CATVで、平成12年(2000)にNHKで放映された大河ドラマ"葵 徳川三代"を放映している。

これは、神君公、台徳院様、大猷院様の三代を描いたドラマである。

 

注意!!!江戸時代、家康公、秀忠公、家光公と日本人が呼べば、首が飛んだのである。

そもそも江戸時代に神君公といえば、皆常識で誰のことか分かっていたし、大猷院様も同様であった。

 

目上の人の名前を呼ぶことは、これ以上ない非礼であり無礼なことであったのだ。

その名残が、今でも、会社の上司ならば役職で呼び、友人ならば渾名で呼ぶ風習がある。

 

NHKのくせに、敬称すら間違えているのが笑えたのだが・・・

そもそも太閤秀吉公はNGである。

太閤秀吉殿下が正式である。

何故か?

関白とは、人間でなく神の域に踏み込んだ身分だからである。

本来、天皇や御皇族を"何人"と数えるのは間違いで、"何柱"と数えるのである。

我々も死んだ後は"柱"として数えられるのだが、それは日本の土着の古神道(縄文時代から)の考えで、「死んだ人は神となり、その血筋や住んでいた村を守ってくれる」から来ている。

 

人でないから、殿、様、公、侯では受けずに、殿下と受けるのである。

神君公は神となり、日の本の国を守っていて下さる。

皆さんも東照宮に行ってお詣りするでしょう?

 

話を戻すと、CATVの"チャンネル銀河"の朝8時から一時間、一日一話で月金の放映であり、観ていてイライラするから、DVDBOXを買ってしまった・・・

 

"関ヶ原の戦い"から始まり、そこに至るまでの経緯も書かれていたが、ふと役者達に違和感を感じたのだが、それは演技が円熟な盟友を揃えていたのだが、年齢が合っていない。

淀の方は小川真由美さんが演じていたが、実際の淀殿はその時御年30歳ぐらいであった・・・

愛人の大野長治を演じた保阪尚希と比べると、熟女と若造であった・・・

 

関ヶ原の戦いは、はなから神君公が勝つことは分かっていた。

明治時代にドイツ軍のメッケル少佐が、関ヶ原の布陣を観て"西軍が勝ってでしょう"と言ったのは有名な逸話であるが、確かにガチで戦っていたら西軍が勝っていたであろうが、ここに最初から東軍が隠れていたらどうであろうか?

小早川秀秋が、西軍を裏切ったされているが、裏切ったのではなく、最初から東軍であったとして、布陣を観直せば、メッケルも東軍の勝ちと言ったはずだ。

更に、徳川秀忠公の徳川精鋭38000が、遅参したのだが、これも作戦であった筈である。

しかし、あからさまに遅参させては「内府殿は、我々だけを戦わせてなんだ!!!」という不平不満の生まれるから、真田家を使って攪乱されたことにしたのである。

もし、ガチでやっていたら、真田家はその時点で滅ばされていたはずであるが、実際は名門として明治まで残っていたことが"証拠"である。

 

関ヶ原の戦いを良く"徳川対豊臣"と取る人が多いのだが、これは歴史の罠にはまっている人々である。

我々は、関ヶ原の戦いの後、徳川家と豊臣家の主従が逆転し、大阪冬の陣、夏の陣を経て豊臣家が滅んだことを知っている。

だから、徳川対豊臣と関ヶ原を誤解してしまうのだ。

関ヶ原の戦いの時は、神君公は豊臣家の家臣であり、五大老首座である。

今風に言えば、総理大臣である。

その権限で兵を徴発して、諸大名を動員したのである。

福島正則を始めとして豊臣家恩顧の大名が・・・というが、豊臣政府の内閣総理大臣の命令であれば、従って当然であろう?

それに反旗を翻し、反乱を企てた石田三成は、正に極悪人と言える。

今風に言えば、テロリストである。

 

東軍、西軍合わせて約20万人が関ヶ原で、6時間に及ぶ死闘を繰り広げたことになっているが、死者数は両軍合わせて2000名位であっと言うから、6時間は眉唾であろう・・・

以前、関ヶ原は1時間ぐらいで終わっていたという話を聞いたことがある。

実際、20万人が6時間殺し合えば、死者数は数万人規模になったはずだ。

 

更に言えば、関ヶ原の戦いは天下分け目でもなんでもなく、反徳川の炙り出しであった事は事実であろう。

 

武田信晴と長尾景虎の戦いの川中島も怪しい・・・と気が付いたのは信長公であったという。

両兵の規模と戦死者がおかしい・・・と考え、第四次川中島の戦いに罠を張ったという・・・

川中島の戦いは、武田家も長尾家も家臣団が決して一枚岩でなく、不平不満が絶えずあり、反乱もあったという。

そこで、仮想敵国を作って一致団結を図っいたというのだ。

しかし、それを知っていたのは信晴と景虎のみであった為、第四次で激戦となり死者数は両軍で7000名となったという。

織田軍と違い、武田軍も長尾軍も全て領民である。

これは痛かったはずだ・・・

その後立ち直るまで約10年掛かったとう。

第五次は第四次から3年後であるが、これは両国とも内部が滅茶苦茶状態であった事が伺える。

だからこそ、仮想敵国を十分に利用して立て直しを図っていたと思える。

 

話を戻すと、淀殿がやたらと"太閤殿下の御威光"を言い、徳川家は家来筋と言って憚らないが、それを言ったら、太閤殿下だって織田家の家来筋であり、主家筋を全て家臣としたではないか!!!

と、誰かが諭すべきだったのでは?と思ってしまう。

 

まあ、楽しめる大河であることは間違いない。