「織田がつき羽柴がこねし天下餅、座して喰らふは徳の川」信長がついた餅を秀吉が捏ね、それを食べたのが家康とうことであるが、本当に座して待っていただけで、天下人になれたのか?

誰も疑問に思わなかったのか?

 

もし、信長公が本能寺の変で倒れていなかったら?を考察してみる必要がある。

何度も書いているが、織田軍と他家の軍との大きな違いは、傭兵か領民かである。

織田軍の補強は無尽蔵だが、他家では領民からの徴兵であるから自ずと限界がある。

他家でも傭兵にすれば良かったのでは?となるが、そうはいかない。

何故ならば、兵力は無料が常識で、金を払って兵を雇うなど常識外れであったからである。

次に、兵を雇うには金が掛かる。

物々交換が常であった地方に、いきなり貨幣経済は無理があったし、そもそも資金力が無かった。

信長は国際貿易港を握っていたから、莫大な富が集まったし、何故織田軍だけが大規模な鉄砲隊を組織できたかもそこに掛かってたのだ。

当時の日本の職人も現代と変わらずに凄かったのだ。

その証拠に、鉄砲が伝来した翌年辺りには、国産の鉄砲が出来上がっていたぐらいであったが、ひとつだけ手に入らない物があった。

火薬の原料の硝石だけは、日本国内で入手が出来なかったから、輸入に頼っていたが、その港を押さえていたのは織田信長であった・・・

後に硝石はオシッコから取れることが分かるのだが・・・

 

信長公が当初の予定通りに四国征伐に行っていれば、毛利家も圧死確実であった筈だし、四国征伐も時間の問題であった筈だ。

九州征伐など秒殺であったと考える。

何故なら、太閤秀吉の九州征伐もあっと言う間の9ヶ月であったからだ。

秀吉軍は、宿敵柴田勝家軍との潰し合いに勝った軍だが、信長公がいれば、潰し合いなどしていなかったから、単純に倍はいた計算である。

戦わずして、九州の諸大名は信長公のひれ伏した筈だ・・・

そして、当初の予定通り、明国征伐でこれも勝ったはずだ・・・

何故ならば、清朝の書物に、「明朝は運が良かった。もし太閤秀吉がもう少し長生きしていたら潰されていた」と書かれている。

明国成敗は恐らく、信長公50代半ばよりも早かったと思う・・・

当時の世界最強軍は織田軍でったのだ!!!

 

その信長公が、"三河の王"を殺そうとしていたのだから、当の三河守徳川家康としては、殺されない算段をしなければ成らなかった。

同盟当初は、信長公の周りは敵だらけで、織田家だけでは360度の敵を相手に出来なかった。

だから、背中合わせにして、目の前の敵を討つという同盟であった筈だ。

徳川家の目の前の敵は、今川義元亡きと言っても以前大きい今川家、そして武田家、北条家と今で言えば米露中が敵という感じであった筈だ。

その中の救いは、北条家であったと思う。

何故なら、北条家の当面の目標は関東平定であったからだ。

 

それが、織田徳川連合で武田を潰してしまった時点で徳川の利用価値が無くなったと思う。

柴田勝家、羽柴秀吉、そしてその後に平伏するであろう毛利、島津等々はその時点で家臣であるが、徳川だけは何処まで行っても対等な同盟関係になってしまうから、潰すより他はないが、徳川家の強さをしてっているから、真っ向勝負でなく、家康以下おもだった家老達を殺してしまえば、吸収合併が簡単だと考えたはずである・・・

 

私は、徳川家康と松平元康は、別人だと思っている。

松平家は藤原氏であり、世良田家は新田家一門で清和源氏であり、武家の棟梁になることが出来る血筋である。

ポントは、何故松平姓を徳川姓にし、三つ葉葵という家紋まで作ったかである。

これは、三河松平家の総意が納得しなければ、内紛になりかねない大問題である。

現代だって、由緒ある会社の社長が替わって社名を変更したらいざこざが起こり業績悪化にも繋がるではないか!!!

松下電器からパナソニック、ダットサンから日産と言う具合である・・・

「弱いが為に家中一同艱難辛苦を舐めてきた。だから、天下を狙う」とでも言ったと思う。

それ以降の織田家、豊臣家内での動きを見れば明らかである。それは追々書くこととする。

諸説あるが、家康が三河守が欲しいときに世良田では叶わず、得川姓を名乗れば良いと近衛先久にアドバイスを受けたとか言っているが、それはこじつけであろう。

そうなると、松平家家中全てが、家の殿様は松平家でなく新田氏のでだと周知の事実になってしまう。

そうなると晩年に重臣達と飲んだ折の「実は、我が家は新田の家計でな・・・」という一節が矛盾してしまう。

これは、同席した家臣の書いた日記に書かれていたから間違いないはずだ。

又、武家は征夷大将軍になることが目的とするから、確信がつかめないのである。

鎌倉時代を観てみれば一目瞭然である。

鎌倉時代の征夷大将軍は、宮様がなっていたが、実権は執権職であったし、豊臣秀吉をみれば征夷大将軍になれなかったとか馬鹿話がまことしやかに言われていることが不思議である。

征夷大将軍と関白とどちらが上位か?聞くだけ野暮である。

関白になれば、征夷大将軍に任官も出来てしまうではないか!!!!

幕府=征夷大将軍という間違った概念があるから、歴史が見えてこないのである。

 

つづく