最近、友人等とランチすると何故か政治談義になる。

「安倍が悪い」とまるで左翼系かと思う発言もするが、立憲民主党はもっとダメと言っている。

「なら誰なら良いの?」と私が尋ねると黙ってしまうが、今の自民党にはいないが彼の答である。

私は別に安倍さんが悪いとは思っていない。

悪いのは官僚制度であって、誰が総理大臣になろうとこの国の劣化には歯止めがきかないのだ。

前回、日露戦争の下りを書いたが、明治時代の日本の政治家や官僚制度は、新しく出来上がったのできちんと機能していたのだ。

戦後、GHQによって日本にはなじまない政策等々を押しつけられた。

その一例は、河川の汚染である。

私が子供の頃、石神井川はドブ川で、川を渉って三宝寺池や石神井公園へ行っていたが、川に近づくと鼻を摘まむほど臭かったのだ。

父の話だと、「昔は綺麗な川で泳げたんだよ」であったが、私と弟は信じられなかったのを覚えている。

何故、綺麗な河川が汚れ、東京湾がヘドロの海へと変わったか?

それは不潔な欧米のやり方を押しつけられたからであった。

 

欧米は20世紀初頭まで、糞尿を家の窓から捨てていた。

これはイギリス紳士の正装であり、実際はこれにコートを羽織るのであるが、何故シルクハットを被っているのか?

それは道を歩いていて上から糞尿が落ちても直接顔に掛からないようにであるし、このステッキの役割は、未知の堕ちているウンコをどけるためであった。

だから、建物に入ると帽子とコートとステッキを預けのだ。

もし糞尿が着いていれば、係の者が綺麗にしたのだ・・・

パリもそうで、一応規則として窓から糞尿を捨ててはダメで、捨てるのはセーヌ川等の河川であった・・・

これだけ書けば、ロンドン、ベルリン、パリの当時の臭いが想像できるはずだ。

しかし、日本はこのリサイクルが完璧に完成していた。

糞尿は売れたのである。

農民が町に農作物を売りに来て、帰りには糞尿を買って帰ったのであった。

そして、肥だめで肥料を作っていたのだ。

肥料になるまで約3年は掛かったと聞いたことがある。

だから、江戸時代末期に西洋人が江戸の街に来てビックリしたのは、ウンコが道に堕ちていないし、街から糞尿の臭いがしないことであったのだ。

 

しかし、戦後、GHQは金儲けの為に、このリサイクルシステムを破壊した。

糞尿は自分たちと同じに河川に流させたのだ。

そうして、化学肥料を買わせたのだ。

金儲けの為に日本の農業を壊し、大麻等々の薬草を禁止して、製薬会社が作った薬の使用を義務づけた・・・

戦前は、ヒロポン(覚醒剤の一種)は薬局で売っていたのだ。

 

抵抗勢力はこれらの利権と結びついている。

現代日本だって、利権の温床の特定財源にメスを入れようとした国会議員を暗殺しているではないか!!!

 

江戸時代、徳川家康公は幕府を開くに当たって大問題に直面していた筈だ。

殺人組織の武士をどうするか?であった。

多くの人々は徳川家康公は、「戦の無い太平の世を作りたかった」と言うが、そんなことは絶対に無かったと私は断言できる。

臭い大河ドラマ等々では、女性等が「戦で泣くのは何時も女子供だ」というが、そんなのは真っ赤な嘘で、亭主の尻を叩いて「大将首を取ってこい」と背中を押し、取ってきた首を少しでも偉い人に見せるために女子供が化粧をしていたのであった。

戦は、皆で暮らしが良くなるために行っていた経済活動であったのだ。

 

例えば、今、支那を討つ世界大戦が始まれば、「早く戦争が終わって前のような生活が出来たら良いね」と我々は思うであろう。

それは、"平和な時代"が日常で育っているからである。

しかし、生まれた頃から戦争状態であれば、"平和"の意味すら理解できないはずだ。

 

戦国時代は、室町時代の初期から続く戦乱に守護大名達が疲弊して大人しくなった時代である。

栄枯盛衰が常の世の中に生まれた人々が"戦の無い世の中"など切望するはずがない。

 

だから、織田信長公は自分の武力の前に日本統一しようとしたし、それの意思を継いだ豊臣秀吉もその路線で進んだが、寿命が足りなかったのだ。

もう10年生き続ければ、支那大陸を手に入れていたと思う。

これも根拠の無い話では泣く、明朝の後の清朝の書物に「太閤の命がもう少しあれば、明朝は滅んでいた」と書かれているのだ。

詰まり、"天下"は廻り物で実力のある者が取ると思われていた。

 

だからこそ徳川家康公は悩んだはずだ。

そして、徳川家の天下を考えて、その答えを"儒学"に求めたのだ。

五常の仁・義・礼・智・信を武士に教え込んだのだ。

その後、綱吉公の御代に"生類憐れみの令"が発布される。

これも現代嘘がまかり通っている。

"お犬様"が人間より偉いなんって、後世の劇作家が書いたネタで、実際は「この世生きとし生ける物、全ての命は尊いものである。まして人間の一ならば尚更である」と人殺しを戒める法であったのだ。

