先日、アニメ銀河英雄伝説について書いたのだが、一番有り得ないことを書き忘れたの今回追加することにする。

"人間が宇宙空間を航行することなど出来ない"はさておき、主人公のラインハルトは、下級貴族の出である。

分かりやすく言えば、江戸時代の御家人である。

御家人とは、官位6位以下の御目見得以下の身分であり、時代劇の八丁堀と呼ばれる同心もその身分である。

 

門閥貴族となると、爵位と領地を持っているから、大身の旗本や大名身分となる。

大名にも、国持大名、城持ち大名、陣屋大名と身分が別れ、それは千代田城本丸御殿での控えの部屋もランクで別れていた。

俗に士農工商と言われるが、実際はそんな身分制度は存在していなかったのだ!!!

これは明治時代に言われたことで、江戸時代は他国と違いきっちりとした身分の境界線は存在していなかった・・・

例えば、農民だが、これも庄屋を頂点にランク分けされており、庄屋はお大尽の生活をしていた。

庄屋は士農工商で言えば、農なのだが、村をいくつも統治している役人であった。

今で言えば、村長、町長、市長のようなものであった。

庄屋の屋敷は、住居と役場を兼ねており、通常玄関は3つあり、庄屋が出入りする玄関、通ってくる侍が出入りする玄関、そして、殿様や家老が出入りする玄関であり、建物は繋がっていたが、侍の建物に行くと一段高くなっていた。

これを"敷居が高い"と言ったし、殿様が入る建物は作りや装飾が違っており、家の者でも掃除以外は出入り禁止されていたという。

年貢は、庄屋毎に決まっていて、その石高を庄屋が各村に振っていたので、現在のように納税が個人ベースでは無かった。

それでも食えない所謂水呑百姓は、農閑期に殿様の鷹狩りや公共工事に駆り出され、日当(米)を稼いでいた。

関東地方で言えば、公方様の日光東照宮参拝も公共事業であった。

お付きのお供の数は13万人!!!であったから、実際に移動数する人数は50万人以上であった。

この人数に世話をするために、その地方の水呑百姓は動員されたのだが、当然日当がでるから、ウホウホであったのだ。

そうやって、政府が金を末端まで撒いていたのに、現行政府は金を毟ることのみで、撒こうとしない!!!

 

さて、話を戻すと、貧乏貴族であったラインハルトには、美形の姉アンネローゼがいて、彼女が15歳の時に宮内省の役人の目に止まり、皇帝に献上されると、瞬くまに陛下の寵愛を一身に受けることになった。

ラインハルトは、「父さんは、姉上は金で売った」父親を責めた。

後に父親は男爵位を辞退したという。

 

アンネローゼは、宮廷に上がりグリューネワルト伯爵夫人の称号と宮廷内に屋敷を賜った。

しかし、各貴族のサロンに呼ばれても無視されており、数人の夫人とのみ付き合っていたという・・・

はい、これは120%有り得ない!!!

皇帝の寵妃を無視することは、絶対にない!!!

グリューネワルト伯爵夫人への無礼は、皇帝への無礼と同じであるから、下手をすれば大逆罪となる。

 

日本で言えば、京都の八百屋の娘であった"玉"という少女が、大奥へ上がる姫のお付きの女中として江戸に行き大奥へ入った。

運命は玉と上様を合わせ、彼女は徳松を運だ。

徳松君こそ、後の綱吉公であり、玉は"お玉の方様"から桂昌院様となり、女一位様と呼ばれる日本一の権力者となった。

大名諸侯を始め、朝廷も彼女の前に平伏したのだ!!!

ルイ15世の寵妃ポンパドゥール夫人も、政治的才能は門閥貴族以上で、オーストリアのマリアテレジアと同盟を組、プロイセン包囲網を形成させ、後のアントワネットお輿入れの下準備もしたという・・・

ポンパドゥール夫人は短命で42歳の若さでなくなり、次に来たのがデュ・バリー夫人であった。

デュ・バリー夫人であった。

彼女は漫画ベルサイユのばらでも触れられているが、皇女マリーアントワネットもひざまずかせたのだから、寵妃の権力が分かるというものである。

これを踏まえて、グリューネワルト伯爵夫人への門閥貴族の対応は有り得ないのである。

 

