留萌の町は、まるでゴーストタウン感が漂っていた。
支那風邪のせいだと思うが・・・
朝からどんよりとした空模様であったが、雨は降りそうもなかったが、目的地の稚内が雨模様だったので出発時からカッパを着用であった。
出発は午前8時であったが、この日は180㎞ほどの移動であったので、ゆっくりと走ることにした。
国道232号は、日本海沿いに北上しているが、この道はここ数年通っている道である。
10分ほどすると、雨が降り出した・・・
北海道の道を走る楽しみとは、本州とは全く違っている景色である。
アメリカを走るのに近い大陸の景色なのだ。
それは、町から町への移動の途中が、原野であるのだ。
関東なら町から町へ移動するが、景色は同じ町中で、いつの間にか県境を跨いだ・・・ではないか!
余談だが、私が小学生の頃は、東名用賀ICから川崎の料金所に行く途中で、多摩川を渡るのだが、神奈川県側の丘陵地帯は鬱蒼とした緑に覆われていたが、今では住宅街である・・・
北海道はざっくりだが、島の中央に山脈がある感じで、それ以外は丘陵である感じだ。
道を走っていても山が迫ってこないのだ。
関東なら、これほどの地方感のある道なら山が迫っている筈だが、北海道は平野に道がある感じであるので雄大さが増しているのだと思える。
昼食は昨年私が立ち寄った遠別町にあるメルヘンという店である。
ここのランチステーキは1600円程とは思えないボリュームと旨さである。
店の雰囲気も"昭和の喫茶店"感を醸し出している・・・
カズちんは、途中で温泉に入る習慣がないらしく、有名な旭温泉は今年は寄れなかった・・・
道北では有名らしいのだが・・・
カズちん曰く「温泉に入ると呑みたくなるからな・・・」であった。
遠別町のダウンタウンに入る手前に旭温泉へ通じる道があるのだ。
興味があれば行ってみると事をお薦めする。
メルヘンのある交差点で国道232号線は右折していくのだが、我々は左折するのだ。
左折すると"裏オロロン街道"とで言いたくなる良い道がある。
晴れていれば左側の海の向こうに利尻富士が見えるのだ。
右側は原野みたいだが牧草地帯であるが、ここだけで練馬区が入ってしまいそうな広さだし、この直線道路も数キロ続いている。
この道は天塩町の手前で国道232号線に戻る。
天塩町からオロロン街道が始まる。
オロロン街道のこの風車の景色は名物となっているが、本当にこの風車で電力を稼げているのかは甚だ疑問である。
家での"エコ給湯"システムだって、メーカーさん曰く「絶対に元は取れない」とぶっちゃけていた・・・
これも民主党政権時代の負の遺産と言える。
"景勝を 壊して廻る 風車"私が昨年作った一句である。
この"廻る"は、風車が回るという意味と、日本中に無駄なものを建てているのを掛けている。
稚内の西側は、天気が回復していて、途中利尻富士が見え隠れしていたが、ノシャップ岬は霧雨であった。
この場で働いている人に訊いたが、支那風邪騒ぎで人が減って、支那人が来なくてせいせいしていると言っていた。
地元民にしてみれば、静けさを取ると金を取るかだが、国内旅行の94%は我々日本人である。
我々は支那朝鮮人の溢れている所へは行かないのだ。
今、奴らが来なくてヒーヒー言っている観光地は、チャイナリスクを考えて、我々を呼び戻す方法を模索した方が良い。
アパホテルが良い例である。
社長の書いた「南京大虐殺は嘘」の本を部屋へ置いたら、支那共から泊まると指令が出て以来、支那人が宿泊しなくなったが、なんと日本人が殺到しているらしい。
多くの日本人は、奴らが嫌いなのだ!!!
気付よ政府!!!なのである。
さて、宿屋は去年と同じ"ドーミーイン稚内"で、夕食は去年の赤帆立リベンジで同じ店に行った。
赤帆立であるが、ママ曰く「いつもはもっと赤いのよ」であったが、濃厚な味と歯ごたえは、通常の帆立とは比べものにならない!!!
カズちんもフィーバーしていた。
ママと姐さんとの会話にウキウキしていた。
「姐さん、若返ったね」と私が言うと、姐さんは武蔵小杉からの出戻りでママの娘とのこと・・・
これはメニューにないのだが、海胆とイクラ両方食べたいと去年私が言ってママが作ってくれたので、今年も作ってくれた。
ママ曰く「男を一回甘やかすとしょうがないな・・・」であった・・・
「兄さん、覚えているよ。オートバイ独り旅だったよね」となれば、常連扱いであった。
"古代宇宙人説"で大盛り上がりになって看板までいてしまった・・・
つづく



