厳しい残暑が続いている。

今年の夏は支那風邪騒ぎで、不発に終わろうとしている。

各地で夏祭りも中止とか言っているが、ここまで日本人が劣化しているとは信じられない・・・

京都の大文字焼きも中止とか・・・

 

お盆の先祖の御霊を迎えるために大文字焼きをするはずが、人間の都合で止めて良いのか?

誰かが大文字焼きを電気でライトアップして物議をかましたが、ライトアップした奴の方がよほどまともであると思う・・・

 

夏祭りは誰のために行うものなのか?

人間が楽しむためではなく、鎮守の神々への感謝を表すのが祭りである。

相手は神々なのだが、人間の都合で取りやめって、神々を蔑ろにしすぎるのにも程がないか?

こんな時だからこそ、我々人間の心意気を神々に見せるべきではないのか?

 

"困った時の神頼み"だけでは、神々は助けてくれるはずもない・・・

 

昨今の大和民族の劣化が激しい・・・

"感謝"を忘れ、我先に権利を主張している。

これでは欧米と同等なレベルまで落ちてしまう・・・

 

文明開化と明治時代に言われたが、馬鹿か?と笑いをこらえられない。

それまで日本には文明が無かったのか?と問いたくなる。

幕末に欧州人が江戸の街へ来て皆カルチャーショックを受けたのを知らないのか?

これだけの大都市なのに、ゴミが落ちていないし、糞尿も落ちていないからである。

ロンドンもパリも、街中糞尿まみれであったのだ・・・

ベルサイユ宮殿にトイレが無く、女性はオマル、男性は宮殿内で立ちションをしていたのである。

これが王侯貴族の行いであったのだから、平民のレベルは推して知るべしであろう。

 

現在、18・19世紀で世界で一番平民が幸せな国は日本であったと言われている。

支配階級の意識が、日本と欧州とではまるで違ったのだ。

欧州では、貴族は搾取していたが、日本の武士は民百姓の為に働いていたからである。

私の好きな言葉に「武士は食わねど高楊枝」がある。

これが全てを物語ってはいないか?

 

幕末の話に戻るが、イギリス人一行が一番驚いたことは、ある書店で店番をしている赤ん坊を負ぶった少女が、売り物の書物を読んでいて、そこに客が来て本を買っていたが、金を出したら直ぐに釣り銭を渡したそうだ。

それを見てビックリしたそうだ。

貧しそうな少女が、本を読んで暗算で計算が出来ることが青天の霹靂であったらしい・・・

19世紀当時のイギリスでさえ識字率は、14%であった・・・

基本平民は読み書きが出来なかった・・・実は、貴族の中にさえ読み書き出来ない者も居たぐらいであった・・・

だから、昨今シェークスピアには、ゴーストライターがいたと言われているのだ。

平民のシェークスピアが文字が書けたのか?とか、ジュリアス・シーザーを知っていたのか?等々

ゴーストライターは、バッキンガムだかケンブリッジ伯爵だかが書いたと言われている。

当時、貴族が物書きをすることはタブーだったため、シェークスピアの名で発行したという。

 

結局、欧州化を選んだ明治政府により、日本の文化の劣化が始まったと言える。

食生活も欧米化が進んだが、現在の欧米を見ると「和食が健康に良い」が常識となっている。

印象派のマネ、モネ、ゴッホ、ルノアールは、皆日本の浮世絵を見てカルチャーショックを受け、浮世絵の技法をまねたのである・・・

食だって、日本食のレパートリーの広さにはビックリであるが、格下のフランスのミシュランの星で騒いでいるのが笑えてしまう。

世界遺産だって、意味不明である。

富士山は、世界遺産であろうと無かろうと日本人の心のよりどころである。

 

支那風邪だって、結局ただの"風邪"であると分かったのに、TVでは朝から国民の恐怖心を煽っている。

飛沫感染しないのに、飛沫感染が!!!と言っている。

もし、飛沫感染するのであれば、3000万人以上が感染して、1000万人以上が発症している筈である。

インフルエンザは、飛沫感染なので、状記の数字である。

ついでに、インフルエンザを起因としての死者数は毎年10000人ぐらいである。

"重症化"っていうが、風邪が重症化すれば肺炎になるし、日本人は毎年肺炎で14万人が亡くなっている。

 

人間界が馬鹿騒ぎをしていても夏が来て、蝉が謳歌している。

夕方、庭を歩いていたら、蝉の声に混じってコオロギ達が鳴いているのに気が付いた。

昨日は鳴いていなかったということは、今日から秋が始まったというとか・・・

 

人間が滅んでも、地球は関係なく回り続け、季節も巡り、虫たちはそれぞれの季節を謳歌するのであろう。

 

この世の中で100%確かなことがある。

それは"死" である。

貴賤に関係なく、平等に死は来るのだ。

問題はそれがいつか?である。

55歳になった今、20代とは違っていると感じることは、"死"が近づいている事である。

だからこそ、一期一会を大切にしなければならないと、改めて思っている。

こんな時だからこそ、季節の移り変わりを楽しむことが大切ではないか?