連日、気狂いじみた暑さにお疲れだと思いますが、いかがお過ごしでしょうか?
私は、夏でも湯船に浸かる派なのであるが、流石に風呂温度は39℃(冬は42℃)にしているが、すると不思議な感覚に見舞われる。
"湯船は熱い"イメージなのだが、何とヒンヤリするのである。
我が家の室外温度計は連日40℃を指しているので、何と、気温より風呂温度の方が低いのである!!!
ただ、冷房で末梢が冷えているので、ゆっくりと暖めることは必要である。
さて、こんな熱い中、7月23日の日曜日にツーリングへ行ってきた。
コースは、上石神井を出発して新青梅街道を16号バイパスまで西進して、途中から岩倉街道に入り、圏央道の青梅ICの下を潜り更に岩倉街道を走り小曽木街道へ至り軍畑から411で奥多摩湖へ抜けるコースである。
青梅ICから岩倉街道を進むと、途中に立正佼成会青梅道場が左奥にある交差点に出る。
この交差点を直進すると笹仁田峠(ささにたとうげ)を過ぎるが、これを過ぎると世界が一変するのだ。
それまで、コンクリートの街中を走ってきたが、この峠(実際は普通の坂道)を登って下ると、一面綠の"昭和の地方"の景色となり、気温もぐんと下がるのである!!!
綠と土が太陽の熱を吸収してくれている、所謂昭和の夏がそこにはあった・・・
先ほど我が家の室外温度計でここ数日40℃を超えていると書いたが、私が小学生の頃は、7月ならば20℃後半であり、30℃越えはお盆の頃の1週間ぐらいであった・・・
それは、家の周りが畑と雑木林が多かったからである・・・
それも、今や住宅が増えて、畑だったところが全てコンクリートで固められているから、気温が上がるのも無理はない状況である。
綠の地帯を過ぎて、奥多摩湖へ至るのである。
奥多摩に行くと必ず休憩する大麦代園駐車場があり、Bikeや旧車(GTR)が集まっていた。
私はハーレー製のメッシュジャケットを着ているが、夏にTシャツで乗っている人も見かけるが、実はメッシュジャケットを着た方が涼しいのである。
これは"ベルニューイの定理"であり、"航空機が何故浮くか"と同じ法則なのである。
空気は細い空間を通ると、速度が上がり温度が下がるという性質がある為、同じ風でもメッシュの隙間を通った風の方が温度が下がっているのである。
この日、私はクールベスト(水につけてベスト内部の薬剤に保水させ、風による気化熱で体温を下げる)とクールマフラーを持っていった。
だが、流石に8時なので、都市部のような暑さはなかった。
大麦代園駐車場を出ると、湖畔に沿って国道411号線は進むのである。
暫く走ると深山橋交差点に差し掛かるが、ここを左折すると奥多摩周遊道路や小菅村の方へ行くのだが、多くの車やバイクは、ここを左折して行った。
奥多摩周遊道路を攻めるのであろう・・・
我々(Harley仲間のカズちん)だが、そうそう、この日カズちんは「暑いし、走るの面倒くさい」と前日のLINEでほざいていた。
まあ、私は独りでも走る気であったので、集合場所と出発時間(6:00)とLINEで返した。
すると23日の朝5:30頃に電話があり「起きたら涼しかったから、俺も走るぜ」とまあ、お約束通りの展開であった・・・
本当に調子の良い奴で後に「今日走らずして何時は知るんだ!!!」とか「俺はハーレー乗りだ!!!」と五月蠅いぐらい叫んでいた(Bluetoothインカムで)
なんだけどさ、峠のワインディングで何時もインカムが切れそうになるのは勘弁してほしい。
おいおい、もっとカーブの乗り方の勉強しろ!!!と言いたい。
これはジジイの多いのだが、奴らは普通免許に自動二輪が着いてきたとか、自動二輪の免許で全ての排気量のBikeが付いてきた免許制所の奴らで、70%以上は下手くそである!!!
教習所で習ったり、ライディングスクールで腕を磨くこともしないで、カーブは減速してハンドル操作で曲がるものと思っているから、カーブで距離が離れてしまうのだ。
おいおい、BikeのカーブはBikeを倒して曲がるんだろう?