さて、話をラインハルトに戻すと、ラインハルトは皇帝から可愛がられていた。

寵妃の弟して、幼年学校卒業と同時に帝国軍に入隊したのだが、通常は准尉待遇であるのが、いきなり少尉からのスタートであった。

そして、武勲を一つづつ上げる旅に一階級昇進するのであった。

18歳で将官になっているのあが、それは実際には有り得ない。

人間としての経験が無いこれは、若者にとっては致命的であが、若さとはそういうものである。

「認めたくないものだな〜、若さ故の過ちを」とは、シャー・アズナブルが戦艦ムサイの艦橋で言った台詞だが、あれを観ていた中学生時代の私は何も感じなかったが、今、クソガキが同じことを言っていてら間違いなく、ヘルメットを取って頭を叩いている!!!

ラインハルトが18歳の時に、皇帝フリードリヒ4世は、国務尚書のリヒテンダーデ侯爵を呼び、「ラインハルトに箔を付けたいから、何処ぞの名門貴族を与えたい」と言った。

ミューゼルでは貧乏くさいから誰も敬意を払わないと言うことであろう。

 

アントニュース・オクタビアヌスという人物をご存じか?

彼こそ、古代ローマ帝国初代皇帝アウグストスである。

ガイウス・ユリウス・カエサルは、オクタビアヌスを自身の後継者と決めていたのだが、彼が暗殺されたとき、オクタビアヌスは20歳そこそこであり、これは古代ローマでは子供扱いされる年齢であり、一人前の人間は30歳からの社会であった。

ハリウッド映画とは違い、「アントニュース・オクタビアヌスって誰?」がローマ社会であったという。

彼は、シーザーの血縁であったが、名門貴族ではなかったから、遺言書でシーザーは、オクタビアヌスにガイウス・ユリウス・カエサルの名を送っているのだ。

此により、下級貴族であったオクタビアヌスは、ビーナスの血筋である名門カエサル家の当主となったのだ。

 

詰まり、門地はやはり重要であるのである。

ラインハルトは、名門貴族であるローエングラム伯爵家の門地を勅命により継いだのだ。

 

さて、ここで宮廷内や軍隊内では、多くは「金髪の小僧」や「姉のスカートの中の大将」と揶揄しているのだが、これも実際には有り得ない。

姉が、皇帝の寵妃であり、弟も皇帝の覚え目出度く、トントン拍子の出世である。

この上げ潮姉弟に逆らう勇気を持っている奴など存在するか?

"成り上がり者"というが、誰だって成り上がるから、社会の上に行ける訳で、日本中の大名だって要するに成り上がり者の集団であった。

 

日本で言えば、綱吉公の小姓であった柳沢吉保侯や、6代公方家宜の側相人を務めた間部詮房は、元は能役者であった。

それが、上様の覚え目出度く出生し、老中をも凌ぐ権力であった。

時代劇では側用人制度は悪であるが、しかし、考えてみれば老中という役職は家柄が決まっていて、その家柄に生まれて且つ能力が無ければ成れなかったのだが、側用人は能力のみで上がって行けたのである。

現在の停滞している政界より、常に動きがあった江戸時代の政界の方がまともに機能していたのは自明の理であろう・・・

 

当時、名門大名家は、柳沢吉保をどう見ていた?

成り上がり者だといって、相手にしなかった?

否、全国の大名家は柳沢家の門に押し寄せて付け届けをしたのだ。

六義園は、都内に残る庭園だが、これは柳沢吉保が賜った下屋敷であったが、その庭園の造営には全国の大名家が手伝いを買って出たという。

 

詰まり、門閥貴族が銀河帝国開闢以来続いていると言うことは、"時勢の読み"が長けているということである。

だから、皇帝の覚え目出度い人間に対して、絶対に敵対行動を取らないのだ!!!

だって、国務尚書や帝国宰相になったら、潰されかねないでしょう?

 

寵妃、寵臣に挑むと言うことは、即ち皇帝への反旗を意味するのである。

 

吉良上野介の官位は四位であったが、五位の柳沢吉保と殿中松の廊下ですれ違ったら、どちらが道を避けて平伏するかはお分かりだと思う。

悪いが、吉良家など、吉保がクシャミをすれば消し飛んでしまう家柄である。

吉保は、先祖の主家筋であった甲斐の武田家を幕臣旗本として復活させていた。

 

まあ、古今東西、時勢の読みと媚び諂い方が大事である!!!

それが出来ないと、滅びのみである。