天気予報では、本日5月28日は曇りであったが、朝5:30に目が覚め雨戸を開けると、お天道様の陽の光が寝室に差し込んできた。

直ぐに起きて、チャー様をベッドから連れ出し、キッチンに向かい、冷蔵庫から人参、生姜、檸檬、オレンジを取り出し、スロージュサーに材料を入れてジュースを作り、それを飲み干し、顔を洗って着替えて、一路伊豆半島に向かった。

 

自宅を6時過ぎに出発し、東名高速で沼津を目指した。

今回の独りツーリングは、夕方から用事があるために近辺を行くことにしたのだが、行く先はブーツを履くまで決めていなかった。

候補は、奥多摩から柳沢峠を経て塩山へ向かうルートであったが、直前に伊豆半島に決めた。

当初は伊豆半島の東海岸を稲取まで行って、金目鯛定職を考えていたが、西伊豆を目指すことにした。

最初の休憩地は足柄SAであったが、曇り空なりにそれでも富士山が見えていた。

私の知り合いのハーレー乗りに、写真が好きだというオヤジがいるが、彼は富士山を撮るのが好きだという。

一緒に富士五湖の一つの西湖へ富士山の撮影に付き合ったことがあった。

天気は快晴に近く、所謂ピーカンである。

ああ、この"ピーカン"って、平成生まれには通じない言葉であった・・・

 

足柄で暫し休むと、一路旧東名で沼津ICを目指した。

沼津ICから県道405号線を南下したのだが、この道は、30代の頃によく大瀬崎にダイビングへ行くときに毎週のように通っていたから、懐かしさもことさら出会った。

 

そこで、朝食を食べていないことに気が付き、急遽、沼津港へ向かうことにしたのだ。

沼津港で、海鮮丼を朝食として食べたが、旨かった。

 

8時半には沼津港を後に、一路大瀬崎方面に県道17号線を南進したが、昔と比べると道が整備されている気がした・・・

大瀬崎は、駿河湾に面しているのだが、入江になっているので、台風でも潜れる(ウネリで海中の視界は悪いが・・・)のである。

 

17号線沿いに、井田、戸田(へた)、土肥へと走った。

 

土肥金山でトイレ休憩をしてから、国道137号線で月ヶ瀬方面へ向かった。

この137号線で伊豆街道の国道414号線にぶつかると、そのまま直進すれば伊豆縦貫道に自動的に入るのである。

国道414号線は、川端康成先生の"伊豆の踊子"で、学生さんと踊り子一座が下田を目指して歩いた道である。

 

しかし、今回は、途中で仁科峠方面に、向かうことであった。

ここの道は、交通量からすれば場違いなほど立派な道であるが、それには理由があって、院様が天皇であらされた折に、植樹祭の行幸があり、その為に県は突貫工事で立派な道を作ったという。

しかし、それは無駄は無く、そのお陰で今でも我々ライダーを始めとして絶景を楽しむことが出来ているのである。

正に、陛下の恩恵を受けているのである。

 

皆さんももし興味があれば、Bikeでも車でも楽しんで欲しい。

修善寺から(戸田からも来れる)県道18号線を"だるま山高原展望台"を目指してきて、展望台を過ぎてから左折で、西伊豆スカイライン(県道127号線)にはいる。

西伊豆スカイラインは、稜線を走る道で眺めが素晴らしい道であるが、カーブが多いので運転には注意が必要である。

そのまま進むと、国道137号線へ曲がる交差点があるが、私は今回この交差点から西伊豆スカイラインへ入った。

西伊豆スカイラインを南進すると、風早峠をへて仁科峠と居たる。

但し、仁科峠まで行くと、直進すれば、西伊豆の松崎へ、右折すれば、安良里方面の道に分かれるが、普通自動車同士がすれ違いのが難しい林道擬きになるので、車の場合は要注意である。

 

今回は、帰路なので、途中を左折して湯ヶ島へ向かうコースであったが、恐らく曲がる箇所が早すぎたのか、狭い道や倒木があったりと結構ハラハラドキドキの道であった・・・

ナビの画面縮尺をズームにし過ぎていたので、大局的に見ることが出来なかったのが失敗の原因であった。

 

知らない道を進むことの恐怖心と、道への好奇心が折混ざった感覚であった。

ナビを見ると♨マークが出てきたので、吸い込まれていった・・・

 

ツーリングの場合、朝が早いのと風呂上がりでバイクに乗ると風邪を引きそうなので、朝風呂は控えている。

素晴らしい、湯であった・・・

源泉掛け流しだそうだ!!!

