先日、軽井沢へ行ってきた。
湘南新宿ライン高崎行きに乗り、終点の高崎まで行った。
高崎から上信越線の横川行きに乗り換えたが、高崎から横川間はローカル色が色濃くなっていた。
しかし、良く良く考えれば、上信越線は優等列車が行き来した優良路線であった。
私が小学生の頃、毎年夏に軽井沢の別荘に行っていたが、"特急あさま"で行った記憶があるし、途中横川で有名なおぎのやの釜飯を買ってもらい電車内で食べたものである。
横川〜軽井沢がなくなる一月前に、私は父親とのゴルフのために、会社帰りに独り特急あさまで軽井沢に向かったのも、今となっては遠い日の思い出である。
余談だが、そもそも何故、碓氷峠に鉄道を通したのかと疑問に思ったことはないであろうか?
実は、明治の最初、日本で一番の人口の都市は、東京府(戦前は東京都でなく東京府)でなく現在の新潟市であったという。
当然明治政府は、新潟と東京を鉄路で結ぼうとした。
最短ルートは、現在の関越トンネルこと清水トンネルを通るルートであったが、そこには日本屈指の谷川岳を始めとした山脈が横たわっていた。
前にも書いたが明治になって直ぐに、南国育ちの田舎者の明治政府高官(大久保利通含む)が、舐め腐って谷川岳横の清水峠に国道を通した。
これが現在の国道291号線であるが、何と開通から約一月後には土砂崩れで通行止めになり、現在に至っているのだ。
興味があれば、YouTubeで"国道291"と検索すれば、猛者共がここを行く動画を観ることが出来る。
当時、外国人技師等も「谷川連峰にトンネルを掘るのは不可能」となり、代替え案として碓氷峠越えで長野市を経由して直江津まで鉄路を引き、直江津から海路で新潟市と考えたようである。
そいて、明治26年からアプト式によって碓氷峠越えをしていた。
アプト式とは、左右のレールの真ん中にギザギザの付いたレールを置き、そのギザギザに汽車の両車輪の間に設置した歯車がラックレールにかみ合い、坂を上っていく方法である。
蒸気機関車の平均時速は9.6㎞で、横川軽井沢間を約80分で運行していたと言うが、トンネルが多かったので、乗客は機関士が窒息死するという事故も多々起きたという。
そこで、明治45年から日本初の電気機関車ED42になったという。
しかし、大正時代になると、軍部から「遅い!!! これなら歩いた方が早い」というクレームが鉄道省に入り、時の政府は清水隧道を掘削することになったというのだ。
それが、現行の上越線の清水トンネルである。
私より年長者ならば分かると思うが、昭和40年代に東京から新潟に行くのは大変であった筈だ。
関越自動車道が無かった時代、国道17号線で永遠と行かねばならなかったし、三国峠越えで苗場を抜けて湯沢に至ったのである。
これが関越自動車道の開通と共に、関越トンネルが完成したら、あっと言う間に新潟県である。
私が日本で運転免許証を取ったときは、関越トンネルは片側一車線の相互通行であり、中央分離帯に永遠と柱の様なのがあって、それにぶつかりそうで怖かった記憶がある・・・
碓氷峠に話を戻すと、長野新幹線が開通すると、何故か横川軽井沢間が分断されてしまった・・・
西武グループ総帥の堤義昭氏の陰謀論まであったぐらいである。
ここで話が前段に繋がるのだが、私は横川〜軽井沢まで100年前に作られたアプト式の線路跡を歩くことにしたのだ。
横川駅あら通称アプトの道を"めがね橋"を目指して進んだ。
チェックポイントは旧丸山変電所であった。
写真の左側は、横川にある"鉄道文化村"である.
この日は、園内で蒸気機関車の釜を焚いている煙と匂いがしていた。
一直線の区間が続いたが、永遠と上りが続くので、リズムを付けて歩かないと直ぐにバテてしまう!!!
左側の線路は鉄道文化村のメインの電気機関車EF63を、運転できる線路である。
一般人も鉄道文化村の機関士の勉強をするとここを運転できるのである。
これが明治の頃の建物である旧丸山変電所である。
レンガ造りの趣のある建造物である。
この標識の位置は、"天然温泉峠の湯"でり、この辺りから碓氷線の旧線と新線が別れる辺りであると思われる。
ここを進むとトンネルが見えた。
トンネルの上は国道18号線である。
頑張って歩くとめがね橋にでるのだが、橋の上からだと何が何だか分からない状態であった・・・
下の降りて初めて「ああめがね橋だった・・・」となるのである。
ここまでで、汗で着ているものは全てびちょびちょ状態であった・・・
バス旅では太川陽介さんも蛭子さんもビックリの1日一本のバスに間に合ったので、バスで軽井沢まで行った。
思っている以上に人出にビックリであった・・・
とりあえず、温泉に入り服を着替えてから昼食を取り、アウトレットを見物して帰路についたのだが、新幹線が満席で自由席しかないとのことで、急遽高速バスで帰ることにした。
軽井沢駅から、池袋プリンスホテル行きのバスであったが、私は途中の練馬区役所前の停留所で降りて、タクシーでの帰宅となった。
蒸し暑さと大勢の人に当たり、ヘロヘロであった・・・
これも夏の日の思い出である!!
次の冒険を思いついたが、それは別の機会に紹介するとしよう・・・