だんだん秋らしくなってきた今日この頃である。

 

昨日、久しぶりに独りツーリングに出ようと思い、寝る前に目覚まし時計を朝の4:30にセットした。

 

今回のツーリングのコースは、自宅から下道で秩父、秩父から奥ちちぶ湖を見ながら雁坂トンネルを通り、甲州へ入りそのまま国道137号線で河口湖へ向かい、山中湖の"甲州ほうとう小作"でランチ、帰りはバイクのメッカである道志道を経て、圏央道の相模湖ICから中央自動車道で高井戸ICまで行き、自宅へ戻る日帰りである。

 

結果から言うと、一日で324.6㎞の行程であったが、やはり300㎞を超えると走った気がするのである。

これが200㎞代だと不思議と物足りなさがあるのである・・・

しかし、300㎞後半から400㎞を超えると、疲れが出てくるのだ(若い時はなかったが・・・)

ただ、同じ400㎞でも、山道なのか、高速道路のなかで疲労感や時間が変わってくる。

 

朝、ふと目が覚めると、何と4:10であった!!!

凄いぞ体内時計!!!と感心しながら、起きてツーリングの準備を始めた。

結局5時過ぎに出発できたのであるが、秋分の日を過ぎているので、朝5時が薄暗いのだ・・・

夏の暑い盛りには、朝5時台で既に明るくそして暑かった・・・

 

走り出すと、外気温は21℃で以外と寒く感じだ・・・

新青梅街道を西進したのだが、ナビ様は所沢街道へと誘うのであった。

通常はナビを無視するのであるが、何時もと同じでも詰まらないと、今日はナビ様の言うとおりにしてみた。

所沢から国道463号線を進んだが、ナビはバイパスを指していたが、私は昔の思い出のトーレースではないが、元の463号線を進んだ・・・

昼間なら激混みだろうが、早朝ともあり、スイスイと行けたのだが、途中で入間市駅付近を通ったが、入間市駅付近が都会化していてビックリであった!!!

小汚いイメージしかなったのだが、いや〜ビックリした!!!

記憶では周りは畑だらけであったのだが・・・

 

入間市を抜けると299号線のバイパスを進み、一路秩父を目指した。

西武秩父駅周辺には6時半頃に着いていたが、休まず道の駅大滝温泉を目指した。

途中、道の駅あらかわでトイレ休憩をしたら、何と秩父鉄道の踏切で三峰口の電車を待ったのだが、踏切が開いて秩父鉄道沿いに走る地元道(結構立派な道)を走ると、先ほどの電車を追い越してしまった・・・

 

国道140号線、又の名を秩父往還道、又の名を彩甲街道?と呼ぶらしいが、三峰口から道の駅大滝温泉までは、ワインディングが激しく、尚且つ半分岩をくりぬいたような感じのヤバそうな道となっていくのであった・・・

道の駅大滝温泉では、お腹が空きすぎて体温が上がらないので、毒とは知ってもファミリーマートでおにぎりとサンドウィッチを買って食べた。

せめてもの救いは、珈琲は家から保温ポットで持ってきていたので美味しい物を飲めたことであった・・・

 

この辺りで気温は18℃であった。

ここからが問題で、140号線は左右に分かれることになる。

左に行けば、三峯神社のほうで、右に行けばループ橋があるバイパスである。

今回は右を選んだ。

三峯神社は、武蔵国の二ノ宮で、日本武尊をお奉り申し上げている。

日本武尊と言えば、日本三大魔王のお一人である!!!

日本武尊、菅原道真、崇徳上皇の御三柱が、日本を呪詛する魔王である!!!

鎮魂するには、我々が日々より御三神に詣でねばならないのである!!!

天変地異には、この方々が拘わっているという・・・

これに安倍晋三が加わらないことを祈るばかりである!!!

何故ならば、御三神の御最期は、皆憤死であり、怒りと恨みがこの世に残っているからだ!!!

故安倍晋三氏もきっちりと死因と真犯人を見付けねば、本人の魂が成仏できないでしょう?

それには、我々国民が真実を知って、暗殺した奴らを許さない!!!という思いが必要なのである。

更には、左に行くと、栃本関所跡があり、昔の奥武州と甲州を結んだ街道(雁坂道だったか?)があるというのだが、歩くとどれぐらい掛かるのやら分からないが、地物と人の話だと「景色の良い良い道だよ〜」と言っていていた。

 

バイパスは、ループ橋を上がるといくつものトンネルを潜り、雁坂トンネルへと至る。

トンネルの料金は決して安くはないが、作った労苦と便利さを鑑みれば、それも当然の額かも知れない・・・

Bikeで590円也・・・

 

甲州側に行くと、激しく道は下るのだが、秩父路では登ったのだからね〜

甲州内140号線もバイパスが出来ていて、楽に石和温泉まで行けるのである。

今回は、河口湖方面であったので、一宮御坂ICを目指して三坂峠を突っ切ったのである。

河口湖は混んでいたのだが、ここは時間との勝負であり、このまま行けば、"小作"のオープン1時間以上前に着いてしまうので、急遽西湖に進路を取った。

西湖へは最初にHarleyを手に入れたばかりの頃、よく来た思い出の場所である。

そして、初めて見付けた場所に寄ってみた。

 

この名は"西湖コウモリ穴"!!!

