戦国時代劇をTVや映画で観る機会が多々ある。

有名所としては、黒澤明監督作品であろう。

日本の鎧兜は、現在では世界中で人気だそうだ。

 

NHK大河ドラマでも合戦シーンはよく見るが、お互いに戦っていて、袈裟懸けに刀で切って死ぬシーンがある。

それって変だと感じませんか?

鎧兜を纏うとその重さだけでも20㎏〜30㎏というが、それだけ重い思いをして、敵に袈裟懸けに切られて死ぬぐらいなら、そんな鎧など着ないわ!!!と思いませんか?

刀や槍から身を守るために着ているのである!!!

 

この鎧も、鎌倉、室町、戦国時代と変貌していることはご存じか?

一番の変化は、戦国時代後期である。

何故か?

答えは単純明快で、鉄砲の登場であった。

それまで、華美な装飾をされていた鎧兜が、シンプルの成っていったのは、正に鉄砲である。

華美な鎧は、当時でも身分のある金持ち武将が着ていたので、狙い撃ちされてしまうから、なるべく目立たなく成っていったのだ。

これは太閤秀吉の鎧兜だが、これは既に天下人となっている頃の物だから、天下人の威厳を知らしめるための鎧兜であるから、戦場では着ない・・・

 

現在我々の知っている鎧兜は、平安時代後期、詰まり武士が台頭してきた頃に進化してきたのだ。

兜のカブトムシの角のような金色の物を前立(まえたて)というが、これが源平の頃の特徴であるが、これを切れるのは、大将かその一族しか居なかった。

これ一式で現代の価格だと2000万円以上という・・・

それと、基本平民は裸足であったようだ。

草履を履けるのも身分が高い証拠らしい・・・

それと、戦をしている平原だが、映画とは違って刈り込まれいなく、腹部より上まで草が生い茂っていたようだ。

この前、NHK大河ドラマの太平記を観ていて不思議だったのが、矢が飛んできて大袖い刺さって死んでしまったのだ!!!

歴史考証する奴いないのか?と思ってしまう。

大袖は矢を避ける為の部位で、ここに刺さって死ぬって事は、PL法で鎧を作った奴は打ち首ものである!!!

平安時代後期は、一騎打ちが盛んであったが、「やや、我こそは、誰々の一子○○である!!!」と名乗りを上げるのが常識であった。

敵に名乗ってどうする?とお思いでしょうが、実はこれは見方の見聞役(戦奉行的な)に言っているのだ。

この一騎打ちで勝てば恩賞だから、書き漏れや間違いの無いように必死で叫んでいたのだ。

一騎打ちにもルールがあって、最初はお互い馬上から矢を射るのだ。

射る順序も決まっていたらしい。

その時に、馬は左側通行で互いに駆け寄ってきて矢を射るのだが、その時自分が外せば次は相手が射ってくるから、左肩の大袖を前に出し、顔は右に傾け相手に兜の"吹返"を向けって防御したのだ。

左の大袖は固定されていて、右側は型に付いているだけだ。

右側は刀を振り回すので、邪魔にならないようにと言う配慮である。

ザクの大袖のシールドは役に立たない・・・残念

 

だから、大袖は弓矢をはじける強度なのだ。

それでも決着が付かないと馬上での刀の斬り合いで、そのうち馬から下りての斬り合いとなり、倒して馬乗りになれれば勝ちであった。

この時に下になっている武士は、必死に胴を掴もうとするが、掴めなく出来ているのだ!!!

そして、脇差しを抜いて相手の首の動脈を切って、その後、首を切り離して勝ちであった。

詰まり、トドメは首なのだ。

袈裟懸けに切っても切れない・・・

 

我々は刀は切るイメージだが、戦場では、刀は刺すもので、槍は突くものではなく、叩くものであった。

それまでの柄の短い槍ならば突けたろうが、織田信長公は従来の倍以上の柄の長い槍を作った。

2mくらいの長さでは、突くことは出来ない。

先端は鉄製の刃が付いているのだから、しなってしまって突けないのだ。

これを上から相手の脳天目指して振り下ろすのだ。

頭蓋骨陥没になるらしい・・・

刀にも用途別に種類があって、戦用だと、通常の刀より太くて短いものを使うのだ。

通常品だと直ぐに折れてしまうから、太いものを使った。

新撰組が突入するときも、屋内なのか屋外なのかで差していく刀を変えたという。

 

そこに鉄砲が入ってくれば、大袖も役には立たない・・・

だから、華美な装飾をやめて地味に、より実践的に進化していった・・・

 

それと、戦国時代の徳川家中では、戦に行くときに腰に巻くロープ常のものは、非常食になったという・・・

かんぴょうの様なものを乾燥させ、それに味噌を塗り込めていて、ロープを切ってお湯に入れればインスタント味噌汁が出来たという・・・

 

因み、戦国時代末期とも成れば、鉄砲を防ぐ胴も出来ていて、顔を狙うか下半身を狙わねば成らなかったらしい・・・

 

コンバットシューティングの練習に行くときも、最初は腹に2発、それでも向かってきたら眉間を狙って2発撃つように練習している。

 

源義経が強かったのは、平安時代後期の戦の作法を無視して、誰彼構わず斬りかかったからだという・・・

ルール無視は何時の時代も強い!!!

 

これらを頭に入れて"麒麟がくる"を観れば更に楽しく・・・

あらが見えてしまう・・・

余計なお世話でした・・・残念