"古事記"と聞くと、多くの人は"神話"だと思っているが、果たして本当にそうであろうか?
世界各国の神話に書かれている記述は、まるで観ていたかのように詳細に書かれているものがおおい。
古事記は、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂して時の元明天皇へ献上した物である。
そう、この和銅5年の時に編纂していたのである。
元は風土記や口伝を口実筆記し、それを精査したと考えるのが妥当である。
古代インドの"ラーマヤナ"や"マハーバーラタ"も口伝であり、それを編纂したのである。
このマハーバーラタには、神々の戦争が描かれていて、空飛ぶ乗物や天空都市、誘導ミサイル、核爆弾まで描かれていている。
確か、「ヴィシュヌ神が放った矢は、空中でいくつにも別れそれが全て敵に命中した」とあるが、我々がその光景を見たら、「一発のミサイルが発射され、空中で先端が割れて中から数十発の小型ミサイルが出てきて、全て敵に命中した」と書く訳だ。
これは、古代人が"矢"と表現したのは、ミサイルを知らないから、彼らの知識で書いたからで、ミサイルを知っている我々ならば、観たままを書けるが、もし宇宙戦艦ヤマトの波動砲が飛んできたらどう表現するのか?
「巨大な光の束が空から飛んできて、大陸を吹き飛ばした!!! これは神々の怒りだ!!! 天変地異だ!!!」と日記に記すはずだ。
これが"古代宇宙人説"的な見方である。
そこから少し古代へ旅に出てみよう。
古事記には出雲の"国譲り"の一幕がある。
大国主命は「私は素戔嗚尊の直系で無くマスオさんなので、血を引く私の子らに訊いてくれ」と応えている。
長男は戦争中に呑気に釣りをしていた。
彼こそ蛭子能収でなく、恵比寿様である(キャラが被る???)。
「出雲国を大和に譲るか?」との問いに、一言「いいよ」と応えて釣りを続けた・・・
それに否を唱えたのは、弟の建御名方神であった。
彼は出雲国を賭けて、武甕槌神と相撲をとるのだが、武甕槌神は建御名方神の両腕をもぎ取った。
しかし、建御名方神は出雲を脱し、信州諏訪へ落ち延びたのだ。
彼を奉っているのは諏訪大社である。
上諏訪大社の構造が、エルサレムと酷似しているし、神事がユダヤ教に酷似している。
守谷山はエルサレムのモリヤ山と音が一致等々、古代ユダヤと古代日本は同祖であるとう論まで有るぐらいである。
失われた十氏族の一つが大和民族であるとまで言われているが、おいおい、どちらの歴史が長いのか?
失われたのはお前らだろう?と私は思っている。
詰まり、建御名方神とヤハウェは、同じであると結論づけられないか?
出雲を追い出されて建御名方神は、諏訪に逃げるのだが、エルサレム(正確には古代エジプト)にも行ってしまった・・・
そして、モーゼを騙して、"出エジプト"をさせて何も無い砂漠のエルサレムに連れて行って、「私だけを唯一の神とするならば、お前らの子々孫々まで繁栄させてやる」と言ったのだ。
これは、キリストと悪魔の絵だが、指の形が酷似していないか?
現ローマ教皇は、「キリストの父はルシファーである」と言っている。
「天の父よ・・・」の父はヤハウェでなく、ルシファーであったのだ!!!
ところが、ルシファーとは、別名ポセイドンであり、それは何を隠そう素戔嗚尊である。
詰まり、イエス・キリストは、素戔嗚尊信仰であると言える。
ここで少し古代のキリスト教をおさらいする。
古代ローマ時代は、キリスト教は嫌がられていたが、"弾圧"は嘘で、古代ローマ人は全ての宗教を受け入れていたが、キリスト教は今で言うテロ行為を行っていたから当局からマークされていたのが真実である。
日本で言えばオーム真理教と同じだが、もし100年後に日本の国教がオーム真理教になっていたら「平成時代は弾圧されていた」と語り継がれる筈だ。
それを313年にコンスタンティヌス1世によって、国教として認められるのだが、これには古代宇宙人説からいうと色々あったのだ。
当時のローマ帝国は内乱状態で、コンスタンティヌスは劣勢にあったが、決戦前日に空にUFOが現れ"Pに×"の印が空に現れたという。
コンスタンティヌスはキリストのご加護と思い、全ての兵士の盾にこのマークを書かせてた。
結果は圧勝であったのだ。
その後キリスト教を国教とするという所謂"ミラノの勅令"により、ローマ帝国はキリスト国となったのだ。
325年にニカイヤ公会議を開いて、キリスト教について話し合いをしている。
キリスト死後300年以上が過ぎているので、無数に別れた教えを一本化する必要があったのだ。
ここで現聖書にある福音書も選別させ、捨て去られた福音書も多くあったのだ。
それらが、ペトロの福音書、マグダラのマリアの福音書、ユダの福音書等々であるが、これらは死海文書として発見され、我々は読むことが出来る。
ユダの福音書には、ヤハウェに祈っている弟子達をキリストが嘲り笑う場面が載っている。
詰まり、お前らの祈っている神は建御名方神で、私は素戔嗚尊であるとなれば、皆さんも納得であろう。
素戔嗚尊と建御名方神を比べたら、横綱と褌担ぎ以上の差がある。
キリストもユダも同じ素戔嗚尊の系列であった・・・
前回、素戔嗚尊に付いて触れたのだが、八岐大蛇退治は斐伊川であったとのだが、この斐伊川(ひいかわ)が、氷川となり、現在の氷川神社だという。
私の氏神は、氷川神社であるので、子供の頃より素戔嗚尊に守られて生きてきたし、今でも車やバイクを買ったら、必ず氷川神社でお祓いを受けている。
ここで勘違いしてはならないのだが、一神教とは多神教の否定では無く、多神の中の何方と信仰の契約をするかである。
私は素戔嗚尊を信仰しているのだ。
詰まり、イエス・キリストと同じ神を信仰していることになる。
富山県には"モーゼの墓"があるし、青森県の十和田湖付近にイエス・キリストの墓も現存している。
色々な言い伝えも残っているから、興味がある人は行ってみると良いと思う。
ゴルゴダの丘で処刑されたのは、キリストの弟のイスキリが磔となったという。
そしてキリストの遺言まで残っていたというから驚きだ。
遺言書によるとキリストは第11代の垂仁天皇の御代日本に再来しているらしい。
ゴルゴダの丘で処刑された日は垂仁25年12月3日であったという・・・
神話の中の真実を読み解くのが、古代宇宙人説である。
浪漫が有ると思うが・・・