ここは露天風呂まであってお洒落であった。

帰り際、受付の姐さんに「湯ヶ島に行きたいのだけど?」と尋ねたら、70代後半の姐さんからは「ここは湯ヶ島温泉だよ」との返事であった。

湯ヶ島温泉だと分かれば、不安は消えた。

初夏の風呂上がりのBikeは格別である。

爽やかになった身体に、風が心地よく当たるのが良い。

 

この湯ヶ島温泉は、川端康成先生が、伊豆の踊子の執筆に逗留した湯ヶ島温泉湯本館が有る場所である。

湯本館は宿泊可能であるし、川端康成先生の部屋も残っているので、初夏の草木の匂いを嗅ぎながら、文学に思いを寄せて狩野川を眺めながら湯に浸かるのも一興であるし、次の日は、下田へ向かって行けば、伊豆の踊子を体現出来る。

浄蓮の滝、旧天城隧道(伊豆の踊子で出てきたトンネル)も歩いて行けるし、石川さゆり姐さんの名曲天城越えに出てくる寒天橋も歩いて行ける。

歩きたいのであれば、公共交通機関で来るのが便利である。

東京から特急"伊豆の踊子"で修善寺行って、そこからバスで湯ヶ島温泉を目指し一泊して、次の日はバスで水生地下でありて、徒歩で天城越えをして、二階滝からバスに乗れば良い。

更に欲を言えば、河津七滝でバスを降りて、名物山葵丼を食べて、汗をかいていたら七滝温泉で汗を流して、バスで河津駅から特急で帰ってくるコースがお薦めである。

 

話を元に戻すと、湯ヶ島温泉を経て何時もの国道414号線で修善寺駅に行って、そこから県道80号線で伊豆スカイラインを目指した。

前回は、山伏峠ICから乗ったのが、今回は更に県道135号線で韮山峠ICまで行ったのだが、この道もアドベンチャーであった・・・

韮山峠から西へ下りると、韮山城があった。

ここは、伊勢早雲が戦国時代に名を馳せた場所である。

伊勢早雲は、ご存じ小田原北条氏の祖であるが、彼は自ら"北条"は名乗っていなかった・・・

 

北条氏は、西からの小田原城の守りとして、韮山城と現在の国道1号線沿いにある山中城としていた。

しかし、それはチンケな武田や今川程度なら守れたかも知れないが、太閤殿下の軍勢の前には瞬殺されたのであった。

山中城落城が僅か半日であったで、山中城落城を訊いた韮崎城の将兵は城を放棄して小田原へ逃げた。

まあ、これは正解であったのだが、対で防衛戦を成していたのに、片方が無くなれば、もう片方は包囲殲滅されてしまうからである。

 

伊豆スカイラインは気持ちよく走れる道であるし、トロイ車は抜けば良いのだが、問題はトロイ単車であった!!!

2台の単車に追いついたが、後ろ姿から2台ともお姉さんであった。

これが凄い!!!

よくあんなに遅い速度でカーブを曲がれるな!!!と思ったが、カーブが怖いのは、速度が遅いからである。

速すぎても危険だが、Harleyでも○○㎞で走れるのに、国産ネイキッドで何やっているの???であった。

瞬時に抜いて「俺の走りを見ろ!!!」とか「俺のライン取りを学べ」とか思っていたが、友人にその話をしたら「今時の女子はインカムで変なHarleyが来たよ〜」とか「怖い〜」と会話されていたはず!!!と言われた・・・

 

しかし、私もとち狂ったようで、何故日曜日のツーリングコースに箱根を入れてしまったのだが、箱根町から元箱根までの国道1号線は大渋滞であった・・・

新型コロナウイルス騒動も終わり、人々が溢れ始めていた。

東海道(県道732号線)に入り、"峠の茶屋"こと甘酒茶屋で、甘酒ときなこ餅を食べようと思ったら、茶屋前のバス停に長蛇の列が・・・

並ぶのが嫌いな私は、泣く泣く茶屋の前をスルー・・・

この道は、旧東海道沿いにあり、東海道を踏破したい人は、通らねばならい道であるが、江戸時代の道もしっかりと歩けるようになっている。

昔、元箱根から箱根湯本まで旧東海道(本当の)を歩いたことがあるが、関所から山を登り、下り始める所にこの甘酒茶屋があるので、旧東海道からも茶屋に入ることが出来るのだ・・・

古の時の旅人気分を味わえていとおかし

 

この県道732号線は、2輪車要注意である!!!

4月1日〜11月30の期間、土日休日の8時〜15時の間、550cc未満のBikeは通行禁止である!!!

恐らく、昭和50年代に暴走族か走り屋が峠攻めで死亡事故が多発したのであろうと推察出来る。

当時は400cc越えの所謂"限定解除"は幻の免許と言われていたので、そいつらは乗れなかったからだし、限定解除免許を取ったら、免許を大事にしたはずだから、自然と暴走はしなくなったのだと思う・・・

 

須雲川ICから箱根新道にのり、小田原厚木道路をへて東名高速道路で帰宅であった。

14時前に帰ったが、この日はお昼ご飯を食べ損ねてしまった・・・

 

伊豆半島は知ったつもりであったが、人間の浅知恵は結局大自然の前では、役に立たず、伊豆半島の新たなる魅力を目の当たりにしたツーリングであった。