしていたが、「実際には貢ぎ物をした分の10倍よこせ」と武力をちらつかせていた。
今の日中間関係と真逆であったのだ。
更に、商船が支那に渡ると、先ずは略奪暴行して、「もう飽きたから、そろそろ商売するか・・・」であったという。
今の日本人とは真逆であったのだ!!!
欲しいから分捕る。「彼奴気に入らないから殺すか?」で戦をする時代であったという。
倭寇を使って貿易を有利に行っていたのであった・・・
そして、政治的には無能のレッテルを貼られている八代将軍足利義政であるが、彼が一番えげつない恫喝を支那に対して行っていて、明朝は「もう来なくていいですから・・・、もし来るのでしたら今年の半分以下でお願いします」とまで言わせたという・・・
こうしたイケイケドンドンの室町武士たち、彼らを考えを根底から覆し、中世大名家を一変した出来事が起こった。
それが応仁の乱である。
つづく