山陰地方ツーリングで、最終行程は兵庫県の名湯湯村温泉郷から余部鉄橋を経て、丹後半島の伊根から高速道路で帰宅であった。

 

私は、途中"中津川"で一泊することにした。

理由としては、長距離は走りたくないのと、ルートイン中津川の隣の昭和の香りのレストラン"プリンス松葉"に寄りたいという欲求からであった。

 

宮津天橋立ICから高速に乗り、琵琶湖の上を通り米原までいき、そこから関ヶ原を超え岐阜と名古屋の間をするぬけて高速道路を中央道目指してひた走った。

 

この時、Harley仲間のH氏とSちゃんのことを思い出していた。

平成22年に本来私も参加するはずであったHarley仲間との長崎から山陰ツーリングであったが、新車のハーレーが下関でオイルを拭いてDownし、私はツーリングに参加できずに新幹線で帰ってきたのであった。

 

余談だが、Harley悪ジジイ筆頭の通称"AtoZ"は、当時74歳で長崎を夜中の0時に出発して自宅の所沢にはその日に14時に着いたという猛者がいる。

「頭がおかしい・・・」と私は思っているのだが・・・

 

さて、その旅の折、H氏とSちゃんは大雨にもめげずに山陰地方を走り、最終日に宍道湖の玉造温泉に泊まったらしい。

H氏の罠であるのだが、彼は京都の実家に寄るから、玉造温泉に宿を取ったが、私は最初から精々城崎温泉でないと、「東京へ帰るのがキツい」と何度も言ったのだが・・・

H氏は「それでは京都まで直ぐじゃない」と言っていたが、東京組のことをまったく考慮に入れないないのがクソジジの所以である!!!

だから玉造温泉を出発の朝、「罰が当たって雪が降るんだ!!!」であった・・・

 

雪の玉造温泉を出て、中国道へ出て京都辺りでH氏と別れたSちゃんは、琵琶湖の下から中央自動車道を目指したという。

独り旅800kmであった・・・

それも、現在の私の歳より上であった・・・

 

「ああ、Sちゃん、ここを独りで走ったのか・・・」と私も同じ道を走りながらしみじみと彼のことを思っていた・・・

 

翌日、中津川を8:30に出発して、一路東京を目指して中央自動車道を諏訪湖を目指して走っていた。

恵那山トンネルを抜けると、一気に気温が下がった・・・

メーターにある外気温計は5℃を告げていたが、時速100kmくらいで走っているので、体感温度は0℃以下であった。

溜まらずに、途中の駒ヶ岳SAでバイクを止め、ヒートジャケット一式の入った鞄を取り出し、多目的トイレに駆け込んだ・・・

冷えたため、お腹が痛く・・・

バイク用ジーンズのため膝当て等が、ブーツの減りにあたりズボンが下ろせない!!!

仕方なく、ブーツを脱いでベッド上にあがり、チン○になって用を足し、その後靴下を履いたまま裸になっていた。

もし、誰かが入ってきたら(鍵はかっていた)、みっともない格好であった筈だ・・・

ヒートジャケットは、低温火傷の恐れがあるため直接膚の上に着てはならないのである。

長袖の下着と股引を装着した後に、その上に着込むのである。

 

Bikeに戻り、電熱のコネクターにジャケットのジャックを取り付けて、エンジンを始動させると、暖かい〜のであった・・・

走り出すと、その差は歴然であった。

寒くない!!!

 

岡谷JCTから何時も通っている中央自動車道になり、南諏訪とか小淵沢ICの文字が見えると、既にテリトリーに戻ったことを意味する・・・

Sちゃんは、頑張ってここを走ったんだな〜と感慨深くなり、「戻ったら又ランチするか」と思い、12時半前に帰宅した。

 

H氏に連絡しようとした矢先、9日の水曜日に彼から電話が入った!!!

「驚くなよ、Sちゃん昨日亡くなった・・・」

享年74歳であり、今では若くして亡くなったの部類に入る・・・

H氏は82歳であるから、彼は自分の方が先だと思っていたらしい・・・

 

妙に、中央自動車道を走っているときに、Sちゃんのことを思ったのは、虫の知らせなのか?

Bike好きであったから、最後の混濁の時に、彼の意識は鳥瞰で走っている私を見ていたのかも知れない。

 

Sちゃんと初めて会ったのは、平成18年(2006)に初めてHarleyを買ってからである。

彼はエボのウルトラに乗っていた。

エボのウルトラは、仮面ライダースーパーワンが乗っていた奴だ。

背が小さかったので、ウルトラに乗ると爪先立ちであったので、私は彼を「バレリーナ」と命名した。

兎に角弄られキャラであり、何時もニコニコしている人であった。

私は彼より17歳年下だが、何故か彼は私を「先輩」と呼んでいた。

 

今夜、H氏と数人でSちゃんを偲ぶ会を催し、彼のオバかぶり伝説を肴にした飲み会を行う。

賑やかなことが好きであったし、10年間連続で北海道ツーリングもしていたので、肴には不自由しないであろう・・・

 

齢50歳を過ぎると、心身共に衰えてくる。

「来年はこれをしよう」と言うことが言えなくなっている年齢である。

だからこそ、今を精一杯に生きることが重要であろうと思う。

やりたい事は、先延ばしにせずに今やる!!!なのである。

 

実は私の山陰地方ツーリングも構想自体は2年以上前からである。

「来年でも良いかな〜」と思いつつ2年が過ぎたのだ。

だからこそ、今やったのである!!!

 

Sちゃんのご冥福をお祈りします・・・