これは、固定翼機でいう"Coodinated Turn"(日本語で何というか分からない)と同じで、これをすると常に重力は床に掛かるのである。
飛行機に乗って食事中に旋回しも、テーブルの飲物が倒れない現象である。
Bikeも、倒れてBikeが曲がるので常に重力はシートにあるのだ。
これは、地球の重力とBikeの遠心力が釣り合っているのであり、もしカーブで倒しているときに、Bikeが止まればそのまま倒れるのである。
だから、ジジイと峠を走ると直ぐに山一つ分の差が出てしまうのだ。
さて、我々は411を更に西進して、"花魁淵"(心霊スポット)を掠めて柳沢峠に至るのだが、標高1472mの柳沢峠が寒かった・・・
柳沢峠を越えると甲府盆地が一望出来るし、この日はガスっていて富士山が見えなかったが、スッキリと晴れれば、富士山を眺めながらの下りである。
最近はまっているのが、"フルーツライン"であり、この道は山の中腹を勝沼IC当たりの甲州街道まで繋がっていて、兎に角眺めが良い道であるが、ぶどう畑が多いので耕作車が多いので、スピードには要注意である!!!
さて、この日のツーリングの目的であるが、先年より考えていたミッションで、諏訪勝頼侯の最期の地を訪ねることであった。
武田信玄侯亡き後、武田家の家督を継いだのは、侯の孫であった武田信勝であった。
諏訪勝頼は、諏訪家の家督を相続したために、武田家の家督を継げなった(家来筋に下家したら主家に戻れない)で、勝頼の子の信勝が信玄の養子となり家督相続したのだが、子供であった為、父の諏訪勝頼が後見人となった。
まあ、人生屈折したから、親父や家臣団を見返すには、織田・徳川を倒すことであったのだ。
勝頼は新たに新府城の築城を急いだが、完成前に織田徳川連合軍に高遠城を落され、時間的余裕すらなかった。
武田家としては高遠城は3ヶ月は持つと思っていたようだが、秒殺で落とされた・・・
まあ、徳川に内通していた家臣団も多かったと言うし、長篠合戦を観たら、武田家家中だって「このままでは武田家滅亡」が見えたのであるから、そりゃあ願えるわな〜
だって、家臣団だって、それぞれが家臣を抱えていてその家族を合わせれば千人規模であった筈だから、武田家への忠誠よりも先ずは自分に忠誠を尽くしてくれる家臣と家族を守る方が優先事項であった筈だ。
天目山に逃げ込んだとき、勝頼に付き従った家臣は50騎であり、その全ては諏訪家の家臣であったという・・・
今は景徳院に勝頼侯、奥方の北条殿、そして子供の信勝侯とひっそり並んで眠っていた。
この景徳院は、神君公が建立し、武田家族の御霊をお奉りしたのである。
甲州街道より山に入っていったのだが、勝頼侯はどのような気持ちでここを登ったのかと思うと涙も禁じ得ない。
勝頼侯は知っていたのか?
室町代に武田家10代当主武田信満が、同じ山で自刃していたことを・・・
武田家は、信満切腹で滅んだのが、御所様と鎌倉公方の政争により復活して、信勝まで連なっている。
まあ、江戸時代の綱吉公の御側御用人柳沢吉保侯によって武田家は直参旗本として復活してる。
柳沢家は武田家の家臣筋であったという。
これでミッションはクリアしたが、もう一つ"やまと天目山温泉"には浸かれなかった・・・
カズちんが出先での温泉は嫌だというのだ!!!
本当につまらないルールを保っているのだ・・・
それをやめれば、お前も更に進化するのにと私は何時も思っているのだが・・・
帰りは、談合坂SAから中道に乗ったのだが、悲しいのが、何故毎回、美味しくもないSAでランチを食べねばならないの!!!である。
まあ、時間が早すぎるのが要因なのだが・・・
小仏トンネルを過ぎると、八王子へ向かって中央道は一気に高度を下げるのだが、高度が下がると同時に暑くなるのだ!!!
八王子から高井戸ICまでは地獄の暑さであったので、すり抜けでカッ飛んでいった!!!
車と同じ速度走れるか!!!である。
高井戸ICから環8を北上するのだが、環8は意外とスムーズに進めた・・・
まあ、楽しいツーリングであったのは間違いない!!!