今年は暮れから、"NHK大河ドラマ祭"である。

昔、CAVTで録画した"徳川家康"、"武田信玄"、DVDBOXを購入した太平記、徳川葵三代、豊臣秀吉を観ている。

昨日、葵三代を観終えたが、まあ、歴史監修がいい加減で、ダメだね〜が感想である。

そもそも、江戸時代、武士の髭は神君公が禁止したはずなのだが、皆生やしている。

それと、服装が安っぽすぎる!!!

裃も着ていないし、礼服も変であった・・・

 

まあ、全ての殿中での作法は大猷院様の時代に定まったと言えるが、最期に大ちょんぼがあった。

秀忠公が江戸の町の基礎を築いたという言っていて、中でも井戸掘りとあったが、おいおい、江戸の町は井戸水出ませんから!!!

何故か?

埋め立て地だから、掘っても塩水である!!!

だから、水道設備が充実していたのである!!!

 

現在の我が家は、江戸時代、御府内から6里ほどの上石神井村にある、古地図で見てもここに人が住んでいたのがわかる。

私の祖父が戦時中に疎開で新橋の屋敷から移ってきてから住んでいるのだが、ここまで来れば美味しい井戸水が出ている。

庭の水は井戸からくみ上げて使っているが、珈琲やお茶に使うと、これが実に上手い水である!!!

何と言っても、地名からも石神様の井戸である!!!

 

大河ドラマ秀吉も、いよいよ佳境に入ってきたが、ここでNHKの気持ち悪さが炸裂!!!

"朝鮮出兵"だが、太閤殿下は、朝鮮出兵などしていない!!!

太閤が行ったのは"明国征伐"である。

明国を倒しに行には、半島を通るのだが、そこで遠吠えをするのがお家芸の半島が生意気な口を訊いたからフルボコにされたのである。

 

自虐史観に輩は秀吉が狂っていたとか、身の程知らずとか意味不目なこと言っているが、狂っているのはお前らだ!!!である。

世界中で、自国内を平定たら、次は外は常識である!!!

日本中が平定されたが、分割する土地がないから、領土を求めて大陸へ行くのは常識である!!!

 

更に言えば、朝鮮出兵した大名家は、豊臣恩顧の大名で、徳川勢は加わっていないかった。

これも、豊臣型の作戦で、明国を分捕っていれば、領地分割は豊臣家内で行う予定であったという・・・

恐らく、日本本土より広い領地を得る大名も出たはずだ!!!

そんな美味しい話を、何故徳川に与えねばならないのか?であった。

 

大きな誤算は、支那も、朝鮮も貧しかったこの一点であった!!!

恐らく、明国征伐は、信長公の計画にあったはずである。

大阪城は間違いなく、信長公の計画であった。

何故なら、大阪城が建っている場所に石山本願寺が建っていたから、「そこをどけ」で10年にわたる戦となったのだ。

仏教勢力がどれ程ヤバい奴らだったかお分かりでしょう?

あの、織田軍と10年間戦える程の兵力があったと言うことであるから、そこらの戦国大名家より強大な武力を持っていたと言うことである!!!

信長公は、仏に成り代わって仏罰を比叡山の坊主共へ与えて皆殺しにしたのである。

何故、女人禁制の比叡山に女子供がいるの?

今、坊主は、女、酒を飲んでいるバカが増えた。

なんで結婚してる?と訊くと「時代が変わった」というバカな返答を恥すら感じずに答える体たらくである。

御仏は、国も法も変わるが、唯一不変なのは仏法であると言っている。

詰まり、政府が変わって法律が変わっても、お釈迦様の教えは不変であるのだから、出家したら女性に触れてはならないし、全ての欲から己を遠ざけねばならないのだ。

まあ、クソ坊主共は、どれ程御仏を欺いて坊主の地位を進めても、皆等しく地獄落ちである!!!

在家の我々より罪は数段階も重いことを忘れるな!!!である。

 

秀吉軍の最大の誤算は、支那も朝鮮も貧しく、汚かったという事実であった。

皆、水田に米がたわわに実っていると思ったら、米など作っていなかった!!!

朝鮮人が米を食べるようになったのは、日韓併合以降の事であった・・・

恐らく昭和だと思う・・・(昭和一号という寒冷地に強い品種が出来てから)

 

幕末に日本にやって来たイザベラバードというイギリス人の女性旅行家が、自身に日記に書いている。

ソウルはゴミ溜めの如く汚く臭い。間違いなく世界で一番期待と思っていた。北京に来るまでは・・・であるから、北京が世界一不潔な町で次がソウルである・・・

 

それも、秀吉の時代に観てしまったら、皆の落胆も大きかったであろう。

最期は、こんな所に領地要らないから、日本に帰りたい!!!であったという・・・・

 

日本の自虐史観家は、日本は大陸でボロ負けして逃げ帰ってきたと言っているが、実はそれは嘘である。

清国が書いた歴史書には「明国は運が良かった。太閤が存命ならあと2年で負けていた」と記されている。

更に、大猷院様の御代に、明国から使節が来て、女真族を倒して欲しいとお願いされている。

そこで、公儀は兵2万人を送ることを決め準備に入ったが、送る前に明国が滅んでしまい、送るはずであった兵は浪人となってしまったのだ・・・

正式に、江戸時代は、支那は日本の下であった。

何故なら、明国と交わした条約の年号は、日本の年号であったからである。

 

秀吉を観終えたら、大河ドラマ最高傑作との噂の太平記を観直す予定である。

真田広之氏演じる足利尊氏が、その優柔不断さが凄い!!!

尊氏の優柔不断が、後の足利幕府200年間、戦続きの基礎を築いたのだ!!

平和になるのは、戦国時代(我々が言っている)に突入してからである。

戦国時代とは、守護大名達が戦疲れをして戦えなくなり、統治力も無くなり、その下が独立をしていった時代である。

 

何時しか、この腐った政府も倒れ、新しい政府なり幕府ができるであろうが、そうなったら、この平成、令和の時代をどのように評価するのであろうか?

間違いなく日本開闢以来、"国民の事を考えなかった最悪の政府"であろうと思う。