安倍元首相暗殺事件以降、"統一教会"問題で政治家が踏み絵をさせられている。

政府与党と宗教の問題を言うなら、「公明党と創価学会は?」と思いませんか?

そもそも、これは正に憲法第20条の信教の自由に違反している行為であるし、憲法違反をマスコミが助長していること自体が問題である!!!

靖国神社へ議員が参拝すると「憲法に触れないか?」という誠に素っ頓狂な質問を平気でできる記者もバカだと思う。

他人に宗教を押しつけることは、「宗教を信じるな」が憲法違反であって、自分の信じる宗教を行うことは問題ない筈だ。

 

さて、日本の宗教と言えば、古来よりの神道と仏教であるが、これを破壊したのは明治政府であった。

廃仏毀釈をして、それまで神と仏を一緒に祭っていた神社仏閣を別々にさせて、仏閣を破壊したのである。

更に、神道をも破壊したのであった!!!

江戸時代こそが実は"信教の自由"を認めていたのであった。

 

前回の独りツーリングの大冒険で帰りに立ち寄ったのが、諏訪大社であった。

諏訪大明神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)であり、大国主命の子供であり、有名な恵比寿様の弟に当たる神である。

上諏訪神社に建御名方命、下諏訪に神社には彼の妻である八坂斗女命を祭っているという。

 

諏訪大社の御神体は守矢山であり、諏訪大社の建物の位置関係が、エルサレム神殿と酷似しているというし、エルサレムも霊山としてMt.モリヤがある。

ここで、自虐史観だと失われた古代ユダヤの十支族が日本人だというのだが、歴史は日本の方が遥かに古いのであるから、「お前らが失われた十支族なんだよ」が本当である。

詰まり、ヤハウェは建御名方命と言うことになる。

ユダの福音書(死海文書のある破棄されなかった古代の福音書)によると、主イエスと"裏切り者ユダ"は共に神々の国の住人であり、罠に掛かってこの世に人間として生を受けたという。

更に、周りのユダヤ人は主ヤハウェに祈っているが、イエスはヤハウェを馬鹿にしていた。

簡単に言えば「あんな地位の低い神に祈ってどうする?」であったのだ。

 

国譲りにおいて建御雷之男神と建御名方神は、相撲で決着を付けた。

本当は、建御雷之男神が大国主命に「国を譲れ」というと、大国主命は「私は出雲族の長ではあるが、須佐之男命の血を引いていないから(入り婿)、息子に訊いてくれ」と言ったそうだ。

そしてその重要な中、海で釣りをしている命を見付けた。

「国を譲れ」と言うと、その神は一言「いいよ」と言って釣りを再開したという・・・

正に恵比寿様である。

それに納得がいかなかった弟の建御名方命が、徹底抗戦を主張したが、建御雷之男神に両腕を折られて彼は諏訪まで逃げてきたが、この地で追い詰められて、大和の神々に逆らわないようにと、諏訪から出ないことを誓い命を取り留めたという。

 

しかし、諏訪には明神様信仰があって、これは建御名方命とは別の神であるという説もある。

和銅5年(712)に、太安万侶が古事記を編纂した。

編纂とは纏めたのであり、日本各地にはそれこそ縄文時代から言い伝えも口伝で残っていた(風土記)ので、それらを編集したと私は考えている。

但し、神々の話はそれこそ縄文文明以前の話であるから、和銅5年の時代でも既に太古の話であった筈だ。

 

旧約聖書にはアブラハムの一説が出てくる。

アブラハムと妻のサラの間には子供がいなかったが、側室に子供がいた。

しかし、神はアブラハムに妻は懐妊して子供を産むと言うのだ。

アブラハムも妻も神を笑ったのだ。

何故から、この時アブラハム100歳で妻は90歳であったからであるが、見事妊娠したのだ!!!(古代宇宙人説ならば、現代医学なら可能である)

そこに生まれたのがイサクである。

数年後に神は、アブラハムの信仰心を試すために、アブラハムにイサクを捧げ物として捧げよと命じる。

アブラハムもイサクを大人しく運命を受け入れ、父であるアブラハムがイサクを切り裂く直前に神はそれを止め、代わりに羊を捧げよと命じ、二人を祝福したのだ。

 

これと同じ事が諏訪で行われていた。

神長官守矢邸にその証拠があった。

立派なたたずまいの屋敷である。

ここが諏訪大社である神長官の屋敷跡である。

諏訪大社は建御名方命の子孫である諏訪氏がいて、それを補佐するために守矢家が神長官として諏訪大社に仕えていた。

しかし、明治政府が、日本全国の神社を国が支配するために神社庁を作り、その支配下に置いたため昔ながらのその土地その土地の風習を破壊してしまったのだ!!!

 

私がお世話になっている霊能者は、明治以降、日本は神々から見放され続けているという。

一柱、一柱と日本を去って、高天原にお戻りになっているというのだ!!!

諏訪大社では古来より御頭祭なる儀式が毎年行われていたという・・・

作法は守矢家当主の口伝であるため、明治以降この秘技が伝説となってしまった・・・

菅江真澄という宝暦4年生まれの旅行家兼、博物学者がいた。

彼はこの奇祭を観たくて遙々三河から旅してきてスケッチを描き残していたのだ。

彼はなんと蝦夷地まで行っているのである。

何時の時代も物好き、元い、凄い人はいるものである!!!

昔は毎年、これほどの獣を狩って捧げていたのだが、現在はこの作り物で祭を行っているという・・・

 

明治以降、現在も我々は自らの手で、創造主達を殺していると言える。

私の好きな言葉に「天網恢恢疎にして漏らさず」というのがある。

これは悪事はバレなければ良いと思っていても、結局は捕まって裁き(天誅も含め)を受けるということである。

"お天道様に恥ずかしくない様に生きる"が日本人の行いであった。

しかし、現在、自分だ主義が横行し、「今だけ・金だけ・自分だけ」が流行っているかのようだが、天網恢恢疎にして漏らさずであるから、そいつらは必ずツケを払うハメになる。

 

このまま、神々に見放され続けると、最後は大洪水か火山噴火等々で、"全人類殺処分"になりかねない。

最後は信心である。

 

神仏に恥ずかしくないように生きていくことが大切である!!!