「日本語には言霊があるから、発言に注意しなさい」と良く聞かれる。
私も小中学生の頃、学校や家でよく言われたが、「科学的根拠が無い」と生意気なことを言っていたが、今にして思えば無知で有っただけである。
言霊として有名なのは、和歌で和歌で詠めば、それが言霊により成就するという。
現代は無知な学者によって、"日本語"が壊されているのだ。
ひらがなは"表音文字"で、アルファベットと同じで、音があってその組み合わせで単語が出来るというのものであるが、それが大きな間違いなのだ。
我々の五十音は、表意文字であり、"あ・い・う・え・お"全てに意味があったのだ!!!
50音、詰まり大和言葉はすべて音に意味があり、その音で出来た単語は言霊を持っている。
50音の始まりは"亀卜"(きぼく)を表しているという・・・
ひらがな、カタカタ以前の文字である"神代文字"は、亀卜の結果を表していたのだ。
亀卜とは亀の甲羅を焼いて、そのヒビの入り具合によって吉兆を占ったのだが、嘘歴史では支那の殷紀(元前1700年頃)の時代であったとされ、日本には奈良時代に伝わったとされている。
しかし、日本で発見されたペトログリフ(石に刻まれた絵や文字)は6500年前のものであり、この時既に我々の祖先の縄文人は文字を使用していたことになる。
話が逸れたが、亀卜はその割れ方やヒビの入り方で意味が違っているため、大きく約50に分けてそれぞれに"記号"と音を与えたが、これが文字となったのだ。
因みに、漢字だがこれも支那から伝わったとされているが、実は日本の神代文字の一つに阿比留文字(あびるもじ)という物が存在していて、現代も山伏達修験道で用いられているという。
この文字はミミズがのたっくたような文字で、この文字で書いた単語が簡略化されて漢字となった説もある。
言えることは、現代の考古学会で教えている歴史は、嘘であることは明白だ。
漢字が日本固有(当然支那歴代王朝の文字も取り組んだと思う)であれば、日本歴史学会が忖度している"支那→半島→日本"が根底から覆されてしまうからだ・・・
仏教伝来は538年とされているが、それも半島の百済からである。
因み、百済、高句麗、新羅は日本の属国であったのは事実であるし、彼らの歴史書から読み解くと、三国の王族は、皇族が赴いたと私は思っている。
だから、天武天皇は父親が亡命百済の王族で、母親が天智天皇と同母の姫皇子であったという。
日本書紀や学校では中大兄皇子、大海人皇子兄弟は、中大兄皇子が兄で大海人皇子が弟なっているが、実際は逆であったという説もあるし、では何故弟が先に天皇になったのか?である。
それは父親が皇統の庶流であるし、百済に下った皇族出会ったからだと思う。
実は天智天皇の天地とは隋王朝最後の皇帝の宝石の名前であったと記憶しているし、天武と唐王朝高祖の持ち物に因んでいた筈だが、それに気づいたのは、明治の文豪森鴎外であったという。
詰まり、天智朝と天武朝で皇統が代わっていたのだ・・・
ご安心下さい。
今上帝は天智朝の血筋に戻っています。
桓武天皇のお父上は天智朝で、聖武天皇は天武朝であった。
額田王こと持統天皇は、天智天皇の姫で実に実の娘を4人"兄"である大海人皇子に嫁がしているのも、異父兄弟とすれば納得できる。
余談だが、皇統からするば中大兄皇子は、天皇になれた立場では無かったが、クーデターである大化改新で天皇位を奪ったのであったが、恐らく天智天皇は、大海人皇子一派により弑逆されたのだと思う・・・
山城国(確かこのころは山背と書いたはず)へお一人で馬で行かれて行方不明になっている・・・
そうそう、仏教伝来だが、任那という朝廷の直轄地(私は半島の王家を見張る役所だと思っている)をこともあろうに百済が大友氏に賄賂を送って併合してしまったのだ。
それにぶち切れた時の天皇(ぶち切れた第一の理由が、任那にいる民の気持ちであった)の怒りを静めるために、百済王国は悩んだという。
天皇を喜ばせる物など国内に無いからであった・・・
そこで今支那でも流行っている"仏教"の経典と仏像を天皇に献上したら、たいそうお喜びになられたというのが、仏教伝来の真実であるという・・・
まあ、弥勒菩薩のお顔を拝見すれば、心が洗われるのは理解できる。
詰まり、日本の考古学会は、支那と半島への忖度から、太古のペトログリフの存在も認めていないのだ。
証拠があるにもかかわらず、見て見ぬ振りって、既に科学ではないのだ。
そう、「半島と拘わると劣化する」を地で行っているのだ。
さて、言霊だが、亀卜から来ているから音自体に力があるのだ。
音と文字にも力がある。
暑い季節であるから、皆さんも水を多く飲んでいると思うが、愛、感謝、ありがとう等の良い言葉を紙に書き、ペットボトルに貼っておくとなんと、水が浄化されるというのだ。
逆に悪い言葉、死、呪い等を書いた紙を貼ると水が劣化するという。
良い言葉の水を凍らせると綺麗な水の結晶が出来るが、悪い言葉の水だと氷の結晶は出来ないというのだ。
我々の言葉には力がある。
言霊を発するから、常日頃から口から出る言葉には気を付けなければいけないのだ。
自分を幸せにするのも不幸にするのも、結局は自分次第というとことである。