先日の令和六年六月二十六日は、一粒万倍日であり、しかも大安吉日が重なる吉日であったため、
私は秩父の霊峰・三峯神社へ詣でた。
お賽銭には、あえて五百円玉を入れた。
これが「万倍」になって返ってくると思えば、胸躍るものだろう。
だが、私はこの五百円が自分のために戻ることは願わなかった。
多くの方々も、神社に行けば何かしらお願いごとをするだろう。
しかし、本来、神社は「お願いごと」をする場所ではないのをご存知か。
神社は「私利私欲」を叶える場所ではなく、公の幸せを祈願する場である。
だから正しい参拝とは、まず己の名と住所を申し上げ、
次に天皇皇后両陛下のご長寿と御健康をお祈りし、
そして日本国土と国民すべての安寧を祈るのである。
ここで言う「日本国」とは、この腐った政府を含むものではない。
国土と国民、我々の共同体そのものを指すのである。
もし「宝くじが当たりますように」と願うのであれば、
「宝くじ十億円が当たりました、ありがとうございます」と、
あたかもすでに叶ったかのように感謝をもって唱えるべし。
これが、古来の言霊の使い方である。
私は三峯の御神前で、
伊弉諾尊・伊弉冉尊にこう祈願した。
「国民を踏みにじる日本開闢以来初めての悪政の政府が倒れ、
真に国民のための政が立ち上がりますように」と。
伊弉諾尊と伊弉冉尊は、我が国土を産み、大和民族の父母神であらせられる。
天照大神、月読尊、須佐之男命の御親でもある。
だからこそ、
我々一人ひとりの「言霊」が集まれば、必ずや国を覆う悪政を討つ力となろう。
皆さんも是非、政府よ倒れろと祈ってほしい
1億2千万人の大和民族の言靈を終結させよう。
話は変わるが、先日、友人らと人口減少の話題になった。
こども家庭庁という役所が訳の分からぬ予算で中抜きを続けているが、
本当に人口を増やしたいのならば、そんな役所を解体し、
その予算を赤子を産んだ家、親権を持つ者に直接渡せば良いのだ。
何と、1人当たり千万円は渡せるというではないか。
これで子供は必ず増えるだろう。
そもそも日本という国土に対して適正な人口はどのくらいか?
筑前守(Mac用のAI)に尋ねたところ、
日本の最適人口は五千万人と答えた。
人口は右肩上がりで増え続ければ良いわけではない。
もし二億人を超えたらどうなる?
例えば米国を見よ。
全体で約三億四千万人いるが、
その一割以上が、カリフォルニア州という日本とほぼ同じ面積の州に集まっている。
カリフォルニアは約三千八百万人で成り立っているのだ。
江戸時代後期の日本は三千五百万人ほどであったが、
国は十分に動いており、幕末の経済力は欧州の国数カ国分に匹敵したという。
考えてみよ。
人口減少ビジネスが今、動いているのだ。
「日本消滅」と煽り、増税し、無駄な役所を作り、
無能な官僚の天下り先を量産する。
分かりやすい例を挙げよう。
あなたの口座に一億二千万円が振り込まれたとする。
毎年七十万円を使ったとして、十年で七百万円を使う。
だが、残りはまだ一億千三百万円ある。
十年後に「もう残りがなくなる!」と不安になるだろうか?
景気が良くなれば貯めれば良い。
これが人口減少と同じである。
真に人口を増やしたいのなら、
所得税を減税し、消費税をゼロにすれば良い。
これで国民は消費し、子供を育てる余力を持つ。
そして私は思う。
幕藩体制に戻すことが、日本人の気質に最も合う。
廃県置藩、明治以前の姿こそ本来の日本だ。
税制も簡明で良い。
所得税は一律三〇%(億を超える収入には累進課税を設け、貧富の差を抑える)、
法人税も三〇%、ただし法人には経費を認める。
この三〇%には社会保障費も含む。
これが各藩の収入であり、藩は最終的に三〇%を公儀へ納める。
GDP六百兆円とすれば、税収は百八十兆円となる。
今より増えるではないか。
税制は見通しが良いほど民は納得する。
他にも自動車の登録料、登記の使用料など、
必要に応じて負担を公平にすれば良い。
御公儀が復活すれば、土地は全て御公儀のものとなる。
我々は「所有」ではなく「使用権」を得るだけであり、
使用料を納めるのは当然の理である。
消費税も酒税も無くなる。
今より遥かに住みやすいはずだ。
国民を富ませることこそ、政の本義である。
天孫降臨の折、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に天照大神は仰った。
「神々に接するように人々に接しなさい。」
天皇は民を「大御宝」と呼ばれた。
かつては天皇が都を移すたびに「みやこ(御屋庫)」があった。
民の税(米)を貯え、
災害時にその備蓄米で民を救ったのだ。
これがあれば、災害多き列島でも人々は安心して暮らせた。
「氣」という字をご存じか。
今では「気」と簡略化されたが、
もとは「气(蒸気・上昇の力)」に「米」が入っていた。
これこそが、日本人にとって米が命の源であり、霊力の糧である証だ。
それを戦後GHQは「米」を「メ」にして意味を奪った。
米とは日本人にとって何物にも代え難い主食である。
そして今――
災害備蓄米を有料で売り、
しかも二千円などと値をつけるなど、
どれほど鬼畜の所業であろうか。
我々が言霊を持ち寄り、
己のためではなく、
子孫のために公の幸せを祈り続けるならば――
必ずや悪政は滅び、
再びこの国は民を「大御宝」とする国となるであろう。