今日から6月、令和五年の上半期最後の付きであると共に、今年、既に5ヶ月が終わったと言うことである。
40歳を超えてから、月日の流れが早すぎる!!!と思うのは私だけで無いはずだ。
先日、地元のGymで、女性が立ち入らないウェイトトレーニングの場所に、怖い顔をしてTrainingをしていた女性を見かけた。
良くみるとBの様な気がしたが、声を掛けられなかったのだが、「今、Training中?」というLINEを送ったら「はいそうです」という返事が来たので、話しかけたら、向こうもビックリした様子であった。
彼女とは、中学時代の同級生で、私の左側に座っていた。
数年前に、クラスメート数人で飲んだのだが、Bが私の右隣に座ったので、何故か落ち着かずに、「左に来い」と席を入れ替えた経験がある。
記憶というのは面白い物で、何年経っても、彼女が座る位置が私の右では駄目で、左に来てこそスッキリするのである。
その彼女の誕生日が5月31日であり、更に仲の良かった友人は5月が誕生日であったので、私より現在年上となっているが、もう数年で還暦なのである。
先日乗ったタクシーの運転手さんも、私と同じ昭和40年生まれであって、話が弾んだのだが、彼も苦労せずに還暦を迎えそうですね〜」と言っていた。
綾小路きみまろの「この世に苦労して歳を取った人は居ないのです〜」が頭を過って、思わず笑った。
さて、ひょんな事で、YouTubeで寺尾聰の曲が流れた。
昭和56年にこのアルバムが発売されるや、日本中全てが寺尾聰ファンになったような現象であった。
巷では"ルビーの指輪"が爆発的に売れ、確かTBSの"ザ・ベスト10"では、13週一位であり、その記録は番組が終わるまで破られなかった。
私が高校生の頃に発売されたLPレコードを、学校帰りに買った記憶がある。
今でも鮮明に覚えているのだが、このアルバムの1曲目の"HABANA EXPRESS"を聴いた16歳の少年が、どれ程の衝撃を受けたことか!!!
一言で表すなら「お・と・な」であった。
「ハバナの風に酔いただお前と寝ただけさ」とか「黄色い畑のうねりを見ていると、お前の熱い身体を思い出す」とか、「おおお!!!子供の知らない世界!!!」と高校生が妄想したのも頷けるでしょう?
私の解釈では、「出だしの煙草をくわえて窓を開けたらようやく自分に戻れた気がする」であるから、ここから彼女とのアバンチュールの思い出の回想だろうと・・・
詰まり、旅先の恋であったのだ。
そして、次に衝撃を受けたのは、4曲目の二季物語である。
出だしはスローなバラード調であるが、途中で変調するのだ。
最初は、失恋から冬をどう過ごすか・・・
一人寂しく、凍った湖でも眺めながらという感じで、私的には北海道の支笏湖か???であった。
そこから変調して、"夏"になり、アップテンポとなり、別れた彼女と偶然に夏に訪れたホテルで出会った。
「真夏の波間であなたとデッキでまどろむ」って、高校生に想像出来ますか?
そして、恐らくSEX三昧であったとうと・・・(現在の感想ね)
30代の頃に、別れた彼女から連絡が来て一度有ったことがあった。
そこで、現在付き合っている男の愚痴を聞かされながら、銀座のバーでグラスを傾けていた。
そして、何故か一緒にグアムに行っていた。
何故か、付き合っていたとき以上に燃えた記憶があるが、日本に帰ってからは連絡を取っていない。
更に、帰りに免税店でブランドバックを買わされた記憶はあるのだが・・・
まあ、二季物語の彼も同じだと思うが・・・
そこで、最近、この二曲は私の中では、繋がっているのだ。
ハバナで知り合って、アバンチュールを楽しんだら、彼女から「さよなら」を言われて、ブルーになった男がその冬独りで寒いところで過ごし(自殺しそうだ・・・)が、夏には恋愛リハビリも済んで、夏のホテルへ出かけたら、又その彼女と再会して、またまたのめり込んだというストーリーである。
恐らく、秋には「さよなら」を再度言われて地獄へ逆落としであろう。
結果、こいつはダメ男である。
私の友人でもいたわ!!!
Iとう奴で、学生時代の友人であったが、その時惚れた女性が不味かった。
絵に描いたような美女と野獣カップであったが、散々振り回されて捨てられたのであるが、それはIの脳内変換で、端から見ているこちらは「付き合ってなかったよ」なのだ・・・
その後、日本に帰国し、外資系に務めていたが、30手前で漸く筆下ろししてもらった相手が、日本支社長の愛人の秘書であった女性で、SEXしていて彼女が叫んだのが、別れた支社長の名前であったという(I氏談)
思わず飲んでいた酒を吹き出したのは言うまでもない。
その後、鬱病を患い現在音信不通である。
恋愛は、何歳になっても大切であるし、健康の秘訣であるとう。
しかし、良薬と劇薬は裏腹で、一歩間違える人生が狂ってしまう。
寺尾聰を聴きながらIの事やら、昔の彼女のことを考えたりしながら、しかし、心が穢れていなかった高校生時代を懐かしむ自分がいるのである。