この歳のまで多くの車に乗ってきたが、最近はMOTORHOMEと日産リーフでる。

日産リーフの初めての車検であったが、買った甲斐がありました!!!!

掛かった費用は、なんと自賠責保険料を含めた法定費用のみで、税金は全て免除!!!!

自動車税も毎年免除(都道府県によって異なるみたい)である。

税金を払いたくない私にとっては、これが"夢の車"である。

 

私にとっての思い出の車とえいば、何とHONDA初代アコードであった。

これは、確かアメリカでキツい排ガス規制が制定され、全ての車が走れない???(法律制定後発売)となった。

マスキー法といって、エドマンド・マスキーという政治家が唱え、成立した法律である。

この1977年の改正が厳しかったと聞いたが、唯一ガチで通る車が、HONDAの開発したCVCCエンジンであった。

これで、一躍HONDAの車がアメリカ社会に浸透したのだ。

確かに、学生時代、サンタモニカからLAダウンタウンを観ると、八神純子の歌の"パープルタウン"さながらに空気が紫に見えていた。

余談ではあるが、サンタモニカは"市"であったため、サンタモニカダウンタウンも存在する。

日本の市は外国で言うところの"city"ではない!!!

何故か???

市が司法権、警察権を持っていないからである。

詰まり、独立して市単体で活動できない江戸時代より遅れている社会システムが、現行の日本である。

アメリカの警察ドラマを観ると、市警察が出てくる。映画ダーティーハリーは、サンフランシスコ市警察で、刑事コロンボはロサンゼルス市警察であるが、ジョン&パンチの"カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール"は、なんとカリフォルニア州の警察官である!!!

 

話を戻すと、このアコードを私が所有していた訳ではなく、私の日本人の友人A氏が学生時代に買った車であった。

多分10年落ちだったと思うが、乗るとガタガタという振動があったため、皆からはニコイチ車と言われていた。

詳しくは聞いていなかったが、多分個人所有者から直接買ったのだと思う。

当然窓を開けるのは手回しであるが、私は彼の車のこの"手回しノブ"を折ってしまったことがあった・・・

悪意や故意ではなく、普通に廻していたら折れた・・・

「俺が女性にもてないのは、車がボロいからだ」が口癖であったが、実は私はデートの時にこの車を借りたことがあったが、何ら問題なくLOVEラブラブLOVEであった・・・

 

ある感謝際の日(thanks giving days)は、大学は1週間以上休みとなる。

アメリカ人にとってこの感謝際が、日本人のお正月的なもので、全米に散らばった家族が祖父母の元に集まるのである。

別れた彼女(意思の誤解???彼は別れたと思っていなかった)に会いに行くために、旅の支度を始めていた。

アコードのタイヤを交換し、エンジンオイルも交換、どう見ても長距離移動の準備であった。

日本にいるときから好きだった(一方的に)彼女でYといった。

今ならストーカー規制法で一発OUTであったが、昔は"しつこい"ことが愛の深さ的な風潮が有ったではないか!!!

その彼女は、オレゴン州立大学に行っていたので、そこまで行くことにしたらしい。

片道3日の行程である。

信じられる?車で走っていて3日掛かるって!!!

青森から鹿児島以上の距離である。

カリフォルニア州だけでも日本より大きいのだ!!!

オレゴン州とえば、その上の州である。

LAはカリフォルニア州の長さの1/4辺りにあるから、彼は3/4走らないと州から出られないのだ。

LAからSFまで車で8時間ぐらいであるが、これは私も行ったことがある。

ナパバレーまでワインセラー巡りをしたのだが、大変であった・・・

今ざっくり調べたら距離にして約854mileであるが、2日有れば、頑張って行けると思った。

10年前に、私はフロリダ州からカリフォルニア州まで独りで運転したが、頑張れたが、車が違うとえばそれまでである。

当時、新型のシボレーアバランチであったが、彼のはニコイチ車の10年落ちの車であった・・・

そして、87年の秋の感謝際の日、彼は消えた・・・

帰って来たAは廃人とかしていた・・・

玉砕しのであった。

後から聞いた話だが、その時日本で買ったCHP(カリフォルニアハイウェイパトロール)のジャケットを着て颯爽と彼女の元に行って、チャイムを押したが誰も出てこなかった。

暫く茂みに隠れていて居たら、警察官に囲まれていたという。

近隣者が通報したらしいが、それは当たり前で、日本人ならCHPのジャケットを着ていても何とも思わないが、アメリカ人からすれば、なんでオレゴン州"OHP"で隣の州の"CHP"が居るの?であるし、それも女性の住処の茂みに隠れている・・・

どう見ても不審者である。

すると中からYが出てきて、「彼は私の知り合い」と言ってくれたから事なきを得た。

家の中に入ると、白人男性がいて、テーブルにはローソクがあって、七面鳥を囲んで正にLOVEラブラブLOVEで、Aがお邪魔虫であった。

一緒に食べる?と言われたが、泣きながら「俺帰る」と言った。

往復6日、滞在5分であった・・・

これが青春である!!! 多分・・・、経験したことはないが・・・

 

さて、HONDAアコードとえいば、アメリカではトヨタカムリと全米販売台数1位の座を争う程の人気車種であるから、開発コンセプト上、日本人は相手にされていないと思う・・・

私はプリウスを買うまで日本車に乗ったことがなかった。

大きなアメ車やイタリア車やドイツ車、イギリス車が殆どであったから、ホンダアコードと言われてもCVCCエンジンのアコード以外が分からなかった。

ある日、レンタカーをすることになった時、ホンダアコードがあったので、これを借りてみた。

そのマスクになれてくると、信号まで「あれ、前の車アコードだ、あれ、隣もアコード、後ろもアコード!!、この一段全てアコード!!!」とその台数の多さにビックリした。

 

夜独りでレストランに出かけ、車を駐車場に入れると、"ガサ"という音が聞こえて降りて見ると、前のタイヤ前が車止に当たっていたが、気にせずに食事を済ませバックで車を出すと、先ほどより大きな音で"ガサガサ"と聞こえたが、乗り上げ気味であったからその音だなと思ってホテルに帰った。

因みにアメリカ社会は、駐車場に入れるときは頭から入れるのが基本である。

"head in"と書かれているのに、日本的にバックで駐車すると駐車違反切符切られるのでご注意下さい。

 

ホテルの部屋は一階で、自室から自分の車が見えるのだが、珈琲を飲みながらなにげにアコードを観ると、何か違和感を感じた。

今まで観たのよりも一廻り車が大きく見えた。

急いで確認すると、前のバンパー部分のパーツが外れて取れかけていたのだ!!!

そう、昨夜のガサガサでパーツが取れた???!!!のであった。

「ヤバ」と思い、その部分を叩いたら、何と元に戻った!!!!

「凄いぞ!!!日本車」と思ったが、元自動車メカニックの友人に見せたら、「大丈夫ハマってる」と言われ一安心。

 

そう、未だに私に強烈な印象を残している車は、ホンダアコードなのだ!!!

これも余談だが、先出の友人の話だと、日本のアコードのDOHCエンジンは、北米アコードには乗っていないとのこと。

北米アコードのエンジンはOHCのエンジンだそうだ。

DOHCエンジン搭載のアコードは、"Acura"ブランドのお高い"TLX"と言うらしい・・・