日本の酒と言えば、やはり日本酒であろうが、昔はそれぞれの地方で、酒を造っていた。

所謂現在で言う"どぶろく"であるが、どぶろくは違法である。

何故違法かというと、"酒税が取れないから"という下らない理由で数千年間にわたってきたその土地独特の酒文化を殺そうとしている。

大量に作られるようになったのは、室町時代後期からで、華開いたのはやはり江戸時代になってからであった。

 

多くは上方とくに大阪辺りで作られて、江戸間で運ばれたという。

この時代、東北地方は米が作られていなかったため、日本全国を廻るほどの銘酒はまだ存在していなかった・・・

大阪から江戸まで酒樽で運んだのであるが、当然船で運んだが、江戸沖での荷下ろしで待たされ酒が駄目になることも多々あったらしく、その内避け運搬専用船の樽廻船が作られたという。

この樽廻船が品川沖に着くと、更なる小舟に移し替えられ、酒屋に直行したという。

 

江戸時代、トラックや鉄道がないので、荷物は船を使っていた。

江戸〜大阪間は、専用の巨大な船を使ったが、これは縦横無尽に整備されていた運河を航行出来ないために、小さな船に乗せ替えていた。

小舟は運河を通り、商店の裏手に直接着くようになっていた。

 

上方から運ばれた酒を"下り酒"と呼び、味も良かったというので、高価であったとう。

この当時の樽は"四斗樽"のみで、大きさは高さ65センチ、幅65センチで、約72㍑の酒が入っていた。

年間78万樽が江戸の街に運び込まれていたのである。

大阪は食い倒れ、江戸は呑み倒れと言われていたという。

「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」とも言われていたが、チョンガー(独り身の男)は、仕事帰りに、酒屋で酒を買って(量り売りで、店が貸し出し徳利に入れて渡してくれた)、惣菜屋で惣菜を買って家で呑んでいたと言うから、今とそう変わらないのが面白い。

 

我々が知っている居酒屋だが、この意味は、酒屋にいて呑むという意味だそうだ。

酒屋は当然酒を売っている店であるが、その軒先で酒を飲めるようにしてちょっとしたお摘まみを出すようにしたのが始まりだそうだ。

それが当たって、多くの居酒屋が出来たという。

 

酒の値段の極上酒一合:32文(約960円)、上酒一合:24文〜28文(720円〜840円)、地回り酒(下り酒でなく、関東地方の米から造られた酒)一合:12文(360円)、中汲(濁り酒)一合8文(240円)、どぶろく:4文(120円)であったらしい(時代によって一文の価値が違うがここは30円換算)

今の居酒屋と変わらないところが笑えた。

私もたまに友人等と居酒屋に行くのだが、そこでホッピー黒を頼むときに、ベースの焼酎が工業製品ぽいので、敢えて「黒霧島で」と注文することにしている。

又、本物ビールは高いから、発泡酒という具合に、懐事情で呑んでいたというところも現代人とかわらなさが面白い。

 

基本、当時は熱燗で呑んでいたらしい。

それと大阪から船で輸送されるのであるが、実はその船揺れが良い具合に酒に樽の木の香り等が混ざり、円やかになり、更に大阪で呑むのより旨みがあったので、それを聴いた上方人が、そのまま江戸まで行った樽を持ち帰らせたという。

樽も富士山を見たので富士見酒と呼ばれ、高級酒となったという・・・

 

居酒屋で人気の食べ物は、"芋の煮っ転がし"だったそうだ。

序で田楽(様々な食材に味噌を付けて食べた)だが、豆腐、蒟蒻、大根、芋が人気であった。

そして、"葱鮪鍋"であり、これは葱とマグロを煮たものらしい。

 

書きながら想像したら、食べたくなってしまった・・・

 

現在、日本酒と言えば、越後や会津が有名である。

旨い米が取れるようになったからであるが、それは昭和まで待たねばならなかった・・・

 

江戸時代から存在していた居酒屋、今も日本人の定番として愛され続けている。

 

次の世代にも残していかねばならない日本の文化である。