今日は室町時代を考察したい。

学校では、室町幕府は大名連合の上に担がれた神輿であり、公方に力が無かったと習った覚えがある。

 

そこで足利義満と足利義政について考えてみたい。

足利義満といえば、我々世代であればアニメの"一休さん"に出てくる"将軍様"であるが、この人物は本当に色々な意味でヤバかったという・・・

先ずは、"公方"という言葉を作ったがこれは、天皇と並ぶという意味らしい・・・

何故ならば、義満と後円融天皇と母方の従兄弟で、父方も清和源氏であるから当然神武天皇の血筋であるにも拘わらず、天皇が自分より上が許せなかったという。

その為、御所の女官全て犯したというので、後の後小松天皇は足利義満の血筋かも知れない・・・

これが、女系天皇NOの原因の一つである。

足利義満にも後円融天皇にも、神武天皇から連なる同じ"Y遺伝子"がるので、仮に義満の子でも神武天皇の血筋となるが、これが秦氏だったら、皇統が変わってしまうと言うことである。

秦氏は、秦の始皇帝の血筋であるから、日本国が秦に取って代わられたことを意味してしまうのだ!!!

 

義満は当初は傀儡であったが、後に自身の親衛隊を組織して武力を付けた。

又、"武"には金が掛かるので、平清盛の日宋貿易に目を付け、日明貿易を行うために明国から"日本国王"の称号を貰ったが、実際は明国を恫喝していたらいい・・・

日本から元手が、支那で20倍になり、支那で仕入れた品を日本で売りさばき、支那の仕入値の20倍で売れたと言うから、元手が400倍になったという。

これにより足利宗家の財政は潤っていき、守護大名に焼きを入れ始めるのであった。

 

前にも書いたが、戦国時代とは足利政権下の守護大名が長い戦いで疲弊しつかの間の平和が戦国時代であったのだ。

武田信玄や上杉謙信がどれ程のものかというぐらい、守護大名は規模が違う。

武田信玄は、現在の山梨県、長野県、静岡県の一部、上杉謙信は新潟県と富山県だが、室町時代の守護大名である細川頼之は香川、徳島、高知、淡路島、大阪府の半分、岡山県の半分であるし、山名一族は和歌山県、京都府、鳥取県、島根県の半分、岡山県の半分と兵庫県の1/3である。

これらがガチで京都を火の海にしてしまったのが応仁の乱であった。

 

鎌倉時代は、現代と同じ相続方法で、子供(男子)の数で割っていたため、例えば関東平野は全てが領地であっても数世代後には猫の額ほどの土地となり、食えなくなった・・・

これが倒幕へと繋がったが、室町時代は、全ての土地は、それぞれの守護大名の物とし、惣領総取りとしたため、土地の分割問題は無くなったが、惣領の決め方を法として決めていなかったため、内紛が絶えなかったのだ。

現代だってちんまい金(守護大名と比べて)の取り合いで、家族崩壊しているのだが、室町時代は四国全の土地と領民の奪い合いぐらいの話であった。

 

これが室町時代全般において起こっていたのだから、"戦いのない世の中"と言われても戦国時代の人々には理解できなかったはずだ。

 

足利義満といえば、金閣寺こと鹿苑寺である。

金箔でキラキラだが、あれは昭和25年に放火され全焼してしまったが、再建されている。

しかし、金箔の厚みが薄くなっているらしい・・・

金閣は、もともとは何故金箔にしたかというと、海外使節接待用だったという。

外国人にあれを見せて、日本の国力を見せつけていた。

言うなれば、海外に向けて建てられたという。

孫の足利義政は、東山文化として、銀閣を建てた。

実は、この数十年間に日本人の生活様式が一変する画期的な変かがあったのだ。

 

その生活様式一変するのは、なんと畳であった。

それまでは、偉い人が座る場所にのみに畳を引いてあったのを、屋内全てに畳を引き詰めることになった。

慈照寺こと銀閣は、見た目こそ質素にだが、実は内装に金が掛かっていたのだ。

部屋中畳になると何が変わるのか?

女性の服装である。

それまでは十二単であったが、女性は袴をはいていたのだ。

板の間に座るのだから、正座は出来ないので、十二単の中では足を崩していたという。

 

そして、今ある着物の形が出来上がったのもこの頃からだという。

まるで1枚の絵を観ているかのような織物を女性が着ることで、さらに美しく動くようになったのだ。

女性は袴から解放され、全身を使ってお洒落をするようになった。

又、慈照寺は借景が素晴らしいが、この庭に女性達の織物が花を添えており、借景とともに女性の美しさと着物の美しさが庭の花となったことは言うまでも無い・・・

 

足利義政は、政治的無能とされていたが、確かに応仁の乱を引き起こしたかもしれないが、有力な守護大名を互いに戦わせて疲弊させる作戦であったと私は思っている。

所謂漁夫の利であるが、そうは問屋が卸さなかったのだが、彼の狙い通りに守護大名の力が衰えたのは確かであった。

見通せなかったのは、それに台頭してきた守護代や守護大名達の家臣等が、馬鹿な主人に嫌気が差して、それぞれに分割統治が始まったことである。

こうして所謂戦国時代へ移行するのだが、平成時代に毎年総理大臣が変わっていたこととその後の政府の崩壊が始まっていることに誰も気が付いていないのか?

国民生活に直結しているのは、日本政府ではなく地方政府である。

区役所や市役所が機能していていれば、問題はないのだ。

今回のコロナ騒ぎで、やはり日本政府は支離滅裂であった。

支那の武漢から始まったにも拘わらず、支那からの渡航を禁止していないし、インド株とう強力に変異したウイルスが騒がれているにも拘わらず、インドからの渡航も禁止してない。

どれだけの人間が渡航しているのかは、国土交通省や厚生労働省のホームページから検索できる。

 

折角の島国なのだから、国境封鎖は簡単なはずだが、それをしないのか出来ないのか?国民より外国にいい顔をする政府は、必要ですか?

多くの戦国武将から"NO"と言われた足利幕府と何処か似ているのではないのか?

 

だから歴史は面白いのだ。