我々のご先祖である縄文人の文明が、世界最古であるこは、何度か書いた。

"中国4千年の歴史"は、明治時代の日本人が謙遜からそう言ったのを、彼らはまともに捉えたまた、日本人の中にもそれが本当だと思っている人々が多いからだと思うが、これは誤解である。

「人間五十年」という敦盛の中に出てくるが、これを昔の人の辺金寿命が50年だと誤解している人も多いが、これは無知から来る誤解であるので恥ずかしいから絶対に言わないようにして欲しい。

敦盛の"人間五十年"は、次の句の「化天の内を比べれば」この化天は下天とも書く。

この意味は、"人間界の50年は化天界の1日"という仏教から来ているのである。

 

さて、日本の歴史は、学校で習ったインチキ歴史教科書とは裏腹に実は凄いおである。

縄文時代には既に稲作していて、ワインも飲んでいて、クッキーを焼いていて、女性は漆塗りの髪留めを使っていた。

これが9000年以上前の話である。

更に、16500年程前の縄文土器も発見されている。

縄文時代の始まりは一体全体どれ程遡れるのか未知数である・・・

 

北九州に"曲り田遺跡"という跡がある。

この遺跡から昭和54年に鉄剣が出土した。

鉄剣が日本にあるのは3世紀前後だと考えられていたが、つい最近この鉄剣は約3000年前の物だと判明した。

3000年前というと世界は青銅器文化であり、鉄器を使っていたのは現在のトルコ地方にいた"ヒッタイト王国"ぐらいであった。

細川智栄子先生の"王家の紋章"にエジプトの好敵手として、イズミル王子が登場してキャロルを巡ってメンフィス王と対峙するというので知った名前である。

しかし、このヒッタイト王国は何時どうやって建国され、優れた鉄鋼軍団を持ったのかは未だに謎である。

 

実は製鉄と土器には、深い関係があったのだ。

それまでの縄文土器は、粘土を捏ねて貼り付けていくタイプの土器であったため、淵が厚く重厚感があった。

これが弥生時代になると薄く現代にも通じる感のある厚みが薄い土器へと変化している。

これは何を意味しているのか?

土器を焼く窯の進歩がなせる技である。

今までは直接火にくめて焼いていた土器を、窯に入れて焼くようになったのである。

これの寄りより高温で土器を焼くことが出来るようになったので、薄く軽い土器でも今まで以上の耐久力があることになる。

 

この窯の出現で、青銅器から鉄器へと進歩できたのと言うのだ。

映画"もののけ姫"に登場する"たたら場"を想像すると良いかも知れない。

日本で鉄器が作られていた時代と、ヒッタイトで鉄器が出現した時代が重なっているのだ。

 

3000年前というと、紀元前1000年である。

支那大陸は文明らしきものはあったが、そこは青銅器時代であったし、半島には文明は無かった。

詰まり、「鉄器は支那から半島経由で日本へ伝承された」説は破綻しているのだ。

 

これは聞いた話だが、古代支那に夏・殷・周という伝説の国があった。

この後に春秋時代があって戦国時代があって秦が、支那大陸を統一したのだが、この夏という国?は、紀元前2070年〜紀元前1600年頃、その後の殷は紀元前1600年ほど前から紀元前1100年頃で周はその後から紀元前256年頃と言われているがハッキリしないらしい。

夏という字は、女性が冠を付けて踊りを踊る姿からできたというし、殷の字は皆が楽しく平和に暮らした事を意味し、周は町の周りを塀で囲ったことを意味しているという。

詰まり、国家としてあったのか、そう言った集落があったのかは分からないというし、八世紀に書かれたとされている契丹古伝(紀元前の説もある)には、夏、殷、周は倭種が作ったと書かれているという。

これは、日本の縄文都市なのか、支那大陸に倭人が行って作ったのかは不明であるが、少なくとも日本の縄文時代の集落は、楽しく平和に女性が踊っていたのは確実である・・・

 

ヒッタイト王国は、未知なる武器で武装した鉄鋼軍団で地中海世界を席巻した。

青銅製の剣と盾では、鉄器の剣を防ぐことは不可能である。

太閤の明国出兵の折、朝鮮兵の鎧が段ボール(今風だと)製で、剣がペーパーナイフ(驚くことにこれは事実である)であたたので、日本刀だと骨毎切れてしまうし、朝鮮軍の剣では日本の鎧兜を貫くことは出来ない。

だから、短期間に半島を縦断して明国に肉薄出来たのだ。

しかし、そのヒッタイト王国の滅亡は、この鉄器文化によって引き起こされたというから皮肉である。

鉄器を作るには製鉄するのだが、現代の製鉄所のようにドロドロには出来なかったが、鉄を赤く叩いて形を変えるほどには出来たらしいが、それには炭が必要であった。

大量の木材が必要で、ヒッタイト人達は、森を丸裸にして、新たなる森林を求めて戦をしていったという。

そして、地中海の北東側を砂漠化させ、その結果、自然災害や水不足、食糧不足で疫病が蔓延し滅びの路を進んだという。

 

竹内文書には、文明の始まりは日本で、古代の天皇(スメラミコト)は文明の火を世界に撒いたとある。

詰まり、ヒッタイトの鉄器も日本からもたらされたと言うことかも知れない。

しかし、植林の技術を伝授しなかったのか、してもヒッタイト人が実行しなかったのかは今となっては分からないが、日本人は森林の大切をしていて、太古より植林をしていた。

だから、膨大な鉄器を作っても禿げ山や砂漠化はしなかったのであるし、又気候も幸いしたと言える。

余談だが、縄文人は竪穴式住居に住んでいたというが、雨の多い日本で竪穴式住居に住めるか実験してみろと言いたい。

高温多湿で出来るのか?と誰も不思議に思わないのが、私には不思議である。

稲作をして栗林を作り、漆林も作っていた人々が、掘っ立て小屋に住んでいた?

これをテクノロジーギャップというのだが、稲作をすると言うことは、田んぼを作った時の残土の処理もきちんと出来て、用水路まで作れる技術があるにもかかわらず、家が掘っ立て小屋ですか???

冬になれば大雪が積もるのに、竪穴式住居って有り得ないでしょう・・・

 

2世紀から3世紀になると、倭人が半島を支配して、鉄の精製をしていて、その鉄器を使って三国志の魏は圧倒的な強さを誇ったという。

 

当時から世界最先端技術を持っていたのが日本である。

もう、戦後のGHQの洗脳から目を覚ますべきである。

日本の歴史を学び、大和民族の誇り、縄文人の血脈の誇りを取り戻し、強い日本を次世代へ引き継ぐ時ではないか?

 

全ての文明は日本に通ずなのである。