今年ももう終わってしまう。
アメリカにいると日本にいる時よりも時間に余裕がある。
そこでPlayStationで“信長の野望”三昧だったり、日本から持ってきた大河ドラマの武田信玄などを観ているのだが、ふと疑問が生じた。
それは、戦国時代の糞尿の処理である。
汚い話だが、これは現実的な課題であり、ロサンゼルスでも東京でも糞尿処理が確実に行われているから、我々は安心して暮らせているなだ。
そこで、この問題を考察してみた。
◆ 関ヶ原は、たった半日で終わった…が
関ヶ原の戦いは、たった数時間で決着しました。
でも、勝敗はその4日前、
徳川家康がまだ剣も抜いていない時点で、もう決まっていました。
9月13日。
家康は関ヶ原の東側に先遣隊を送り込みます。
彼らがまずやったことは、敵を探すことではありません。
- 湧き水の場所を調べる
- 陣の高低差を確認
- 糞尿を捨てるための溝を掘る
- 馬防柵を作る
つまり――
「ここで生活できる基地」を作ったのです。
◆ 西軍は、ほぼ“そのまま野営”
一方の西軍。
9月15日の未明、
霧の中を突貫で関ヶ原へ入り、ほぼそのまま配置につきました。
- 地形はよく分からない
- 水は下流側
- 陣地は未整備
- 兵は徹夜明け
数万人が一晩で出す排泄物は、数十トン。
処理できなければ、
臭い・疫病・士気低下で、軍は内部から崩れます。
つまり西軍は、
戦う前にすでに「生活インフラ戦争」で負けていたのです。
◆ 無敵のはずの武田信玄は、なぜ京へ辿り着けなかったのか
信玄の最期の上洛作戦。
一般には
「病気で倒れたから失敗した」
と説明されますが、余は違うと思っています。
信玄の軍は、
- 甲斐・信濃という“自国の地形”では最強
- だが進めば進むほど、補給線は細くなり
- 地元の協力も得られず
- 衛生管理も無いまま、軍は疲弊していった。
信玄の死は、原因ではなく結果。
兵站と生活基盤が崩れた“症状”にすぎなかったのです。
強い軍が勝つのではない。
生活できる軍が、最後に残る。
関ヶ原も、信玄の上洛も、
剣や鉄砲ではなく、
水と、糞尿と、睡眠が勝敗を決めた戦いでした。
戦国とは、
最も人間臭く、最も現実的な
「生活戦争」の時代だったのです。