歴代日本一のピッチャーは問うと、江川卓であると思う。

彼のストレートは、今の速度計測だと、159㎞であったというから、驚きであるし、恐らくストレートは150㎞〜160㎞超であったことは間違いない。

高校野球時代に、ノーヒットノーラン10回、パーフェクト試合2回の記録を持っている。

しかし、彼自身、そのことを「別に大したことはない。だってアマチュア相手だよ。こっちもアマチュアで、高校野球はストライクゾーンが広いしね〜」であったが、私も同意見である。

高校野球を観ていると、三塁打が多いのが分かるが、プロ野球で三塁打ってそうそう出るものではないし、高校生だと抜かれるヒットもプロならOUTである。

江川氏のプロに入って一番驚いたことは「俺のストレートがバットに当たる」であったという。

 

彼は試合中に良く"手抜き"をするとマスゴミに揶揄されていたが、実際、現在と違って完投することが当たり前の時代に、1回から9回まで全身全霊を込めて全力をだすことは不可能である。

だから、力の配分をしていたという。

彼の親友の掛布雅之氏は「江川(同じ歳で親友のためにお互い名字を呼び捨ての仲)の球は、第一打席より、第四打席の方が速かった」と言っている。

それと、打順だが、やや本気に投げるのはやはり3番、4番、5番だそうで、気を抜くタイミングの7番、8番にヒットを打たれることもあったという。

 

そもそも、江川卓は、ストーレートとカーブしか投げない投手で、その速球ストレートがバッタの胸辺りで浮き上がるとうのだ。

通常は、重力の影響で球は下に落ちていくから、バッターも落ちる球を狙うのだが、江川卓の球は浮き上がるために打てないという。

ライバルであり、友人の掛布氏とは、二人で会って話したときに、"最初の球は見逃す"と約束したのだそうだ。

その約束後の第1打席目に、緩い球が来たが、掛布は敢えて見逃した・・・

「ああ、此奴、約束守る奴だ」とお互いに認め合ったという。

そして、第2球目に、江川卓が振りかぶると「曲球行くよ!!!」とオーラが掛布に分かるという。

これは、仁義だと後に語っていた。

昭和57年9月4日、伝統の巨人阪神戦だが、場所は甲子園球場。

8回裏、ランナーを二塁に於いての2アウトで、バッター掛布である。

観客55000人が一斉にどよめいたのだ。

しかし、マウンドに当時の巨人軍藤田監督が駆け寄り、江川卓に敬遠を命じた。

江川はエースのプライドから返事をしなかったという・・・

しかし、チームのために敬遠したが、「凄い!!!敬遠の球が速い」と掛布氏は語っている。

結果、掛布氏は歩かされたが、次の岡田氏はキャッチャーフライの終わった・・・

 

この時を江川卓と掛布氏が、江川卓のYouTubeチャンネルで「二人は勝負知るべきだったし、その真剣勝負を55000人のお客さんは観に来ていたんだから」と語っていた。

詳しく知りたい人はYouTubeを観て下さいね。

 

江川卓と仲の良い人は、中畑清である。

先輩後輩の仲であるというのだが、その出合いは、日米大学野球対戦であり、2人とも選抜メンバーに選ばれており、中畑清は4年生で江川卓は2年生であったという。

アメリカでの試合で、中畑は痛恨のエラーを2度して負けたらしい・・・

 

江川卓が巨人入りしてファームでの調整を終えて1軍登録されたのは昭和54年の6月であったというが、同時期長嶋監督に認められ一軍入りしたのが中畑清であったという。

後楽園球場の選手ロッカーで緊張している中畑清に、一通り挨拶を終えて江川卓が来て、中畑清を見て言った一言は「ああ、中畑先輩だ。又エラーされる」であったという。

しかし、これで2人とも緊張が取れたらしいのだ。

 

ある日の試合、後楽園球場で7回表に江川は珍しく4ボールを出してしまった。

一塁から中畑清が近づき、何やら話していた。

TV中継のアナウンサーは「おっと、一塁を守っている中畑が江川に近づいた。何やら話をしていますね〜」と言うと解説者ももっともらしいことを事を言っていたと思うが、事実は以下の通りだ。

「卓、俺は今夜9時から六本木で待ち合わせしているんだよ!!! 間に合わないだろう!!! どうしてくれんだ!!!」

「分かりましたよ」

そして、その後連続三振をとり、中畑清は目出度く六本木へ行けたというのだ。

 

まあ、変な緊張をほぐす役割もしたのであろうが、こういったことをしながら、真剣なプレイを魅せてくるのだから、プロ野球は面白かったのだ。

昨今は、意地のぶつかり合いが足りないと思うが・・・

 

やはり、命を掛けて、しのぎを削る勝負が少なくなっているのが嘆かわしい・・・