先週末から、嫌な痛みが腰にあった。
最初にギックリ腰をやったのは20才の頃で、大学のテニスのクラスに行くときに、家でテニスシューズを変な格好(靴べらを使えば良かった)で履いたら、"グッキ"という音と共に動けなくなったのが始まりであった。
前兆としては、中学生の頃の身体測定で背筋を計ったときに、思い切り引っ張ったら"ゴッキ"と数日間腰に痛みが走った・・・
ギックリ腰になると、その激痛に打ちのめされ動けなくなってしまうのである。
そこで初めて"カイロプラクティック"というものを知ったのだ・・・
USAは大学で6年間学び、"Dr."となるのだが、日本と大違いである。
先生の"Mark"はとても優しかったし、受付のTracyは超美人であったので、彼女の顔を見たら痛みを忘れたほどであった・・・
レントゲンを撮ると、正面から見て腰辺りが"S"字になっていた。
その"S"を"I"に戻したのであった・・・
日本でも、人の紹介で凄い先生に通っている。
月に2度ほど行き、メンテナンスをしている感じである。
そして運命の日、令和4年5月8日未明であった・・・
腰の違和感は、ゴールデンウィーク中に感じられていたので、9日辺りに先生に電話して無理やし予約を入れて貰う積もりであった・・・
日付は8日から9日に変わった辺り、Gymでトレーニングをしている夢を見ていて目が覚めた。
トイレに行こうとベッドから起き上がろうとすると、激痛で起き上がれなかった・・・
痛みを堪えて身体を反転させ、身体を足下の方へずらしていき、ベッドと床の段差を利用して立ち上がることが出来た。
椅子に座ると激痛が走った・・・
学生時代の動けなくなったギックリ腰の記憶が蘇ってきた!!!
「これは朝、動けなくなるかも・・・」
どうにか階段を降りて一階に行ったが、座れないのである!!!
夜中に母を起こし、事の次第を説明し、"119"に電話をした。
「最悪入院???」を覚悟して、服を着替えて救急車を待った。
もし、自分の部屋で動けなくなったら、母親は体重100㎏の私を抱えることは出来ないから、動ける内に先手を打つ必要があったのである。
いざ救急車で病院へ行くと、レントゲンを撮り医師の診断は「軽いギックリ腰」であった。
結局、痛み止めの薬とシップ薬と腰の圧迫帯を貰ったのだが、痛み止めと圧迫帯は痛みを軽減させ、椅子に座ることが出来るようになっていた・・・
タクシーを読んで貰って、自宅に帰ってきたのが3時頃であった。
翌日、整体の先生にことの顛末を話して、11:30に整体院へ行った。
車の運転はヤバい(座ると痛い)ので、電車で向かったのだが、歩くことは支障なかった(速度はおちていた)ので、行き着くことが出来た。
施術室に入ると、先生は開口一番「身体が曲がってるね」であった。
姿見の前に立った私は、右に身体がズレているのが一目瞭然に分かった。
右肩が以上に下がっていたのである。
先ずは、施術ベッドに向かうと、ベッドが自動で倒れ背中の施術が始まると、左の腰骨が右より浮いていた!!!
一通りの背面の施術が終わり、ベッドが立ち上がると、ゆっくりと椅子に座るように言われた。
激痛が走っり、椅子に座るのも両手で物に掴みやっと座れたのである。
「立って座って」を繰り返すように言われ、その通りに行うと、4回目から両手で支える必要が無いぐらいに出来るようになった・・・
何と、一通りの施術が終わると、あれほど痛かったのに、痛みが無くなっていた。
少しの痛みが腰に残っている程度で、通常生活に支障が無くなっていた。
電車内でも腰掛けることが出来ていた・・・
家に帰ると、救急車を呼んだのが嘘のように普通の生活が出来ていた・・・
そこで、この腰の痛みを調べると、思い当たるのは、Gymでの下半身トレーニングである。
下半身トレーニングで、太股付近の筋肉を肥大させる訳だが、この時のメンテナンスが不十分であったのだ。
USAでは、トレーニングと平行して指圧に行っていたのを思いだした。
指圧師の先生から「まるで材木を押しているようだ」と言われていた。
ギックリ腰の原因は、実は"腰"ではく、太股の筋肉にあるらしく、太股の筋肉が動かなくなることによって、骨盤が固定されてしまい、腰を動かす運動を背骨だけに成るため、結果的に腰を痛めるという。
所謂"腰の運動"は、通常骨盤も一緒に動いているのである。
そこで、太股のストレッチを初めて観ると腰の痛みが消えることが分かった。
大腿筋を伸ばすのは正座である。
腿の内側外側のストレッチと、膨ら脛のマッサージも行っている。
今回再認識したのは、筋トレも重要だが、その後の筋肉の凝りをほぐすことの重要性である!!!
頑張ってトレーニングするぞ!!!