空海と言えば、弘法大と呼ばれ、日本に密教を伝え真言宗を作り、四国88カ所の霊場を作った偉大な僧侶と言い伝えられているし、日本中を旅していたとも言われている。

今だって、Bikeや車で人里離れた山奥へ入ると、恐ろしさすら感じるのに、空海は歩いて山々を渡っていたのである。

夜の山は漆黒で、人間の空間では無く、神々や人で無い者達で蠢いているにも拘わらず、野宿するって考えただけでも凄いと思う。

 

が、一方で実物の人間は女好きで、多数の女性を不幸にし、その子孫も沢山いると言うから、"真言宗の家の長男は色狂いする"という言い伝えまである・・・

 

空海と同時期に唐に行った坊主といえば、最澄であり、彼は後に天台宗を作り比叡山延暦寺を開くのである。

この時、朝廷より信頼されていたのは、最澄であって、彼の帰国を朝廷はせかせたのである。

結果、最澄は、最先端であった密教を学びきれずに、無念の帰国となった・・・

空海は世間的には、"無名"であったが、彼を見いだしたのは、第52代嵯峨天皇であった。

嵯峨天皇の功績と言えば、空海を見いだしたことと、蔵人所を作ったことである。

蔵人とは、今で言えば秘書であり、蔵人所は天皇秘書室なのである。

天皇が「筆が欲しい」、「紙が欲しい」とか「小腹が空いたから何か食べ物をくれ」とかちょっとしたことでも、大臣を呼び出すのが煩わしいし、又、大臣共も今と同じで言うことを効かなかったという・・・

そこで、直属の秘書室を作ることにより、身の回りのことを簡素化することにしたのだ。

江戸時代であれば、吉宗公が設立した"お庭番"と同じだし、綱吉公より置かれた"側用人制度"にも通じる物がある。

結局、御側御用人様の方が、老中諸侯より上位になってしまう逆転現象が起こったが、支那では宦官制度もこれに当たる。

余談だが、支那王朝の隋や唐は漢民族の国家でなく、北方騎馬民族の王朝である。

唐を建国した高祖李淵(りえん)の目は碧眼であったという話もある。

更に笑ってはならいが、唐の都長安より奈良の藤原京の方が巨大で人口も多かったのだ・・・

 

さて、話を嵯峨天皇に戻すと、嵯峨天皇は実は大人物であったらしく、自らの地位は家柄と血筋であって己の実力ではないことを知り、「何かで日本一になろう」と書道に取り組まれた方であった。

そして、自他共に認める日本一の字を書くようになられたが、ある日、蔵人から上がってくる報告書に目を通していると、自分より手の上手い字を見付けたのだ!!!

一度は見なかったことに出来ても、毎回目にすれば乱れたこことはどうすることも出来ずに「この書を書いた者を呼び出せ」となったのだ。

その男の名は、橘逸勢(たちばなはやなり)であった。

「お前の手は素晴らしい。今まで朕が日の元一と思っていたが、本日よりその方が日の元一の書家である」とのお言葉に「いいえ、帝、私より上手い者がおります」という返事に腰を抜かしたのは嵯峨天皇であった。

おいおい、一位を譲ったのに、俺は三位かよ!!!であった。

 

そこで、橘逸勢に言って空海を呼び出させた。

空海は「沙門空海でございます」と帝の前に平伏したが、この対面の前に空海は帝に一筆献上していたのだが、その手を見て帝は既に心が折れていたのだ・・・

「これは凄い!!! 私の叶う相手ではない・・・」

しかし、ここが大和民族と他民族との違いである。

欧州や支那の王なら、当然空海の両手を切り落としたであろう・・・

これはモスクワにある有名な教会であるが、これを建てさせたのはイワン雷帝という気狂いであった。

この美しい教会は当時のロシアの職人達がその技術の粋の結晶であったが、それを観たイワンは驚喜した。

皆さん、日本ならば帝や公方から金一封と「更なる鍛錬を」というお褒めの言葉を戴くでしょう?

でも気狂いは違う。

これより凄い物を建てさせてはならないといって、全職人の目を潰したのだ!!!

 

それだけでも嵯峨天皇は偉大な帝であるし、人間としての尊敬に値する。

 

しかし、空海も大御心を読んで「日本には文房四宝がございません」と言った。

文房四宝とは、筆・硯・墨・紙を指し、これが我が国に無いから帝の手が私より劣って見えるのですと、謙虚に帝の手は文房四宝があれば、もっと上手い筈ですといったのである。

 

帝は、文房四宝か!!!とたいそうなお嘆きであったが、そこは沙門空海、なんと帝の対面のお礼として文房四宝を献上したのだ!!!

嵯峨天皇がどれ程のお喜びであったか、皆さんお分かりでしょうか?

 

空海の持ってきた文房四宝は、唐で買い求めたらしいが、買値は今で言う100万円ぐらいであったと言うが、帝から戴いたものは、何と京都で有名な"東寺"であった。

正確には、寺を建てる土地を戴いたのである。

更に、東寺の五重塔が建って以来、"都に東寺より高い建物を建てることは禁ずる"という嵯峨天皇の勅命まで戴き、それは昭和まで守られていた。

これを無視したのが、不細工な京都タワーであった・・・

何が何でも阻止するべきであった・・・

「なに?お前は天皇に逆らうのか?」と言えば、誰もやらないでしょう?

京都タワーから京の町が壊れていった気がする・・・

 

こうして、空海は弘法大師として日本を代表する僧侶となったのだ。

 

弘法も筆の誤りというが、空海が唐で学んだ密教だが、これは"来日如来"を崇めるが、実は仏教で無かったという落ちまで付いて、私は笑ってしまったのだが・・・

 

密教とは、ミトラ教のことであり、ミトラ教とはキリスト教のベースとなった宗教で、古代ローマ帝国でも信仰されていたが、ミトラとは、ぶっちゃけゼウス神であり、ゼウス信仰なのである。

だから、真言宗では最初に太鼓が打ち鳴らされるのだが、それはゼウスが雷を司るからである。

しかし、心配ご無用!!!

 

ゼウス信仰は、一廻りすれば、天照大神信仰に戻るのである。

何故か?

それは世界最古の文明が、縄文文明であるからである!!!

竹内文書にも、天皇(スメラミコト)の子孫が世界に散らばり、世界を統治したと書かれているからだ。

天皇の御紋として我々が知っている16菊花紋であるが、実は世界中の古代遺跡から見付かっているのだ。

しかし、これって本当に菊?と思うのは私だけであろうか?

私は、太陽を表していると思うのだが・・・

 

さて、イラクのフセイン大統領が身につけていた古代バビロニアに指輪があるが、これがこの紋章が入っていたという。

誰かが「これは日本の皇室の紋章では?」と尋ねたら、フセインは慌てて「これは古代バビロニアのだ。スメラ文明のだ!!」と言ってしまったという・・・

戦後GHQは日本を下げるために、"シュメール"と発音させたが、正しくはスメルなのである。

スメルとはスメラミコトを指し、それは天皇を指すからである。

フセインは恐らく、スメラ文明と古代日本との繋がりを知っていたと思う。

そうでなければ、"古代バビロニア"で止めておけば良かったのだが、ついそれより数千年古いスメラ文明と発音してしまった・・・

 

まあ、弘法大師は、密教がミトラ教で、それは詰まり天照大神信仰だと知っていたと思うが・・・

皆さんはどう思いますか?

だから、歴史は楽しいでしょう?

 

最後に、嵯峨天皇、弘法大師、橘逸勢は、日本の"三筆"と呼ばれているのだ。