先日、友人に勧められて"仮面の王"を観てしまった・・・
まあ、ファンタジーとして架空の国の話としてみれば、まあまあ楽しめた。
李氏朝鮮は、1392年から1897年まで存続した国家であったが、その後日本へ併合された明治43年(1910)まで李王家の血は続いていた。
余談だが、北朝鮮へ拉致された横田めぐみさんは、日本の皇族の血と李王家の血が流れている人であるという。
だから、北朝鮮は両国の尊い血を狙ったと言われている・・・
話を戻すと、室町時代から明治時代に掛かるほどの長い王国であったのだが、何故505年も続くことが出来たのかというと、モンゴル史の専門家の宮脇淳子先生は「ただただ何もしなった。成長も発展もしないし、両班による徹底した搾取で貧乏だったから続いた」とおっしゃっていた。
有名な話に、室町時代にやってきた朝鮮通信使(日本の幕府に朝貢していた)が、水車を見て「あれは何ですか?」と尋ねたので、「あれは水車と言って、水の流れを使って仕事をするものです」と日本人が答えると「それは良いですね。早速国でも作らせましょう」となった。
江戸時代にやはり朝鮮通信使がやってきて、水車を見て「あれは何ですか?」と尋ねた・・・
300年近く経っているのに、結局水車を作れなかった・・・残念!!!
である。
何と、朝鮮人は木や金属で○を作れなかったのだ・・・
樽も作れず車輪が作れなかったから、台車が存在していなかった・・・
では、何故朝鮮はダメダメだったのか?
それは、"儒教"がダメ教育であったからである。
儒教の教えは、身分の高いものは力仕事をしてならない。
詰まり、働いてはならないのである。
労働は卑しい身分の仕事であり、職人も身分が低かったから、社会が発展するはずがない。
日本の職人は一目置かれる存在であった・・・
時計や、からくり人形を見てみれば分かる。
日本人のえげつない程の探究心が、豊かな社会を築けたのだ。
蒔絵の硯箱や文箱の素晴らしさ、瀬戸物や漆器のすばらしさは、日本中から愛されていた。
公方様へ献上した品に"お褒めの言葉"を賜れば、「職人冥利に尽きる」と江戸っ子の声が聞こえてきそうだ。
だから、支那王朝や朝鮮王朝は儒教を国の根幹にしたが、日本人が解釈した儒教とは別の物であったと言える。
話を仮面の王に戻すと、一体何時の時代?と疑問が沸く。
鉄砲が出てきていないから、織田信長公より前の時代なのは明らかだ。
しかし、忍者が出てきたのには笑えた。
結局、韓国人は日本が羨ましいというのが、至る所から感じられる。
色とりどりの衣服(李氏朝鮮時代は染料が無かったため白色となったが、洗濯もしていなかったからねずみ色であった)や、忍者、切れる刀である。
李氏朝鮮時代の鎧は、今風に言えば段ボールで出来ていて、剣はペーパーナイフであった。
関白の明国征伐のおり、朝鮮人と絡んだ(戦いにもならなかったという)武将はビックリ仰天、刀で鎧が切れる!!!である。
因みに、日本の戦において、時代劇と違い、刀は人を切るものでなく突き刺すものであったし、槍は人を突き刺すものでなく、ぶっ叩くものであったのだ。
時代劇のように鎧を着ている相手を刀で切り超すことは出来ない。
出来たら重い鎧を着ている意味が無いではなないか!!!
それと、劇中で王家に忠誠を尽くす将軍が出てきたが、「北の国境を守っている」らしが、敵って誰?である。
明国や後の清国の属国であった朝鮮が、国境紛争など無かったのでは?と思わず1人突っ込みをしてしまった・・・
騎兵10000、歩兵30000で朝廷を牛耳る秘密結社"辺首会"を根絶やしにして見せますとの談が笑えた。
だって、確か朝鮮軍24000位が対馬に攻めてきた史実をご存じか?
領主の宗氏が主だった兵を連れて京へ行って留守であったときだ。
残った武士は600余り!!!
武士団600対朝鮮軍24000であった。
決して笑ってはならない!!!!
武士団の圧勝で、最期指揮官は土下座して、「毎年貢ぎ物を対馬に届けるから許して〜」であったのだ。
倭人館という建物が何処かの港にあるらしく、キム・ファング(辺首会首領の孫娘で主人公の世嗣に恋してる)と何やら日本人らしい商人と日本語で会話をしていた。
海賊、商人といえば、室町時代だろうと察しが付く。
しかし、室町時代は月代は剃っていないかった。
と、ツッコミ満載だ。
韓国の時代劇を歴史物と取ってはならないと思った。
そう、言うなれば、"ロード・オブ・ザ・リング"的なファンタジーとして捉えねばならない。
それと、韓国語に日本語と同じ単語が多いことに気が付くと思うが、現代の支那語や韓国語の7割の単語は明治時代に渡った日本語であることを忘れてはならない。
その事実を踏まえれば、古来より大陸から日本に文化が伝わったと言うことは疑わしいのだ。
縄文文明が世界最古(現人類)の文明であることを忘れてならない。
つづく