7月2日〜7月12日までの10日間、北方面独りツーリングへ行ってきた。
今回は総括なので、個別の案件は後ほど書くとする。
全体的にはまあ天気に恵まれたと言える。
10日間の旅程で雨に降られたのは、3日ぐらいであった・・・
今回の面白かったのは、旅の醍醐味である一期一会であるといえる。
初日、関東平野は晴天で、赤城高原辺りはピーカンであった。
越後の下越の新発田城へ行った折、白のボランティアの人と語り合ったのが楽しかった。
そこで思わぬ事実を知り長年の謎が解けたのだ。
それは、新潟県の燕市と三条市だが、この二つの市は隣り合っているのに仲が悪いのである。
新幹線の駅名"燕三条駅"の命名でも揉めに揉め高速道路のICの名前は三条燕ICとなり、事なきを得たという・・・
新潟県で有名な地名と言えば、長岡、上越高田、新潟市、村上とうとうであるが、新潟市は長岡藩であった。
長岡藩は名門牧野家が代々領主であったが、この牧野家、公儀の要職を歴任していたらしく、参勤交代が実質無かったという・・・
そして、下越には新発田藩があった。
新発田藩は江戸時代を通して溝口家が領主を務めていた。
ここまで書けばお分かりであろう・・・
現在の燕市と三条市は、江戸時代から藩が違っていたのだ・・・
戊辰戦争当時、中立を主張した新発田藩に対し、薩長土佐と徹底抗戦をした他の藩との確執もあり、新発田は"裏切り者"と蔑まれていたという・・・
燕市と三条市の仲違いも納得できたのだ。
新発田城の本丸には旧帝国陸軍の駐屯地とされていた関係で、現在も防衛省の持ち物であり、自衛隊の駐屯地となっている。
鳴子温泉に行った折、宿泊ホテルから徒歩1分に有名な滝之湯という温泉があるというので、行ってみた。
鳴子温泉とは、仙台から車で約1時間半北西に行った場所にある名湯であり、大崎出身の知り合いの話だと「宮城県と言えば秋保温泉と思っている人が多いけれど、鳴子温泉の方が名湯」と言っていたので行ってみたのだ。
滝之湯は湯本であり、源義経も入ったらしい名湯であるという。
ここはさほど広くはないが、湯が真っ白であったが、洗い場には石鹸シャンプーとうはなく、一見であった私は常連さんに挨拶をして入り方(その場その場で違う)を教わった。
すると、手桶で身体を欲流した後に湯に浸かれば良いと教えてくれた。
湯船に入ろうとしたら「兄さん、ここはいきなり入ると熱いから先ずは向こうのぬるめの湯船で身体を慣らした方が良い」と別の常連さんが教えてくれた。
そう言えば、SNSで何処ぞの馬鹿なガキが「挨拶などする必要は無い」と言って炎上しているのを思い出した。
まあ、世間知らずのガキだし、日本以外では挨拶を出来ないと命を落としかねない場所も多々あるのに・・・
挨拶をして礼を保って接すれば、皆と仲良く語らえるのに・・・
名湯に浸かりながら、暫し常連さんと語らうことは贅沢ではないか?
鳴子温泉を後にして、平泉の中尊寺を尋ね、花巻市の南部侯、宮澤賢治も立ち寄った蕎麦屋で椀子蕎麦を堪能した。
結果は90杯で"大関"であったが、この写メを友人に送ったら「水を飲まなければ100杯行けたんじゃないの?」と言われたが、実際に挑戦するとここから10杯は結構キツかったが、次回はチャレンジする!!!
