私は生まれてこの方、未だに九州に上陸したことがない。
九州に嫌われているといった方が良いかも知れない・・・
10年以上前に、Harleyのイベントで"長崎フェスティバル"というのがあった。
Harley仲間と長崎まで行って、フェスティバルを終えてから、阿蘇山外輪を廻って、秋吉台によって、山陰を経て帰るという企画があった。
私は丁度Harleyを買い換えて直ぐのツーリングであった。
フェスティバル前日に、仲間は朝4時に東京を出発して一路下関PAに併設されている宿泊施設泊であったが、私は所用で後から皆を追いかける形となったが、私は下関市内のホテルに宿を取った。
当日、皆は角島に行ってから下関PA集合予定であり、私は河豚でも食べてから合流するよていであったが、ホテルをチェックアウトして駐車場に行くと、私のHarleyの床がオイルまみれであった・・・
そう、新車のHarleyがオイル漏れで、下関まで行ったのに九州上陸出来ず!!!であった・・・
何度となく九州に行く機会があったのだが、その度に行けずじまいであったのだ。
MOTORHOME購入後も、先ずは鹿児島まで行ってゆっくりと東京に帰ってこようと計画はしたが頓挫した。
そこで、今回考えたのは、"九州よ、一寸だけね〜"計画である。
本格的に行こうとすると、桜島や霧島、阿蘇山が噴火しそうなので、本当に先ずは触れる程度から始めようと思っている。
先年就航した東京九州フェリーは、横須賀港から新門司港までを約21時間半で結んでいる。
取りあえず、門司に上陸して「九州行けた!!!」事実を構築してから、本格的に九州を攻める壮大な計画である。
しかし、今回も邪魔が入った!!!
当初の計画は、8月22日月曜に横須賀港出港のフェリーを仮押さえしたが、仕事の都合で敢えなくキャンセルであった・・・
しかし、一週間遅らせてのチャレンジである。
コースとしては、ざっくりだが、門司のホテルで一泊(フェリの新門司港到着が21時の為)してから、翌日、角島→楊貴妃の墓→萩城→秋吉台→錦帯橋→岩国市内のホテルである。
翌日は、岩国市内のホテル→宮島→大和ミュージアム→ミーヨの島(映画"彼のオートバイ、彼女の島"のヒロインの島である)→村上水軍博物館である。
その後、今治に泊するか道後温泉泊か、将又、一気に日本海側の松江市内かで迷っている。
行ってみたいのは、戦国時代山陰地方を支配していた尼子氏の居城であった月山富田城である。
その後、鳥取砂丘を観てから、山陰地方を京都辺りまで走り、鈴鹿峠か関ヶ原を超えて名古屋に入り、中央道で一気に東京までを考えているが、まあ、その辺は行き当たりばったりで良いかな〜と思う。
しかし、丹後から若狭へ抜けると、以外と大変になる。
敦賀まで行けば、当然北陸自動車道か国道8号線になるのだが、ここは旧北陸本線の後を道にしたマニアックな県道207号線を行きたくなる。
更に中山トンネルを越える(敦賀から金沢方面)と、そのトンネルの上に廃村があるのである。
因みに、これらの旧道のトンネルは鉄道用のトンネルのため、幅が狭いので興味を持った方は要注意です。
などと、妄想に近い計画立案中である。
独りツーリングの大冒険なのだが、一応ダメ元で友人Kに声をかけた。
彼は今年67歳であり、定年後同じ会社で賃金カットで働き、有給を毎年捨てているという典型的な昭和のバカ社員である。
「リタイヤしたら行くよ」というが、おいおい、お前さ、17歳の少年が「20歳になったら、バイクの免許とって日本中を旅したいです」とは訳が違うぞ!!!である。
そもそも、後3年間、無事に健康で生きている保証があるのか?
ご丁寧に新型コロナウイルスワクチンを4回摂取しているのだから、70前に死ぬリスクが高いだろう???だし、コンビニ弁当を食べているのだから、そろそろ発癌か?のリスクもある。
そもそも、どんな人間であれ、その人が死んでも世界はまったく問題ないのである。
「俺がいなくなったら、会社は大変だ」と思っている馬鹿チンが多いが、「お前が死んでも何ら問題ないよ」が答えである。
更に、定年退職して再雇用で、同じ仕事を賃金半分くらいで良く働くよであるし、そもそも出世は絶対にしないのだから、有休を使って有意義に生活した方が、自分自身の人生をより豊かにすると思うのだが・・・
まあ、他人に人生に口出す気は無いが、もう少し旨く人生を送って欲しいと思っている。
皆さんは、このブログを読んでくれていますが、今この瞬間が皆さんの人生で一番若い瞬間です。
明日読み返せば、24時間歳を取っているのである。
「今やろう」なのである。
別に病気だけがリスクではなく、更なる疫病蔓延や、戦争に巻き込まれる可能性もあるのだ。
「今出来ることは今やる」をモットーにすれば、より楽しく充実した人生になると思う。
だから、九州一寸だけよ〜を実現するぞ!!!