詰まり、畏れ多くも"神武天皇の詔"である八紘一宇に基づいているのである。

 

詰まり、人殺しが仕事であった武士から、"殺戮"を取り除き、代わりに勉学と雅を教え込んだのだ。

それは上手く機能していたと思う。

 

しかし、物事には裏表が必ずあり、儒学へ傾倒すると妙な身分意識が出てしまうのだ。

それが、"商売は悪"なのだ。

一番は農業、漁業で汗水垂らして働くから偉く、楽して稼ぐ商業はダメとなった。

 

支那や半島をみれば一目瞭然である。

李氏朝鮮時代は"両班"という貴族身分がいて、奴らは労働せずに欲しければ、領民の家へ行って物を持ってきてしまったぐらいだ。

逆らえば、拷問が待っていた・・・

 

日本の凄いのは、支那から入ってくる場合、日本風に改訂してしまうことである。

だから、纏足、宦官、男尊女卑等々は入らなかった・・・

意外かもしれないが、日本は今以上に男女平等であった。

男尊女卑が入ってきたのは、明治時代に欧州からであった・・・

事実、日本が世界トップクラスの学力があったのも寺子屋制度が、凄かったからであった。

寺子屋の考え方の凄いのは、「学問の出来ない奴は切り捨てる」出会ったと思う。

現代の馬鹿文部科学省の「馬鹿に合わせる」をやるから皆馬鹿になるので、寺子屋のようにダメな奴は破門で良いのだ。

だって、学校がつまらない理由って、勉強が分からないからで、そいつに合った学力の学校へ行けば良いだけではないの?

重要なのは出来る子供である。

これをガンガン教育すれば国のためになるはずである。

寺子屋も出身者が何処へ就職できたかで、人気が違うという・・・

二宮尊徳の様に、農民から役人になった人間がでれば、たちまち人気で倍率の高い寺子屋になったのだ。

そして、その寺子屋の先生達の半数は女性であったし、女性先生だけの寺子屋も多かったという・・・

私も行きたいくらいである・・・

 

何故、商売が悪なのか?

安く仕入れて高く売るからである。

これが詐欺に思えたのであろう・・・

当初の幕府は、金山銀山銅山を多く持っていたので、金が足りなければ掘っていたのだが、それも100年以上経てば埋蔵量も減ってくるから、財政難になったのだ。

商人から所得税を取るという概念が無かったから国家予算は破綻していった。

そこに登場したのが、田沼意次である。

彼は、経済主体での財政再建と現代では当然の政策を打ち出し、時の公方徳川家治の全幅の信用で改革を行っていた。

家治には嫡男がいて彼は家基と言った。

本来なら11代になるはずであったが、なんと不思議な死に方をいた・・・

 

そう、反対勢力が居たのだ!!!

同じく吉宗の孫の松平定信を筆頭とする官僚であった。

落馬で死んだらしいが、ここで歴史好きなら気が付いてくれたはずである。

"落馬死"といえば、源頼朝公、更に古くは天智天皇である。

偉い人の暗殺は、"落馬"なのだ!!!!

殿上人の死なのだから、検死するわけにも行かないし、皆が納得するのは"落馬"となる・・・

 

詰まり、勘違い野郎の松平定信一党は、「神君公がお決めに成られた儒学の教えを変えるのか?」を旗印にしたという。

しかし、当の家光公でさえ、呂宋(フィリピン)を植民地化しようとしていたというし、呂宋を初めとして東南アジアとの交易も目論んでいたが、ここも寿命が尽きてしまった・・・

 

田沼意次は蝦夷地も見聞させ、耕作地開拓を計画していた。

因みにアイヌ人は、北海道の原住民ではなく、元々縄文人が住んでいた地に、鎌倉時代辺りに渡ってきた侵略民である。

ここで鎌倉時代ときてピーンと来ないと、歴史好きは言わせませんよ。

大陸ではモンゴル人が躍進していた時で、蒙古から逃げ出したコッサク辺りが海を渡ったと考えるのが自然では無いか?

 

抵抗勢力は、公方の跡継ぎもを暗殺して家斉を11代に据えることに成功すると、田沼意次親子を叩き潰した。

こうして、"重商主義やバブル経済は悪"という概念が、亡霊のように現代日本にも影を落としているのだ。

 

江戸時代でさえ、日本国の支配者であった公方にでさえ、楯を突く反対勢力なのだから、現代でどうやって此奴らを打ち破るのか?

 

その唯一の方法は、幕府を作るしかないと思っている。

日本国政府に大政奉還してもらって、新政府を作れば全てが変わり、抵抗勢力である官僚制度もぶち壊せる。

 

ローマ帝国の英雄ジュリアス・シーザーも、「悪しき制度もそれが出来た頃は機能していた」と言っていた。

しかし、彼も又抵抗勢力により暗殺された・・・

 

だが、時代は共和制から帝政へという流れを止めることは出来なかった。

次の一手を決めるのは我々国民なのである。