最近、TVを点ければビックモーター事件のことを取り上げている。
SNSでは大分前から、詐欺事件や器物損壊事件等々が取り上げられていたが、マスゴミはスルーしていた。
それは、ビックモーターがCMのお得意様で有ったからである。
そうなると、国民からTVがなるなら"契約義務"という最高裁までグルになり憲法を曲げてまで放送法が正しいとしたNHKだが、これは真っ先に犯罪企業を報道せねばならない立場であるはずが、ここはゴミであった・・・
だから、我々はNHKに受信料を払いたくないのである!!!
各局がこぞってビックモーターを叩き始めたのは、CMのキャラクーを務めていた佐藤隆太氏がCM契約を解除したことから、「この会社は最早金ずるではない」と考えて一斉に叩きに言ったという。
しかし、本当の悪人は、損保ジャパンであるのに、こちらの叩きは弱いのはまだ金ずるだからであろう・・・
皆さん、自賠責保険利権ってご存じですか?
自賠責とは、強制保険とも言われ、"自動車損害賠償責任保険"といい、これは法律で加入が義務づけられ違反者には1年以下の懲役又は50万円以下の罰金となっているし、違反点数は6点である。
普通自動車の場合、車検毎に更新だが2年間で17650円で2輪車で8760円である。
これは政府が運営してるのだが、多くを民間保険会社に委託しているし、当然委託手数料も発生している。
この額、何と年間1000億円だそうだ。
この1000億円争奪戦を各損保会社が凌ぎを削っているのだ。
だが、もし免許センターで行えば、この1000億円が無くなり、自賠責保険の値段が安くなるのである・・・
正に、車業界の闇なのである。
新聞社が倒産しそうだ。
購読者数の右肩下がりが止まらない。
特に朝日新聞は、身から出た錆であろうが、虚偽報道を散々しておいて、今更何を言うであるし、フジテレビの凋落も止まらない。
1990年代は、フジテレビが勢いがあり、全ての視聴率を独占していたぐらいであったが、なんと視聴率0%もあったと言うから驚きである。
では、何故NHK、TV局、新聞が売れないのか?
又どうすれば売れるようになるのか?
答えは簡単で、"真実を報道する"だけであると思う。
政府が何と言おうと、企業が何と言おうと真実をあからさまに国民に伝えれば、全ての問題は解決するはずである。
マスコミが全てを真実を報道することが、民主主義における絶対条件で有るからである。
さて、ビックモーターのバカ親子だが、此奴らは悪事を働き、共犯者となった従業員に金を配るって、まるで暴力団そのものである。
政府が、ビックモーターを反社会的組織認定すれば、今より簡単に事が解決出来ると思う。
まあ、今の日本は、"今だけ・金だけ・自分だけ"状態の奴らが多すぎる。
これは日本という国が劣化した事を如実に表していると思う。
国民生活がきついのに、財務省は「過去最高の税収」とウホウホであるが、この意味は、政府が国民から搾取している結果なので、自民党女性局の"フランス視察"と同レベルなのである。
しかし、よくこのご時世にフランス旅行をしたな?と私は逆に褒めてやる!!!
フランス国内で内乱状態になった暴動があり、少子化対策といっても奴らは移民を受けているだけだし・・・
何を学びに言ったのか?である。
そもそも国会議員の海外視察って必要か?
何か活かされたことあるの?と疑問に思う。
ここで今日のトピックだが、"托鉢(たくはつ)"をしってますか?
これは、仏教の坊主が行うことであるが、昨今の似非坊主は金を持って酒池肉林の限りを尽くしているが、死後永遠に地獄落ちすることを知っているのか?と言いたい。
お釈迦様がある日、弟子達に「托鉢を始める」と仰った。
因みに托鉢に金上げるのは本来NGであり、食べ物等を与えるのである。
その折り、お釈迦様は「金持ちの所へ行ってはならない。貧しい者の家に行きなさい」と仰り弟子達は驚いた。
だって、金持ちの家へ行った方が、直ぐに分けてくれるでしょう?
だが、お釈迦様のお考えは違ったのだ。
貧しき者は、自分の物を分け与えないから貧しいのだ。
それは、他人のことを省みずに己のことばかりを考えて日々生活をしているからである。
だから、喜捨(きしゃ)を教える意味があったのだ。
私は、喜捨の意味を考えたが、これは社会の末端である貧困層で、彼らは社会の邪魔者であるが、そうで無く、皆が参加して良い社会が構成されていることを学ばせるつもりだった思う。
社会の循環の一部で、無駄な人は誰一人居ないというお考えだと理解している。
皆さん、耳が痛くないですか?
日々の生活の中で、他人を思いやってますか?
車の運転中はどうですか?
自分中心になってませんか?
托鉢の心は、"情けは人の為ならず"なのだと私は解釈した。
人間の豊かさは、金ではないのである。
金や物欲を自分の中心に置くから、ビックモーター元社長等のような不幸な奴らになるのである。
少しでも"他人の幸せが自分の幸せ"と思える人ならば、こうはならなかったはずだ。
困っている人が居れば、少しでも自分に出来る範囲で手を差し伸べることが大切なのではないか?
日本人の精神性は、物欲では無く、心の豊かさこそが大切なのである。
おそらく縄文人からの考えであったと思う。
自分が自分がと思った瞬間に、他人のことに思いを馳せては如何でしょうか?
そうすれば、今日より明日、明日より明後日、日々己が幸せになれるでしょう?
最期にお釈迦様はこの世で得られない四つのことをこう仰っている。
①:少年も壮年も必ず老いる。
②:どんなに健康で強い人間でも必ず死ぬ。
③:兄弟、親類、仲の良い友人等が集まって楽しんでも、いつかは必ず別れの時がやって来る。
④:如何に金持ちになっても、いつかはその宝は離れていく。
である。
結局は、裸一貫で独りで生まれ、裸一貫、独りで死ぬということであろう。
そう言えば、武田信玄の父、信虎は信玄により武田家を放逐されたが、放逐されて諸行無常を悟ったという。
彼は剃髪して仏門に入ったが、その時の名が"無人斎道有"であった。
人も家柄もなくし、身一つになったからこその名であったともう。