昨日、天気も良かったので久しぶりに柴又へ行ってきた。
日暮里駅で京成電鉄に乗り換えて、高砂で更に金町へ行くローカル線に乗り換え、一つ目が柴又駅である。
駅の雰囲気は、映画そのままであるが、駅前広場には寅さんとさくらの銅像が建っている。
奈良時代の戸籍で、約1300年前のこの辺りに、"とら"と"さくら"という夫婦がいたことが分かっている。
柴又と言えば、帝釈天であるが、この参道に"とらや"はある。
映画の雰囲気そのままで、今にもさくらやおいちゃん、おばちゃん、タコ社長が出てきそうな感じさえする。
これも、地域の方々の並々ならない"男はつらいよ"への愛情、地域愛を感じられ、心が温かくなる。
先ずは、団子と今回はとらやでなく、斜め前の高木屋で足を止めた。
ランチは鰻と決めていたので、団子は軽く食べた。
店の中から参道を見ると、今にも寅さんがそこを通りそうな錯覚を覚えた。
先ずは帝釈天にお参りである。
帝釈天は、天帝といい、この宇宙の支配者である。
仏教においては守護神であり、六道の最上位である天部に属している。
お参りが済んだ後は精進落としで鰻である。
参道にある川千屋で戴いた。
鰻を食べる前に、鰻の肝や骨煎餅で一献、これが電車で来たときの楽しみである。
鰻を戴いた後は、寅さん記念館へ行ったのだが、寅さんの生い立ちにおいて違和感を覚えた。
車寅次郎は、父車平造、母柴又芸者"菊"との間に生まれた"不義の子"とあった。
寅さんの生年月日は、昭和15年11月29日とある。
詰まり、戦前であるから妾制度があり、確かお妾さん独りは戸籍に入れられたのである。
寅さんは戸籍上堂々と父車平造と母妾菊と記載されいたはずだ。
決して不義の子ではない!!!
余談だが、寅次郎であるから、兄がいたはずだが、どうやら早逝したらしい・・・
今では一郎、二郎は長男や次男に付ける名だが、本当は一郎は11番目の男子で、二郎は12番目の男子を指す。
長男は太郎、次男は次郎である。
風の又三郎は、13番目の男子を指す。
又十郎殿・・・といえば、20番目の男子である。
信長公は、正妻としては長男だが、信秀侯からすると三男であるから、織田三郎上総介信長なのである。
因みに、本来太郎、次郎は本名でなく字名であった。
昔の制度はどうしても側室を持たねばならなかったのである!!!
江戸時代は、正妻はわざわざ側室を探しだしたり、世話をしていたのだ。
だって、男子がいなければお家断絶であったからであり、そうなると家臣郎党全てが職を失い離散するとを意味していたのである。
更に、現代と違って、子供の致死率が高かった時代である。
男の仕事はせっせと小作りに励むことであったが、これはこれで大変そうと思ってしまう今日この頃である。
さて、本日のお題でもある"瘋癲の寅"だが、この瘋癲の意味も怖い!!!
精神状態が正常でない、又は正常でない人と、定職を持たずにぶらぶらと暮らす人らしいが、寅さんの瘋癲はどちらなのか?
映画を見ている限り、とらやでの行動や言動は精神異常なのは頷けるはずだ。
定職を持たずは、定職をもっている人は、土日祝祭日以外は、一日労働しているから、その視点から見れば寅さんは瘋癲だが、寅さんの仕事はテキ屋であるから、仕事は持っているのだ!!!
はてさて、寅さんの瘋癲はこれ如何に!!!
それと、"寅さんは童貞で、小中学生レベルの恋をしている"と思って、年末年始に寅さんシリーズをNetflix等で観直して欲しい。
よりディープに男はつらいよを堪能できるはずである。
寅さん記念館を後にして、江戸川の矢切の渡しを目指した。
土手も寅さんと源公こと佐藤蛾次郎さんが歩いていそうな雰囲気である。
頭の中には渥美清さんが歌う男はつらいよの歌が流れていたのは言うまでもない。
矢切の渡しで川を渡った。
渡ると下総国と書かれていたが、考えてみれば柴又も下総国であった。
国境は隅田川であった筈だ。
だから、国技館のある両国とは、武蔵国と下総国に跨がる両国橋があった事に由来する地名である。
両国橋を渡ったらそこは、下総国なのである。
ここから、野菊の墓の文学碑を目指して歩き、そこからJRの松戸駅まで歩いて、常磐線で上野に戻った。
野菊の墓文学碑のある矢切大阪は、古戦場でこの辺りの統治権を掛けて北条と里見が戦った場所で、この戦の敗因で里見家は滅んでしまったのが、領民は北条の善政を知っているから、北条に見方をしていたという・・・
この日、家を出てから帰る(上野からタクシーの乗ってしまったが・・・)まで、約10㎞歩いた。
皆さんも是非、男はつらいよの世界観を堪能し、そしてウォーキングをして健康を心掛けては如何でしょう?






