私の友人で、"日本100名城"を廻るのを趣味にしているのがいる。

彼曰く、関東は網羅したので、今年から東北地方と言っていたので、恐らく彼のライフワークなのだと思う。

 

多くの人は城というと"天守"だというが、へそが少し左に寄っている私は天守など気持ち悪だけの存在で、江戸時代の城なら断然"二の丸"若しくは御殿派のなのである。

 

ここで、城を江戸時代以前と以降に分ける必要がある。

何故なら、江戸時代以降だと、法律によって城の大きさや配置等々が決められてしまっているからである。

更に、天守は飾りであり、本丸御殿は上様(徳川宗家)用の御殿であり、領主は通常二の丸御殿で生活していた。

だから、二の丸御殿があれば、私は"萌え〜"となる。

 

江戸時代以前は、城とは名ばかりで殆どは砦であった。

そうそう、笑えるのは上田城だが、現在の上田城は真田家はまったく関係が無く、千石秀久が築城した城である。

更に真田幸村率いる真田十勇士は、フィクション小説に登場する人物で、真田幸村自体が架空の人物である。

これをいうなら、私は最強の忍者は"仮面の忍者赤影"、更に言うなら"変身忍者嵐"や"快傑ライオン丸"が!!!と同レベルなのだ。

 

だから、日本各地にある城跡の殆どは砦であり、豪族がいたならさながら乞食のような出で立ちであった筈だ。

大河ドラマの井伊直虎だって、ボロを着ていた筈だし、住処だって小汚かったのは間違いない。

松平家や今川家、織田家と比べては成らない。

これらは大名家であり、豪族ではないから、資金力が比べものにならないのである。

 

しかし、私が好きな城は、戦国大名家の城跡や守護大名家の城跡である。

戦国大名家で有名なのは、小田原城であるが、現在の小田原城は、東海道線を熱海方面に乗ると左手にあるのだが、北条の小田原城は右手側にあったのだ。

江戸時代の小田原城は、名前は同じだが、まったくの別物である。

素敵なのは、朝倉氏の居城であった一乗谷城跡である。

城下町を形成していたらしく、足羽川(あすわがわ)から用水路が引き込まれていて、当時多くの船が行き来をし、大量の物資が運び込まれていたことが偲んで取れる。

トラックが無い時代は、船が大量物流の主役であったから、領内で取れた米俵が大型の川船に積み、足羽川を行き来し、現在の越美北線の鉄橋辺りに船着き場があり、小型の艀に積み替えられ一乗谷に行っていたのだな〜等々考えると楽しいのである。

「夏草や強ものどもが夢のあと」の一句がぴったり合って、心に響くのである。

私の先祖は浅倉氏の一族らしく、山一つ海側に領地があったらしいが、織田軍に敗れ越後へ逃げ延びたので、この地は余計に哀愁を覚えるのである。

 

哀愁といえば、やはり安土城である。

数年前に安土城へ行ったのだが、その前に国宝彦根城へ寄ったのだが、彦根城は井伊家の居城であったが、比べること時代が、信長公への無礼であろうが、安土城の前には彦根城など屑同然であった。

大大名と言えども、徳川家家臣の城と、徳川家康公の兄(兄弟契りをしていた)であった、天下人織田信長公のかりそめの居城を比べてはならない。

何故"かりそめの居城"と書いたのかというと、信長公は大阪城を造ろうとしていたからである。

地政学的に大阪を国の中心として、諸外国との繋がりを持とうという構想であったらしい・・・

まあ、そなれば、明国征伐は確実であったが・・・

 

私の前世は戦国時代の大名であったらしい。

霊能者の先生は、私の前世の顔は見えていたと言うが、名前が出てこなかったが、「皆が知っている武将だよ」と言われた。

そのことを忘れた頃、安土城に行ったのだ。

大手門から大手道を進んでいくと、私の身体が震えだしたのだ!!!

天守に近づくほどに恐怖心が湧いてきた。

これは魂の記憶かも・・・と思ったのだ。

前世で同じ道を通ったときの気持ちであったようだ・・・

信長公への"恐怖"であった・・・

 

さて、この安土城の周りは当時は湖に突き出していたらしいが、現在は埋め立てられているのだが、山伝いに行くと、守護大名佐々木道誉が築城(砦擬き)したから、後の六角氏の居城となった観音寺城へ行ける。

NHKの大河ドラマの最高傑作と言われている"太平記"であるし、主人公の足利尊氏を真田広之が演じているのだが、その優柔不断な演技が見事に尊氏を彷彿とさせているという。

足利尊氏がガツンとした人物であったなら、室町時代は天下泰平であったでろうとまで言われている・・・

 

前にも書いたが、戦国時代とは、室町時代の守護大名家同士のガチバトルで皆が疲弊し、戦が無くなった時代であったのだ。

詰まり、室町時代より戦が少ない平和な時代が、戦国時代であるから、どれ程室町時代がヤバかったかお分かりであろう・・・

 

その時に近江源氏として佐々木道誉という掴み所の無い男を演じたのが陣内孝則であったが、これもはまり役であった。

太平記は全40巻の軍記物で、後醍醐天皇即位から足利義詮(2代目)死まで書かれている。

更に、16世紀には何と22巻目が欠落していたというから、よほどヤバい内容が書かれていたのかも知れない。

もし、太平記22巻目が出てきたら、億単位で売れると思う・・・

尚、楠木正成だが、太平記中は"楠正成"と表記されていると言うから、楠木か楠のどちらが正しいのかは分からないという・・・

 

いや〜、歴史って面白い!!!

安土城の話から楠木正成に繋がっていくのだから、知識は宝なのである!!!

 

そうそう、飛騨高山付近に、"位山"と言う山がある。

この位山こそ神々が降臨した地という。

更に、この位山は人工物でプラミッド説まであると言うし、UFO目撃談もあるらしい・・・

 

歴史と古代宇宙人説も繋がっているのが凄いわ〜

 

つづく