"武士道"というとう単語は明治以降に出来たという。
"強者の道"とか"弓矢とる身の習"と言っていた。
確かに、武士が存在している世の中で、「これが武士だ」という概念より「俺が武士だ」という生きざ自体が武士道であるから、単語はなかったのも頷ける。
現在ある、空手、柔道、剣道、合気道は、武術から別れたスポーツである。
大体、柔道の体重別って何?
私が子供の頃に良くTVで観ていたスポ根柔道ドラマやアニメには体重別など存在していなかった・・・
そもそも、戦において「お前巨漢だから反則だ」と敵に言えるか?
生き残るためには、小柄な奴でも巨漢を倒さねばならなかったから、"術"が生まれたのだ。
"柔よく剛を制する"が、術の根幹であろう。
武術には、鎧の上から殴って、その力は鎧を素通りして肉体を破壊する技もある。
体重別は軟弱な欧米の考えたインチキとも言える。
そもそも、第二次世界大戦中の欧米の兵隊と帝国軍人との慎重さを考えれば、奴らは「チビなど秒殺だ」となったら、秒殺されたのは奴らであった・・・
鎌倉時代に、時の執権北条泰時が"御成敗式目"という全51箇条の武士のための法を制定した。
この精神は江戸時代の武家諸法度にも脈々と受け継がれている。
そう、ここに我々の云う"武士道"が隠されているのだ。
その前に、江戸時代とそれ以前の武士では大分性質が違っていたらしい。
"武士は二君に仕えず"とか"君、君たらずとも、臣、臣たらずべからず"と言うが、それもこれらは、江戸時代に出来た馬鹿馬鹿しい物言いである。
鎌倉時代は、"侍は渡り者"であり、「馬鹿な主君はこれちらから願い下げ」であったというし、働きと賃金が折り合っていなければ、当然見限ってしまうのだ。
詰まり、武士とは自分を磨き上げる者であり、名が世に知れ渡れば、買い手はいくらでもいる的な思想があったという。
しかし、これは侍のことで御家人は別であった。
御家人とは、幕府と契約を結び奉公をするもので、江戸時代の領主に当たる。
鎌倉時代まで武士には土地の占有権が無いと言ったが、それはどういうことか?
先ずは、皆さんに当てはめて考えると、持ち家の人の場合、一戸建てならば、土地の登記と家屋の登記、マンションならば区分所有の登記をしている。
もし、登記をしていなければ「ここは俺の土地だ」を主張するには住むしかない。
これを占有というのだが、もし、他人がやって来て喧嘩になり追い出されたら土地を失ってしまう・・・
登記とは「ここは俺のもの」を第三者に主張する方法であり、自分のものであると公的に認めて貰う方法である。
この"登記"を鎌倉幕府が初めて、武士に対して行ったのだ。
その一点でも、頼朝公と義経が争ったときに、誰も義経に味方しなかった理由である。
幕府へ領地の登記をして貰えば、貴族や寺社等がここは「俺の土地だ」と言っても怖くないのである。
それまでは、貴族や寺社の荘園として登録してもらい、手数料を支払っていたのである。
江戸時代の武士とそれ以前の武士の意識の差は、やはり江戸時代は武家に朱子学を学ばせたからだと思う。
先ほどの"君、君たらずとも、臣、臣たらずべからず"は、論語に出てくるのであるが、孔子は「主君がダメなら、倒して良い」的な事を言っている。
日本に来れば、日本用に変換されてしまう・・・
「名君忠臣並び立たず」というが、これは名君であれば、家臣は安穏としていられるが、名君が暗愚の時はそれを支える忠臣が現れると言うのだ。
さて、武士道とは?
それは、弱い者を助ける、弱い立場の者を助けるこの一言だという。
更に言えば、武士は他の人とは違い、生産性が無い立場である。
農民や漁民は田畑を耕したり漁をして生計を立てている。
職人は自らの腕で食べている。
商人は商売をして食べいる。
しかし、武士は皆から税で食べいる。
そして、日本の支配階級であった。
だからこそ、「皆の手本となり、襟を正せ」というのだ!!!
武士道とは、富や権力ではなく、お天道様に恥じない己の生き様なのである。
現代日本の落ちぶれは、自称エリートが、今だけ、金だけ、自分だけで、弱い立場の者を踏みつけているからではないか?
日本人全体が、この武士道を思い出し、実践すれば日本は蘇ると私は思う。