最近の回転寿司の迷惑行為が話題となっているが、奴らの家庭や学校も問題視されいる。

 

しかし、現在の学校は、勉強を教える場所取り、修練の場では既に無いのである。

それは、モンスターペアレンツというバカ親世代が、学校の教育方針まで口出しをした結果、学校教育から"躾" が無くなったのである。

「躾は家庭でやる」となり、昔は町に数人居た悪ガキに「こら!!!」と言っていた"雷オヤジ"も消えた。

もし、昭和の時代にペロリストが居たら、隣席していたオヤジに殴られて終了の筈だ。

昭和までは、"子供は地域で育てる"という日本古来よりの伝統が残っていた。

小泉純一郎あたりから、急に欧米化に舵を切り、個人主義となった気がする。

 

皆さん、ハリウッド映画のアクション映画を観ていて、「えッ?」となったこと無いですか?

トム・クルーズのミッション:インポッシブルを例に出せば、トム演じるイーサンは、アメリカの敵と世界を股に掛けて戦っている。

もし、イーサンが日本に来て、銃を乱射して貴方の車を盗んで逃げていったら、笑って済ませますか?

自分が生きるためなら、善意の第三者の命はお構いなしとう構図である。

昔の"007"シリーズは、悪党を殺しまくっていたが、昨今の映画(007も含め)は、善良で無関係な人々を巻き込んでいると思いませんか?

 

それが、数年前から、個人から家族になり、自分の家族が助かるためなら、他の個人、家族などどうなっても良いとなってきているのだ。

個人主義から家族主義になっているのだ。

年末に、劇場公開された"アバター2"も正に、自分の家族以外はどうでも良いてきな感じであった。

だから、世界中で興行収入1位を記録しても、日本では1位を取れなかったのだ。

日本には、未だ日本古来の縄文文明より面々と繋がっている文化が残っているのだ。

それは、"他人と供に生きる"である。

人の幸せが自分の幸せであり、他人の不幸は、自分の不幸と獲られることが出来るということである。

欧米のように、人を蹴落としてでも上に上がるのでは無く、皆が幸せになる方法を模索する事であると思う。

 

何度も言うが、17世紀初頭の世界一の金持ちは、徳川家康公であり、彼一人で地球上の富の1/3を持っていた。

欧州諸国の王族と違って、公はその富を民のために使ったのである。

それは、天下人となった自分は、「日本の国の行く末を考える義務がある」と考えたからではないか?

日本国民は、天子様の大御宝であるから、天下人は大御宝の幸せを願うのは、至極当然であるが、他の国からすれば変わっているのである。

何故なら、「領民は領主の持ち物である」と言う考えだし、これが"王権神授説"へと繋がるのだ。

日本的に考えれば、王権を神から与えられたら、その権力で民を幸せに導くのである。

この違いは、天孫であらされる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、降臨される折に天照大神より「我々神々に仕えるがごときに人々に仕えよ」との勅命によるものであるに対して、他国は、神の創造物である人間も動物も、神より与えられた権力を殺生与奪に使えると勘違いしていることである。

 

だから、日本では"アバター2"より"すずめの戸締まり"が受け入れられているのだ。

 

それを踏まえて、現在を鑑みるとどうだ?

日本の伝統がグチャグチャになっていないか?

 

昭和の頃は学校も躾の一環をになっていたから、教師による正座やピンタは当たり前で、親たちも「どんどん叱って下さい」と家庭と学校が今より信頼関係が強かった気がする。

教師の"鉄拳"(愛の鞭ともいう)がなくなれば、当然躾は出来ないのに、社会の認識が相変わらず学校で躾けをすべきだと勘違いしていると思う。

 

"躾"という字を見ると"美しい身"であり、"健全な魂は健全な肉体に宿る"これが躾である!!!

 

さて、回転寿司ペロリスト事件も次から次へと出るわ出るわ状態であるが、中には「身元を晒さなくても」とか「叱って済ませろ」とぬるいことを言っている輩もいるが、未成年者殺人事件も、最初は昆虫や小動物から始まり、最終的に人間を殺すのであるから、ペロリストも最初は"唾液"が次は、"下剤"、最後は"トリカブト"へとアップグレードシテイク恐れもある・・・

 

だって、奴らからすれば、下剤ならば「ウンコばら撒くぐらいで面白い〜」という範疇でしょう?

 

そうならないためにも、社会が、大人が毅然とした態度で、"鉄拳"を振るわねばならない時ではないか?

ガキも仔犬も最初の躾が大切である。

これに失敗すれば、彼らの末路は悲惨な事になる・・・

 

我々は、本意、不本意関係なく、この国を彼らの託していかねばならないのである!!!

 

だから、子供は地域で育ててきた先人の知恵はたいしたものではないか?

何度も言うが、温故知新であり、故きを温ねて新しきを知ることを忘れてはならない!!!