私は、中華人民共和国の事を"支那"と呼称している。
何故、"中国"と呼ばないかというと、中国という単語は日本語であり、本来は山陽山陰地方を指す言葉だからである。
中国人とは、岡山県、広島県、山口県、島根県、鳥取県に住んでいる人々を指すのである。
だから、東京に住んでいる私は、関東人である。
更に言えば、中華人民共和国は、全て日本語の単語なのだ。
支那人はこれを恥とは思わずに、日本叩きをしているが、どれもこれも日本コンプレックスからきてるのである。
支那は大国で、日本は小国とういが、意味が分からない頭が悪いか無知蒙昧としか思えないが、それは"国土"という土地の面積で比べているだけだし、そもそも支那には広大なゴビ砂漠があるがそれは有効なのか?という疑問がある。
"領海"を含めた国の広さでは、日本は世界六位であり、実は支那より広大なのである!!!
聖徳太子が随の皇帝に当てた書で、「日出ずる国から日没する処の・・・」と明らかに見下す文言を使ったのは、日本の国力を知っていたからだと思う。
余談だが、支那の歴史で"30万の軍勢"といったら、"半分の七掛けの半分の方式"で、5万人ぐらいであるし、そもそも兵站の概念がないので、食料として兵隊を潰して食べていたという。
キングダムとう映画を観るのは良いが、正しい歴史をしらないと単なるファンタジーである。
仲間を食べていたのである・・・
これは今を始めとした話ではなく、日本国開闢以前の縄文文明時代から、縄文人は海洋民族で、世界中を旅していたという。
シュメール文明は縄文文明であるというし、南北アメリカ大陸からも縄文土器の破片が見付かっているという・・・
詰まり、"竹内文書"が正しいという"神々の指紋"が発見されているのである。
では、支那という呼称はいつ頃からあるのかというと、始皇帝が支那大陸に巨大な帝国を築いて、国号を"秦"としたことに始まっているという。
そもそも、秦人は漢民族ではない!!!
秦の後の漢王朝を打ち立てた奴らが漢民族だというだけであり、隋も唐も漢民族ではない。
国としての歴史的繋がりも、文字も言葉も違うのだから、別々の国であるから"中国"とは無関係な国なのであるから、古代中国という言い方は明らかに間違いである。
日本人は個々が理解出来ないのだ!!!
何故か?
縄文文明以前の原始時代から現在に至るまで、日本人は繋がっているからである。
縄文遺跡が出土すれば、そこに住んでいた人々は確実に我々のご先祖様なのである。
他の国では、占領した地域の人々は基本皆殺しである。
まあ、女子供は生かされる場合があるが・・・
古代日本に移住してきた秦氏は、秦の始皇帝の血縁者であるという。
日本各地にある八幡神社は、秦氏が建てた神社である。
秦(はたと読む)の字である"幡"は"旗"の意味であり、末広がりの"八"をたして秦氏の氏神とし、彼らを受け入れてくださった15代応神天皇を主神としているのである。
実は、朝鮮語(韓国語)と日本語は文法で類似しているのだ。
通常の言語は、主語・動詞・名詞の順序であるが、日本語は主語・名詞・動詞の並びである。
では、何故日本語と類似しているのかというと、弥生時代は半島は倭人が住んでいたのである。
大和朝廷時代には、新羅、高句麗、百済の三国は、大和の衛星国であり、皇族が王となっていたのだ。
詰まり、半島の言語は日本語であったのだ。
その後、白村江の戦い以降、支那の影響下でいくつもの民族の支配下で言語(単語等)が変化したが、文法は変わらなかったのである。
例としては、LAの日系社会は日本語なのだが、独特の日本語で、英語が混ざっているし、発音やイントネーションや語尾が違っているのだ。
LA日本語に馴染んでいると、日本に帰ってると「お前の日本語、変だぞ」と言われるのである。
韓国人はよく半万年の歴史とうが、実は新石器時代の遺跡がないのである・・・
更に、半島から古墳が多く見付かるのだが、全て大和の古墳であるのだ・・・
さて、支那を最初に"チーナ"と呼んだのは、古代インドであるとう。
それが欧州に伝わりチャイナやシーナと呼ぶようになった。
日本ではそれまで明国や清国と呼称していたのだが、江戸時代の本居宣長が、大陸のあれを何と呼ぶのが良いのかと思案した結果"支那"呼称したのだが、支那とうい文字は飛鳥時代にはあったのであるから、彼は知っていて使ったと思う。
更に、孫文が自国を支那と呼称していたので、決して差別語ではないのだ。
恐らく、戦後、頭のおかしい左巻きが"支那"を勝手に差別語だと言ったと思うが・・・
もし、日本人が支那と呼称するのが差別だという奈良のなら英語のCHINAはどうするの?
歴史を知れば、皆さんもこれから"支那"と呼ぶべきなのである。
故石原慎太郎氏も"支那"と呼称していたし、それに対して反論する記者に「歴を学んでから反論しろ」と言っていた。
これで如何に歴史を学ぶ事が必要かがお分かりであろう?
歴史を学ぶことは、即ち、我々のご先祖様の生き様を学ぶことであり、そして未来の指針となるのである!!!