過去から未来へ向けて、国や政府が良くなると思うのは、誤解であるし、思い込みである。

時代が進むにつれて、"進化"しているというのが、既に誤認と言える。

 

支那大陸を始めて統一したのは、言わずと知れた秦の始皇帝である。

英語のCHINAも支那も"秦"shinから来ている。

 

秦は漢字を統一して、度量衡も統一した。

そして何よりも法治国家を作ったのだ。

始皇帝は、カリスマ的支配力で全土を支配した。

郡と県を置き、中央集権国家にしたのである。

郡とは情勢が不安定な地域で、軍団を駐屯させ、軍令は指揮官が行った。

"軍=郡"であるが、安定している地域には県として県令を置いた。

戦国時代には城塞都市であったのを、秦の時代には城壁を撤去したという。

しかし、始皇帝が崩御すると情勢が俄に慌ただしくなった。

 

反旗を翻したのは、項羽と劉邦であるが、劉邦は項羽の部下であったという。

何故反旗を翻したのか?なのであるが、実は支那大陸は法治が合わないらしいのだ。

「俺は自由に生きたいんだよ」と法に縛られるのが嫌で、倒秦したというから驚きである。

それ以降2000年以上経つが、彼の地に法治は馴染まず、21世紀になっても人治国家なのである・・・

 

余談だが、明治維新はイギリスの思惑であったというが、実は、日本で最初の株式会社を設立したのは、坂本龍馬でなく小栗上野介忠順であった。

彼は、薩摩長州の田舎者と違って、幕閣の切れ者であった。

とりわけ"金融"であり、勝海舟等と渡米しているが、アメリカ政府と正面から交渉して為替レートを変えさせたという・・・

今の馬鹿政治家とは雲泥の差である。

彼は、横須賀に製鉄所を作り、造船の準備もしていたし、中央銀行(日本銀行)まで立案していた。

だからこそ、徳川埋蔵金伝説に必ず出てくる人物である。

明治になって大隈重信等が「我々は小栗上野介の引いたレールを進んでいるに過ぎない」的な事を言ってたという。

詰まり、倒幕する必要が無かったのである。

幕府の方が一歩も二歩も先を行っていたのだだから・・・

因みに、坂本龍馬など誰も知らなかったという事実をご存じか?

何故坂本龍馬が有名になったかというと、日露戦争前に、昭憲皇后が寝ておら得るとあるムサイ男が夢に立ったという。

「ご案じめさるな。日本海軍は勝ちます」といったという。

皇后が名を訪ねられると「私は土佐の坂本龍馬と申します」と応えたという。

次の日、皇后は「坂本龍馬という者が夢枕に立って帝国海軍が勝つと言っていた。坂本龍馬って誰?」となって彼の名が有名になったのである。

それまで、誰も知らなかったのだ!!!!

 

話を秦に戻すと、項羽の元の集まったのは法治を嫌がったならず者らであり、彼らは"自由"の名の元に戦ったから強かったというが、いざ秦を倒してしまうと、項羽は何もしなかったから、実務をこなした劉邦が、項羽を殺して"漢王朝"を樹立したのである。

統治能力も全て漢は秦より劣っていたし、折角城壁を撤去した町も、再び城壁を作ったという。

江戸時代から明治時代へと変わったが、実は社会機構は退化しているし、現代は更に退化している。

進んでいるのは、"電気"があって、これによる見た目の進歩のみで、内面や人間そのものは劣化している・・・

 

問題は始皇帝の一族である。

項羽は始皇帝一族憎しで倒秦したのではないのだから、彼らの生死に頓着したかったという。

そして、始皇帝一族が安住の地としてやって来たのが、日本であった。

"秦"と書いて訓読みは"はた"であり、"秦氏"と呼ばれる一族である。

羽田さんや波田さんも秦氏である。

この秦氏を受け入れたくれた天皇は、第15代の応神天皇である。

秦氏は当時日本に無かった新しい者を多く持ち込んできたという。

"軍事"や土木技術であったらしい。

そして、一族のために作った神社が、八幡神社なのである。

"八"は末広がりで、"幡"は秦である。

御神体は、大恩ある応神天皇と戦いの神であらされる素戔嗚尊である。

 

全国に八幡神社は多くあるが、その成り立ちをしると浪漫があり、御利益も倍増するのではないか?

八幡神社の元は宇佐八幡宮である。

 

多くの人が初詣に八幡神社で行くと思うが、ここで忠告であるが、境内で絶対に何かを持ち帰ってはならない!!!

石やどんぐり等も含めて、八幡神社と伏見稲荷は、絶対にNGである。

命を取られる可能性もあるからだ。

神社は神々の住まいであり、そこから泥棒することじだい、有ってはならないのである。

 

歴史を知れば更に面白い。

正に歴史は浪漫である。