翌日、朝起きると抜けるような青空と碧海に白波が模様を着けていた。
普通旅ならば朝一で行動を開始するもので、宿屋の一番早い朝食時間を選び、食後はさっさと出て行くのが最もお薦めの方法だろうが、起きたのは6時半であったが、朝風呂を楽しんでしまい、結局10時に宿屋出発となってしまった。
朝からご飯5膳は食べてしまったが、この日は天城越えだから燃料補給(炭水化物)が必要であったから問題ない!!!
しかし、旅館化の食事は実に健康的であると思った・・・
伊豆稲取駅まで宿屋の車で送って貰うと、丁度良く下り電車が滑り込んできた。
"鐵"としてはこういった影で鉄路を支えている汽車に"萌〜"としてしまう・・・
これはダンプを引っ張る作業車であった。
夜間にこれで線路に砂利を足したりしているのであるが、鉄道模型も趣味である私も当然この手の作業車は持っている。
三駅目が目的の河津駅である。
稲取から河津まで135号線はワインディングを重ねているが、鉄路はほぼ平坦になめらかに走るから距離的には半分以下かも知れない・・・
さて、駅で降りると、バス案内所でバス停のチェックであった。
計画では、河津桜を河津川沿いに上流に行き、桜が切れた辺りからバスに乗り旧下田街道を北上するコースであった。
すると、バス案内所の人は、"桴場バス停"から"二階滝バス停"までバス移動すればそこから歩くのが一番良いとのことであり、桜を楽しみながら川沿いを歩いた。
桜のピンク色に菜の花の黄色が映えて何とも言えない美しさである・・・
流石にこのご時世でも、多くの人で河津は賑わっていた。
桴場からバスに乗り、国道414号線を北上していくが、バイクならあっと言う間の距離もバスだと、「こんなに離れているんだ」の時間であった。
二階滝(にかいたる)で降りると、流石に人影も無く、山の斜面を登っていく小道を進んだ。
この山道は、旧下田街道へのバイパスで、旧下田街道は一応の舗装路であったが、間もなく未舗装となる。
この道は昔かったオフロードバイクで走ったことがあったから、うろ覚え程度の記憶を辿るように旧道を進んだ。
途中に、石川さゆりの名曲"天城越え"に出てくる寒天橋が出てくる。
更に進むと、旧天城隧道が口を開けて待っていた。
ここは、未舗装区間ながら車やバイクは通れるので、ウォーキングの際は注意が必要である。
踊り子達もこのトンネルを逆方向から来たのである。
伊豆の踊子は、実は100%のフィクションでなく、先年に文豪川端康成氏が帝大生時代に実際にこの地を旅をした記憶に味付けをしたものである。
映画は私の記憶では、3本あって踊り子が、田中絹代版、吉永小百合版、そして山口百恵版であるが、私が観たのは当然百恵ちゃん版であったが、当の川端康成先生は吉永小百合のファンであったらしい・・・
物語は大正時代の伊豆を舞台としていたが、当時の踊り子(旅芸人)は、お座敷の後にHもしていた(今も変わらないか・・・)が、主人公の踊り子は17歳に見えるが、実際は14歳であったらしいから、当時でも売春禁止の年齢であった。
学生さんと踊り子とでは身分が釣り合わなかった・・・
とか考えながら隧道を進んでいった。
トンネル内部の写真だが、中央の左側のはオーブではないのでご安心ください。
iPhoneのレンズは光の当たり具合で水色の"点"が出てしまうみたいだ。
隧道内は寒く、地面が凍っていたし、所々に氷柱があるったので歩くのも要注意である。
踊り子達は、湯ヶ島からこの隧道を通り河津の手前の湯ヶ野温泉に泊まったのだが、学生さんの宿泊した宿屋は現存していて宿泊することも出来る。
福田屋さんであるが、この宿屋から河津川向こうの宿(今は無い)で踊り子達は座敷に出ていた。
しかし、私はバスで二階滝から水生地下のバス停までで疲れてしまったのだが、踊り子達は更に歩いたのだから"凄い"の一言である。
桴場バス停と湯ヶ野温泉の手前に、現在セブンイレブンがある。
バイクで行で天城を南下すると丁度良い休憩所になるコンビニなのだが、ここの交差点で下田街道は山道へ入り河津へは行かない。
私も何度もここから下田方面へ向かったものである・・・
海沿いの景色を堪能したければ、下田街道へ曲がらずそのまま直進すれば河津から135号線へ出られるのだ。
こうして無事に天城越えをして、バス停に着き時刻表を見てビックリ!!!
バスの数分前の到着でった。
ルイルイの"バス旅"番組を地で行くきわどさであった!!!
その後、バスで修善寺に出てから伊豆箱根鉄道で三島へ抜け、バスで箱根経由で小田原駅へ行き、そこから小田急線のロマンスカーで帰ってきた。
石神井だと東京駅に出るより西武新宿線に乗り換えられる新宿の方が遥かに便利なのである。
この日は15㎞歩いたのであった・・・
一泊二日で伊豆の踊子気分を味わい、健康に気を遣う旅を満喫できた。
おわり