日本は神武天皇から続く国であり、今年は皇紀2683年である。

欠史八代という言葉をご存じであろうか?

これは第二代目綏靖天皇(すいぜい)から八代目の開化天皇までの8柱(御皇族は本来柱と数える)は、実際に存在していなかったという奴らがいるが、実は支那の書(随唐書だったとおもったが)に、列記されているのである。

詰まり、日本書紀や古事記だけでなく、海外の書物にも書かれているのであるから、実在していたのだ。

しかし、インチキ国史を習うと、古代より日本は倭と支那から蔑まれていたし、支那には中華思想があるから日本は蛮族であったと習ったと思うが、もし取るに足らない国なら、なんでわざわざ倭国の天皇の名前を記述しているのか?

支那は、古代より間違いなく倭国や倭人に対して相当なコンプレックスがあったと思うが、そのコンプレックスが現在もあるから、日中関係が上手くいかないのは当たり前と言えば当たり前で、2千年以上の屈折した奴らと仲良くする必要があるのかどうか?という議論が必要であろう。

 

"1:2:7"の原則というのがあるらしく、もし10人人が居れば、自分のことが嫌いな人は1人いて、好意を示してくれる人が2人、後の7人は何とも思っていないというのだ。

我々は昔から「誰とでも仲良くしなさい」と刷り込まれたが、自分が嫌いな人と仲良くする必要があるのか?

喧嘩をする必要は無いが、無視するか仕事上の付き合いに徹して、それ以外は付き合わないというのが得策だともう。

地球上には200国以上あるのだから、支那、南朝鮮、北朝鮮の3カ国が「日本嫌い」ならば付き合う必要が無いのである。

まあ、大人の対応をすれば良いだけで、全て無視で良いと思うが・・・

 

次に"武士"と書いて"もののふ"と読むのは何故?

それは、物部(もののべ)から来ているという。

物部氏は古代朝廷の軍事面を司っていたから、武を行う者を"もののふ"というようになったという。

 

同じように、大伴氏は、元は"大王のお供"が所以だそうだ。

だから、初代征夷大将軍は、大友弟麻呂(おおともおとまろ)であり、副将軍が坂上田村麻呂であったのである。

坂上田村麻呂は能力があったが、何故副将軍であったかというと、先に書いた大伴氏が大王のお供であるから、大伴が最初であるのともう一つ、坂上田村麻呂の先祖が東漢氏(やまとのあやのこま)という人物で、彼は崇峻天皇を弑逆したからである。

崇峻天皇は、厩戸皇子(聖徳太子)や蘇我氏と敵対していたので、弑逆されて推古天皇が登場するのである。

 

さて、本題の征夷大将軍であるが、多くの学者は物を知らないから征夷大将軍が武家の棟梁だとか、源氏にしか与えられないとかとか言うが、実は征夷大将軍の恐るべき特権を理解していないのである。

 

私もそれを知るまでは、なんでそんな身分の低い役職が必要なのかが疑問であった。

神君公でいえば、豊臣時代に大納言であったし、太閤死去後は内大臣であったのだ。

これは征夷大将軍より位も身分も上なのである。

 

今風に言えば、代表取締役専務が、どうして"東北支社長"の肩書きが必要であったのか?

不思議ではないか?

神君公は、征夷大将軍叙任の折は既に従一位左大臣であったので、四位の位の征夷大将軍など必要ないと思うが普通の感覚である。

 

征夷大将軍最大の特権とは、それは天皇の命に従う必要がないのである!!!!

詰まり、全権大使として前戦で敵と戦っているのであるから、何も分からない中央の命に従っていたら勝てる戦も負けてしまうからである。

しかし、任命権は天皇にあるから解任権も天皇にあるから、それを抑えるためには大臣職が必要なのである。

大臣&征夷大将軍ならば、事実上の独裁権を得たことになるのである。

 

全ての武家政権は、武力でやりたい放題なのではなく、法的根拠に基づいているのである!!!

源頼朝公は、司法権と徴税権を朝廷より奪っていたのである。

 

幕府という意味は、戦国時代劇で天幕を張ってる中に偉い人がいるでしょう?

関ヶ原の合戦ならば、葵の御紋の入った天幕の中に神君公が御座して、そこに各大名が集まっているでしょう。

それが幕府なのである。

あの幕の中で全てが決まっていくからである。

 

しかし、江戸時代に政府を"幕府" と呼称したことは無かったようだ。

では、何と呼んでいた?

それは"公儀"と呼ばれていた。

"御公儀"と言えば、時の政府のことである。

 

だから、時代劇に出てくるように「御公儀の隠密、殺せ」とは絶対ならないである。

だって、今で言えば、ある県に国土交通省から調査のために役人が派遣されたとすれば、その役人を殺したら、大騒ぎになるでしょう?

 

現代人が忘れているのは、"公"の方が"私"より上だという事である.

 

公(おおやけ)があるから、私(し)が生きていけるのである。

義務と権利ならば、義務が公であり権利が私なのである。

義務を果たしてから権利を主張せよである。

 

歴代の征夷大将軍から現在を観れば、どう思うのであろうか?

劣化した日本人に見えるのか、それとも我らが子孫は頑張っているなと思われるのか?

 

やはり、ご先祖様に恥じない生活をせねばならないと思う。