本州の移動は、東京〜新潟のみ高速道路を利用したが、新潟→喜多方→鳴子温泉は全て一般道を利用した。
二日目のこの移動が凄い雨であった・・・
一昨年に北海道ツーリングの為に買ったBMWのオリジナルライダーズギヤが役に立った。
アドベンチャー用だが、多くは雨が降るとライダーズギアにRain用ウエアを重ね着するタイプであったが、それが面倒でそもそも雨もしのげるタイプを買ったのであった。
結果、さすが定価30万円超だけあって、濡れないのだ・・・
しかし、気が付いたのだが、身体は濡れないのだが、表面は雨に辺り水が染みこんでいた・・・
どうも日本製とは根本の考え方が違いのかもしれない・・・
ホテルにチェックインのさい、手を拭いても拭いても水がしたたり落ちてきた・・・
部屋に入ると先ずは、バスルームでジャケットとズボンをハンガーに掛けて水気を落とし、次にエアコンの吹き出し近くに掛けて乾かした。
まあ、ホテルの部屋は常に乾燥しているので、加湿に丁度良かった・・・
強烈だったのは、玉川温泉であった。
WEBで予約したのだが、一泊食付きで1万円ぐらいだったので「妙に安いな〜」と思いながらも行ってみた。
前回、Harley仲間のカズちんと泊まったときは、洗面やトイレ、TVもあったので安心していたら、実際の部屋を観て泣きそうになった・・・
「これってめぞん一刻の一刻館だ〜」で五代君の心境になった・・・
TVも無いし、洗面トイレは共同であった・・・・
畳は6枚有るが、部屋が正方形であるので、これって四畳半だよな〜と思いながらも、まあ折角だから楽しまねばと思考を変更し、日本一の強酸性の湯を堪能した・・・
4日目は玉川温泉から十和田湖温泉までであったが、これを真面行けば2時間であるが、八幡平アスピーテラインを堪能しようと思い、向かったのが間違いであった・・・
八幡平の上は雲の中で、初めて飛行機で雲に突っ込んだことを思い出した。
破線のセンターライン3本先が見えないぐらいの濃霧=雲の中であった。
航空機ならば諸々の計器類で問題なく飛行できるが、車やバイクはOUT状態であった・・・
何とか山を越えて岩手県側に出られたが、今思っても怖い経験であった・・・
この日の最重要ミッションは、洗濯であった。
予めGoogleMapでコインランドリーを探しそこに向かって進んでいた。
洗濯物をぶっ込んだ袋からは芳ばしい臭いが立っていた・・・
私のBMWライダーズギアは、雨を通さないということは、汗も通さないということである。
汗は服や下着が吸うために、更に前日の雨の湿気と混じってまあ臭い・・・
立ち寄ったコインランドリーは新しく、洗濯機も最新型であった。
小一時間を潰して、綺麗になった衣類を畳みバックに放り込み更に北上した。
安比高原に寄ったが、例の安比タワーの一泊の料金にぶっ飛んだ。
30代の頃、知り合いの会社が安比タワーに部屋を購入していたので、良くスキーで泊まったが、一泊10万円の価値があるとは思えないのだが・・・
雪のないゲレンデの違和感が面白かった。
十和田湖温泉へ向かう途中に大湯ストーンサークルという案内に牽かれて立ち寄ってみた。
これは縄文時代後期の4000年〜2500年ぐらい前のものであるという。
ここに人が住んでいた痕跡が無いことから、ここは聖地であり周りの集落から人々が集まってお祭り等をしていたのでは?と考えられている。
更に、日時計まで作っていたと言うからかなり高度出会ったと思う。
他の国と違って、この遺跡を作ったのは我々のご先祖である。
この場で何をしていたのか?と何となく想像に難くない・・・
田沢湖温泉ではホテル田沢湖荘にお世話になった。
翌日、田沢湖付近は曇っていたが、奥入瀬渓流を通り八戸へ向かった。
奥入瀬渓流を抜けるとピーカンであった・・・
奥入瀬渓流から国道102号線を進むと日差しがじりじりと痛くなった。
一般道は、景色の移り変わりやそこに住んでいる人々の営みを感じ取ることが出来るのである。
そして、阿光坊古墳群という看板を発見した。
この古墳は、八戸フェリーターミナルから約16㎞北西に位置していて、バイクで10分ちょっとの距離である。
まあ、古墳時代後期という書き方をしているが、実際には我が国に古墳時代など無いのである。
新な説は、"古墳は墳墓として作ったものではなく、水田開発によって生じた残土を計画的に盛った盛土である"なのだ。
従来のように権力者が民を鞭打って作らせた墓よりもよほど説得力がないか?