吸い寄せられるようにBikeが駐車場へ入ってしまった・・・

確か、大人300円を払うと、ヘルメットを貸してくれるので、それをもっていざ洞窟へ!!!

ひょっとして、今歩いている場所は、リアル富士の樹海!!!であるとおもうと、ディズニーランドよりワクワクする。

これが"本物が持つ力"なのであろう・・・

遊歩道があるから進めるが、無ければ出てこれないのは理解できる!!

後で売店の人と話したら「この前にバス停があるんですが、お一人で来られる方にはお声がけしています」とのこと・・・

「俺も一人様だけど大丈夫かな?」と尋ねると大笑いされた・・・

 

詰まり、富士の樹海にはどこからでも入れてしまうのである!!!

進むこと10分ぐらいで洞窟へ到着した。

『不気味にぽっかりと口を開けた洞窟は、我々を拒むかのようにあざ笑っていた・・・』とまるで"川口浩探検隊"のようであった・・・

そうそう、水スペで有名な川口浩探検隊なのだが、これで年代が分かってしまうらしい・・・

我々より若い世代だと"藤岡弘、探検隊"だそうだ。

洞窟の中なのだが、ここは背が立つのだが、この先私の体格(身長182㎝)だと、しゃがんでも辛い穴になっていた為、「匍匐前進しないと・・・」なのだが、服が汚れちゃうからの断念であった。

残念ながら蝙蝠は見ることが出なかった(昼間は寝てるよね〜)

この扉の向こうにいると言うが、考えてみれば都会でも蝙蝠は生息しているのである!!!

この格子は、蝙蝠が飛びながら通過できる大きさなのだという。

なんと天然記念部であるため、万が一悪戯で洞窟を破損したり、蝙蝠を捕獲すれば逮捕されてしまうのだ。

まあ、分別のある大人ならそんなことはしないと思うが・・・

 

ここは、蝙蝠も見るよりも、樹海を歩いたという思いの方が充実感を与えてくれた。

 

その後、山中湖の小作に向かった。

店は11時オープンであったが、私の到着は11:05であったのに、駐車場はほぼ満車!!!

店内も8割方埋まっていた!!!

新型コロナウイルスは既に過去になりつつあることを実感した。

 

食後、山中湖を半周してから道志道へ入った・・・

あれ、何故ほうとうに触れないのか?って?そうです、余りもお腹が空いていたため、写メする余裕も無く気が付いたら食べ終わっていたのです・・・

ほうとうを食べていた甲斐の人々・・・

貧しかったのね〜と古に思いを馳せたのであった。

そうです、その昔、甲州は稲作は出来なったというのである。

だから、小麦を作りそれを今川や北条と貿易をして、米を得ていたのであるが、米を食べられる人々は高級武家とお庄屋様ぐらいであったのであろう・・・

江戸時代になり、稲作の安定供給ができるようになれば、庶民も米を食べられるようになった・・・

だから、昔から、蕎麦、麦を栽培している地域は、米が出来なかったのである。

稲作が東北で盛んになるのは昭和からだという。

因みに、学校の嘘歴史では「百姓は米が食べられずに、稗や粟を食べていた」とならったのだが、これも大嘘である。

1800万人分の稗や粟を作っていたら、どこで米を作ったのか?となるのだ。

これも明治政府のプロパガンダだと思っている・・・

実は、冷害の餓死は、江戸期より明治になってからの方が数が多いのである。

これでは、「江戸時代の方が良かった」となるから、嘘を流す必要性があったのである。

だって、東北で米など作れる訳がないでしょう・・・

昭和一号という品種改良された米は、寒冷地でも栽培が可能であり、それ以前はダメダメ!!!

江戸時代はそれが分かっていたら、米を買い込むために売る物が必要であったから、蕎麦や麦、漆、紅花とうとうを栽培していたのであるが、明治政府は、兎に角米を栽培しろ!!!で、東北総貧乏になった・・・

母の話では、母が小さい頃、身の回りの世話をしていた奉公人は東北出身の若い女性が多かった・・・と言っていたのを思い出した。

 

さて、Bikeのメッカ道の駅どうしをスルーして、最初の計画では紅椿の湯で温泉に浸かる事になっていたが、それもスルーして帰宅した。

道志道も良いのだが、一つだけ欠点を言うと、トロイ車がいたらOUTなのだ!!!

 

帰宅したのは13時過ぎであった。

324.6㎞、充実した独りツーリングであった!!!

次は、伊豆にでも金目鯛を堪能しに行くとするかな〜