国道17号線といえば、東京から新潟県の長岡までを結ぶ国道で、大宮バイパス等で有名な大幹線道路である。
江戸時代、越後と言えば長岡藩であり、現在の長岡市は武士の町として発展し、新潟市は商人の町として発展した経緯がある。
この長岡と江戸を結ぶ道は、江戸時代も重要な道であり、一番キツい三国峠から三国街道と名が付けられていた。
三国街道は、参勤交代の大名達で賑わった街道でもある。
苗場スキー場もこの街道以上にあり、その町にあった本陣には、私の友人の先祖の大名家が参勤交代で泊まった記録録も残っていた。
スキヤーにしてみれば、関東圏では苗場は有名だし、大晦日のユーミンのコンサートも私と同世代であれば知っていると思うが、現在の苗場の町は"強者どもの夢のあと"状態である。
特にスキーシーズン以外に行けば、ゴーストタウンとなっている・・・
江戸・越後間が重要であった事は述べたが、現代の東京・新潟間も重要であり、新幹線、上越線、関越自動車道、国道17号線の4つの行き方が用意されている。
明治初期は、一時的であるにしろ、なんと新潟市が日本一の人口を有したらしい・・・
東京・新潟間に跨がるのは谷川岳(ギネスブックで世界一死亡者の多い山認定)がり、それに連なる谷川連峰が人間の行く手を遮っている。
新幹線と関越自動車道は谷川岳の少し西側をトンネルとして通っていて、上越線は谷川岳の東側をやはりトンネルで通っている。
三国街道は西側を迂回している。
戦国時代、上杉謙信が谷川岳の東側に道を作ったらしいが、軍団を通すのには苦労したといし、冬はまったくと言って良いほど、豪雪地帯であるから行き来は不可能であった・・・
これをとち狂った明治政府が大久保利通という田舎者が指揮をとり、清水峠を越える最短ルートの国道を作ったらしいが、田舎者&雪国知らずの南国薩摩出身者であるから、何と開通1月で道が崩落したという・・・
それ以降も作っては壊されの連続で、令和の現代は見捨てられた国道であるが、歴とした国道指定されている酷道いや、死ぬかも知れない道として残っている。
国道291号線を北上すると水上から先が通行止めとなっているが、獣道のような国道を進めば清水峠を経て六日町方面に行けると言うが、オートバイ(オフロード車)でも行けない道である。
途中道が崩落していて、10メートル近く降りたり登ったりの場所があるという・・・
目印は高圧送電線に沿って行けば良いと訊いたことがある。
映画インディ・ジョーンズ以上の冒険となるので、行く場合は自己責任です。
この清水峠が通行不可(当時は高度なトンネル掘削技術が無かった)となったために、鉄道は横川へ新路をずらして勾配のキツい碓氷峠(清水峠より相対的に楽であった)をアプト式で登り、軽井沢を経て長野、そして糸魚川へ抜けるより新潟に行けなかったのである。
さて、17号線は月夜野を経て関越自動車道と別れるのだが、月夜野ICから直ぐの場所に名胡桃城趾(単なる砦)があるが、これが歴史的に有名な場所で、北条家滅亡の切掛となったのである。
太閤殿下の惣無事令を無視して、沼田上から北条方の軍勢が真田勢が居た名胡桃城を攻めたのである・・・
現在は、利根川に橋が架かっているが、戦国末期には橋など存在していなかったから、利根川を渡り名胡桃城の下から攻めたのだと思う。
などと歴史に思いを馳せながら進むと、猿ヶ京温泉を過ぎ、法師温泉への分岐が有り、三国トンネルへ向かうが、この三国トンネル、60年以上も前に作られ、酸性の温泉が噴き出していて、コンクリートを溶かし続け、古いトンネルだから道幅がやたらと狭く、大型観光バスはトンネル内すれ違いが不可能に近い有様である。
東京からだと"苗場スキー場行き"のバスが多く走っているのにこの有様であるが、令和4年の秋に漸く、現代規格の新三国トンネルが開通するという・・・
ここまでの国道17号線は山の法面の南側や西側を通っているのにお気づきか?
これは、陽の光により、雪が溶けやすいように南面・西面に道を作っているのである!!!
この時代は役所が命がけで、国民の為に仕事をしていたのを感じる・・・
更に、苗場スキー場から北上し湯沢方面に行くと、スノーシェットの連続となるのだが、その地点は雪崩が多いのだという・・・
そして、田代、神楽・三つ叉へ続いていく。
ここも豪雪地帯であり、三つ叉はその昔、雪崩で集落の殆どが消えたという場所だし、道を作る際の調査員達が、ホワイトアウトの中歩いていると、途中一人が雪崩で落ちたのに誰も気付かなかったという恐ろしい場所であるという・・・
今では、苗場スキー場から"ドラゴンドラ"で12分程で田代スキー場へ行けるし、そこからリフトを乗り継いで"みつまたかぐらスキー場"まで行ける。
往復しただけで一日終わりという感じである。
私も昔、かぐらスキー場で猛吹雪に遭い、ホワイトアウトの中で立ち往生し、後輩の女の子と抱き合いながらやり過ごした記憶がある。
ホワイトアウトの中下手に滑ると、崖から逆落としになる危険性がたかいのだ。
この先もヘアピン葛折りが続くが、これも道路に西陽が当たるように、又雪乃吹きだまりが出来ない箇所を選んでの設計であるという・・・
「なんでこんなヘアピンカーブ作ったんだ!!!」などと怒ってはならないのである。
北面にあれば道は氷、行きに吹きだまりが出来れば車が突っ込み走行不能、運が悪ければ死んでしまうのである。
こうして、無事に湯沢に到着できるのである・・・
湯沢の温泉は最高であるから、凍えた身も心も温まるのだ。
ここまでの道程で、建設作業員は10人ぐらいお亡くなりになっている。
今通れ(雪の無い季節)ば、快適な道であるが、この道を作るのは難工事であったし、命を落とした人も多数いたのである。
やはり、我々大和民族は、常日頃、"誰かに生かされている"という感謝の心が大切で有ると思う。
先人の犠牲の元に今の快適な生活があるのであるあら、我々の後身のためにも、少しでも良い日本を残すのは義務であろう。