もし、巨大な古墳ほど偉大な人物ならば、平安時代や江戸時代だって作り続けねば変ではないか?
新説はある時を堺に古墳が作られなくなった理由まで説得力があるのだ。
時代が進むと土木建築の技術が高まり、用水路完備が出来るようになり、更に陸地の残土を船で海まで運び、港湾建設に使ったというのだ。
こうして出来たのが難波であるという。
水田なのだから、用水路は必数である。
そこで川幅を広げ、護岸工事までやり大きめの船まで通せるようになれば、"盛土"は必要なのである。
では、何故仁徳天皇稜が出来たの?
という疑問は、偉大なる天皇の崩御を悲しんだ民が、偉大なる天皇に相応し大きな盛土を御陵としたというのだ。
しかし、全ての盛土を御陵には出来ないのである。
何故ならば、水害が起こったときに、人々が避難する高台を設ける必要があったからである。
所謂"里山"がこの盛土なのだという。
それを踏まえて、この阿光坊古墳群を観てみると・・・
古墳と言うよりは墳墓である。
詰まり、近畿地方や関東地方にある所謂古墳とは違うのである。
恐らく、ここに墓が作られた当時は木々は無かったと思うが、この墳墓群が伝説なり言い伝えとなった頃は、森となり普通の山と化したのであろう・・・
まあ、この地にいた豪族の墓ではないかと思う・・・
7月2日の月岡温泉の宿のTVから驚くべきユースが飛び込んでいた・・・
苫小牧港でフェリーが座礁したというのだ。
そのフェリーは、八戸〜苫小牧を結んでいるシルバーフェリーであると分かった・・・
血の気が引くよ〜
そう言えば、数年前に北海道ツーリングの最終日に苫小牧から大洗までのフェリーを予約したために、苫小牧に近い洞爺湖湖畔の宿にいた。
その前日は小樽で一泊していたのだ。
小樽からわざわざ洞爺湖まで来たのである。
朝早くにメールがスマホに入った。
寝ぼけながらメールを読むと、三井商船からであり、なんと本日乗るはずだったフェリーが天候悪化のために運休となり、払い戻しの案内であった!!!
そして、急遽小樽〜新潟の新日本海フェリーの予約をした・・・
来た道を小樽まで帰ったのであった・・・
という事で、苫小牧港と縁が薄いのか?まで考えた。
早速フェリー会社に電話で尋ねたら、時間帯によって船が違うので私の乗るフェリーは運航しているとのことであった。
この船の舳先がテトラポットに突っ込むって、船長寝ていたのか?それとも女乗組員とチョメチョメしながら操舵していたのか?などの妄想をしながら、船に乗り込んだ。
苫小牧までの約8時間、爆睡して過ごした。
大浴場も空いていたし、まあ部屋にバス・トイレも有ったので、汗びっしょりであった身体を洗った・・・
阿光坊古墳群がピーカンで熱かった・・・
更に、BMW純正のライダーズギアのパンツが、汗を通さないために匂っていたのだ!!!
クローゼットにあったファブリーズを掛けまくったのは言うまでもない!!!
ご安心ください、先日、ライダーズギア上下を無事にクリーニング店に持ち込みました!!!
こうして、東北地方で4泊して遂に北海道上陸の運びとなったのだ!!!
さて、この後のアラ60男独りツーリングどうなりますか乞うご期待!!!
つづく